2015年11月29日日曜日

1979年のサザンオールスターズ


スージー鈴木さん著「1979年の歌謡曲」を読みました。タイトルの通り1979年の歌謡曲とニューミュージックについて書かれた本で、あまりマニア向けに偏ることなく読み易い仕上がりになっており、一気に読み進めてしまいました。

スージーさんの一押しはゴダイゴで、これは非常に良くわかります。ミッキー吉野さんの垢抜けたサウンド、この辺りの日本コロムビアのサトリルものはどれも昔から非常に好みで…こういったサウンドやニューミュージックが歌謡曲と並列でチャートを上っていたのが79年でした。

そんな中、サザンも大きな扱いとなっています。ゴダイゴもテレビを効果的に使っていたと思いますが、サザンも事務所の方針で78年のデビューから戦略的に、というかとにかく存在を認知させるためにテレビに出まくっており、79年までの全てのシングルをヒットさせることに繋げています。

そこで、今回は完全に「1979年の歌謡曲」に便乗し、1979年のサザンについて、振り返ってみたいと思います。


●1979.1. TBS「ザ・ベストテン」出演。「気分しだいで責めないで」演奏の他、中州産業大学タモリ教授のバックで「勝手にシンドバッド」を演奏。

●1.21. 2ndアルバムのレコーディングスタート。テレビ出演や雑誌取材等を並行して行ないながら3月11日には終わるという、今のサザンからは考えられない強行スケジュールでした。

●2. 日清焼そばUFOのCMに出演。コマソンもサザンが担当しました。6人全員がスーパーマンのコスプレで出演という、当時の扱いがよくわかるCMでした。

●2. 「勝手にシンドブック」ベップ出版より発売。

●2.20. FM東京「音楽夜話」10周年記念公演(日本武道館)に出演、翌月リリースを控えた「いとしのエリー」初披露。既存路線の「思い過ごしも恋のうち」とどちらをシングルにするかでモメたようですが、メンバーの意向も尊重され「いとしのエリー」に決まりました。それまでのイメージを一新するスタイルの新曲に、観客は反応に戸惑い、サザンメンバーは落ち込むことになります。この後も暫くは披露の度に野次が飛び交ったそうですね。

●3.20. 全国ツアー「春五十番コンサート」スタート。6月6日まで全国50ヶ所のツアーでした。

●3.25. シングル「いとしのエリー」c/w「アブダ・カ・ダブラ(TYPE 3)」リリース。A面はビートルズ的なものがベースですが、全体の印象は桑田さんを始めとしたメンバーのブラック・ミュージック的な志向が滲み出る出来となっています。B面は日清焼そばUFOのコマソンを改作したものです。オリコン初登場43位と、地味な初動で、最高位の2位を獲得するのは6月のことでした。

●4.5. アルバム『10ナンバーズ・からっと』リリース。前述の通りほとんど時間が取れない制作状況で、入稿までに歌詞が間に合わず歌詞カードは一部草案が載ったり一曲まるまる記号で埋められたり、ジャケットの桑田さんは撮影現場でディレクターと喧嘩しふて腐れた顔で写っていたり、とにかく混乱の記憶しかなかったようです。80年代にはよく本作を桑田さん自身がこき下ろしていらっしゃいましたが、とは言えBoz Scaggs・Eric Clapton・Little Feat・Paul McCartney・John Lennonなどなど、当時のサザンの志向がはっきり出ていてこれはこれで一筆書きの魅力に溢れた作品かと思います。

●4. ニッポン放送「オールナイトニッポン」木曜第一部パーソナリティが桑田さんに。「勝手にシンドバッド」から出版はバーニングパブリシャーズとパシフィック音楽出版の共同出版でしたが、そういった流れからのスタートかもしれません。

●5. アルバム『ニュー・ミュージック・ベスト・ヒット』リリース。カセットのみの、invitationのレーベル・コンピレーションですが、冒頭「いとしのエリー」「気分しだいで責めないで」「勝手にシンドバッド」とサザンの3曲からスタートしています。サザン以外では伊東ゆかりさんや高橋真梨子さん、つのだ・ひろさんや元ルパンⅢの佐藤三樹夫さん、SHOGUNの前身のワン・ライン・バンド等、多彩な顔ぶれです。

●7.25. シングル「思い過ごしも恋のうち」c/w「ブルースへようこそ」リリース。「いとしのエリー」のヒット醒めやらぬうちに次のシングルを、ということでリリースされたと思われます。新曲を作る余裕はとても無かったようですが、その代わりA面は新田一郎先生のトランペットを追加しリミックスされ、アルバムと比べかなり華やかな印象に変わりました。B面はアルバムと同じバージョンです。オリコン最高7位を記録しました。

●7. アルバム『オリジナル・カラオケ ベスト・12』リリース。カセットのみのリリース第一弾ですが、なんとテレビ用に予備として作られていたカラオケを集めたものでした。ジャケットの桑田さんの仮面ライダーポーズや、燦然と輝く「プロ用メロナシ」の文字がたまりません。

●8.5. 江ノ島ヨットハーバーでの「JAPAN JAM I」に出演。廃人時代のBrian Wilson含めたBeach Boysも出演しておりましたが、この頃の桑田さんのBeach Boysへの認識はまだ数あるオールディーズバンドの一つ、という程度のものだったようです。

●8. 「ニューミュージック・マガジン」9月号に桑田佳祐本人のインタビューが掲載(「芸能界の中でロックし続けるサザンオールスターズ」)。

●9.22. 全国ツアー「Further Up On The Road」スタート。12月12日まで全国42ヶ所のツアーでした。

●10.25. シングル「C調言葉に御用心」c/w「I AM A PANTY (Yes, I am)」リリース。A面は内省的なミディアムで、新機軸でした。アレンジもバンドとして非常に良く練れています。松田さんのハモりも色気十分。B面はLittle Featサウンドに下ネタ歌詞の組み合わせです。オリコン最高2位を記録しました。

●11.25. アルバム『SOLD OUT!! ベスト・オブ・サザンオールスターズ』リリース。カセットのみではありますが、初のベスト盤となります。最新ヒット「C調言葉に御用心」や既存シングル4曲を含む、初期の傑作選です。写真提供:月刊明星のクレジットが泣けます。

●11. アルバム『ヒット・スタジオ No.1』リリース。invitationのコンピレーション・カセットです。こちらにも最新ヒット「C調言葉に御用心」をメインに「いとしのエリー」「思い過ごしも恋のうち」が、伊東ゆかりさん・高橋真梨子さん、新たに松崎しげるさん・岡林信康さんらの楽曲と並んで収録されました。

●12. ナビスコチップスターCMに出演。コマソンではなく「C調言葉に御用心」がタイアップで使われました。


上記に加え、とにかくこの当時は事務所の方針でテレビ仕事をかなり受けていたようです。年末に桑田さんが大里社長(当時)に直談判し、翌80年前半はテレビ出演やコンサートは控えることになるのですが…。とにかく仕事量に体がついていかず、メンバーは皆かなり消耗していたそうですね。

とは言うものの、事務所がアミューズでなかったらおそらくサザンは全く違う道を歩んでいたと思います。そもそもサザンはプロデューサーも事務所もなかなか決まらず、デビューまでの道のりが険しかったようです。プロデュースは某キーボード・プレイヤー(佐藤博さん?)に断られたということですが、結果的に特にプロデューサーを立てず、ほとんどセルフ・プロデュース状態でスタートしたのは大正解でした(ディレクターの高垣さんがプロデューサーとしてクレジットされました)。これがスージー鈴木さんの好きな初期サザンのサウンド・メイキング方針を決定づけるわけですから。また、事務所も宇崎竜童さんのところに断られ、途方に暮れていた高垣ディレクターがブラスのアレンジとダビングを依頼したのがアミューズ所属第一号のホーン・スペクトラムです。大里さんがレコーディングに立ち会ったのが運命を決定づけました。高垣さん側は「別れ話は最後に」をファースト・シングルにしようとしていたようですが、おそらく大里さんの意向で「勝手にシンドバッド」に決まったと思われます。「勝手にシンドバッド」に斉藤ノブさんを起用したり、ビクターとしてはやはりティン・パン〜ナイアガラ系を意識した雰囲気で売り出そうとしていたのでしょうか。

そして、話が戻りますが、1979年のサザンオールスターズという意味ではテレビでの演奏はかなり重要かと思います。「いとしのエリー」「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉に御用心」はどれもこの年かなりテレビで演奏されています。特に注目は、出演回によってはストリングスやブラスがきちんと入っている「夜のヒットスタジオ」での演奏です。疲れたメンバーの荒い演奏のみならず、荒い上にバランスもレコードとは遥かに異なるコーラスがとにかく味わい深く、当時のバンドの記録としても評価に値します。「思い過ごしも恋のうち」はレコーディング後に何度も演奏するうちにサビのリズムパターンが変えられ、シングル・リリース時のテレビ出演でもレコードとは違うリズムパターンで演奏されましたが、こちらの方が疾走感があり好みです。こういったテレビ出演をまとめた映像作品が昨今はよくリリースされておりますが、サザンについては様々な事情から、難しいでしょうね…。それでも、何とかまとまった形で、見てみたいものです。

2015年11月28日土曜日

Pointer Sisters「Take My Heart, Take My Soul」[Ken Gold Songbook]


Pointer Sistersはカリフォルニアはオークランド出身の姉妹ヴォーカル・グループです。71年にAtlanticからレコード・デビューしていますので、81年の時点で既にデビュー10周年を迎えていたことになります。この10周年の年の6月にリリースされたアルバム『Black & White』に、Gold-Denne作品である「Take My Heart, Take My Soul」が収録されています。

60年代のファンキーなガール・グループ風の一曲で、アレンジもそれを意識しつつも同時代的に、ポップでアッパーな雰囲気でまとめています(プロデュースはRichard Perryでした)。Goldにしてはコンテンポラリーものから少し距離を置いた印象がありますが、同じく6月にGoldプロデュースでTight Fitというグループの「Back To The 60's」というシングルがリリースされています。これは81年春にアメリカで大ヒットしたStars On 45のイギリスでの便乗企画で、でっち上げグループであるTight Fit60年代のヒット曲をひたすらメドレーで繋いで歌うという内容でした(WikipediaによるとGoldが企画を思いついたことになっていますが、真相のほどはよくわかりません)。この作業と並行しての楽曲提供となったと思われ、このタイミングからGold60年代回帰シリーズが(短期間ですが)始まります。

ちなみに、「Back To The 60's」のB面はGold-Denne作の「Coco-Nite」というインストもので、この適当さがまた60年代前半に一時代を築いた某大物プロデューサーを想起させます。

また、このTake My Heart, Take My Soul」を最後にGold-Denneコンビは古巣のScreen Gems EMI Musicを離れたようです。Coco-Nite」はZomba Music Publishersがクレジットされ、これ以降、Gold-Denne作品は基本的にZomba Musicが出版権を保有することになったようです。


2015年11月1日日曜日

Delegation「In Love's Time」「In The Night」and others [Ken Gold Songbook]


『Eau De Vie』のリリース後,約1年の間を置いて80年12月にイギリスでリリースされたのがDelegationの3枚目のアルバム、『Delegation』です。

前作に引き続きプロデュースはKen Gold、ギターにRobert Ahwai、キーボードやストリングス/ブラス・アレンジにLynton Naiffを迎え、良くも悪くも『Eau De Vie』の続編といった感じに仕上がっています。また、Real Thingの『Step Into Our World』に参加し、この後Billy Ocean『Nights』をプロデュースすることになるNigel Matinezがドラムに起用されています。

A-1 Feels So Good (Loving You So Bad)
A-2 Dance, Prance, Boogie [*Bailey-Patterson-Dunbar]
A-3 In Love's Time
A-4 Singing
A-5 12th House [*Mansfield]
B-1 In The Night
B-2 Turn On To City Life [Gold-Denne-Naiff]
B-3 Free To Be Me [*Patterson]
B-4 I Wantcha Back
B-5 Gonna Keep My Eyes On You[*Bailey-Patterson]

今回もGold-Denneコンビ作の楽曲を軸に、メンバーの楽曲を数曲ちりばめた構成ですが、珍しく、そしてなぜかNew MusikのTony Mansfieldのペンによる曲が1曲収録されています。

「In Love's Time」はMaurice White風というか何と言うか、リードをとるBruce DunbarのファルセットはまるでPhilip Baileyのように聴こえてしまいますね。「In The Night」の他、「Feels So Good」「I Wantcha Back」なども前作から続く、Robert Ahwaiのカッティングが炸裂する、Delegationの定番と言える路線です。「Singing」はSide Effectのあの曲をカリプソ的な味付けで料理したら…というような意図でしょうか。「Turn On To City Life」は軽めですがブラスの映える、ポップな仕上がりです。
また、メンバー作の曲のうち、「Free To Be Me」はRay Pattersonの単独作、リードをとるのもPattersonですが、Delegationにしてはブルージーで、異色作です(この曲だけ浮いているとも…)。

アルバム・リリース後にシングルとして「12th House」/「Singing」が両A面の7インチ・12インチでリリースされていますが、アルバム・シングル共にイギリスではチャート・インしませんでした。7インチは両面ともシングル・エディット、「Singing」は12インチではロング・ミックスで収録されています。一方、アメリカでは当アルバムは『Delegation II』のタイトルでリリースされていますが、こちらもチャート入りを逃します。しかし、「In Love's Time」がシングル・カットされ、R&B54位を記録しています。