2022年12月15日木曜日

Warren Mills「Flame In The Fire」「It's Peculiar」[Ken Gold Songbook]


Warren Millsは84年に英JiveからMiraclesのエレクトロ・カバー「Mickey's Monkey」でデビューした、当時プレティーンのヴォーカリストです。

85年にはファーストにして唯一のアルバム『Warren Mills』がリリースされました。いくつかのプロデューサー・作者チームによる作品を並べた、80年台半ばのキッズ・エレクトロ・ソウル・アルバムになっています。リード・シングル「Sunshine」はFull Forceの提供曲で、ラップも含めたモダンなキッズソウルで最高です。このアルバムにおいて、当時同レーベルに所属していたBilly Oceanとチームを組んだ、Ken Gold作品が2曲収録されています。

1曲目はBilly Ocean - Ken Gold - Pete Q. Harrisが作者としてクレジットされた「Flame In The Fire」。プロデュースもこの3人がクレジットされています。Pete Q. HarrisとGoldは前年のKaite Kissoon以来のコラボレーションとなります。いかにも『Suddenly』『Love Zone』当時のBilly Oceanらしい(若干自身のものより派手?)エレクトロ・ソウルで、コーラスでもしっかりOceanの声が聴こえます。
「Flame In The Fire」は同年、アメリカの映画「Breakin'(邦題:ブレイク・ダンス)」「Breakin' 2: Electric Boogaloo」の系譜にある「Rappin'」のサントラに使用されたため、そちらのサントラにも収録されています。

2曲目はBilly Ocean-Ken Goldコンビの作品「It's Peculiar」。こちらはプロデュースがBilly Ocean-Pete Q. Harrisということで、Goldは楽曲提供のみのようです。ノスタルジックでメロウな60s前半のモータウンを思わせるシャッフルもので、この辺りはGoldやOceanのルーツというか十八番のようなスタイル、それをPete Q. Harrisによる最新のシンセ・サウンドで仕上げた1曲になっています。こちらも派手にOceanのコーラスが聴こえてきます。地味ながらも、好きな1曲です。




2022年12月8日木曜日

1987 (4) :悲しい気持ち(Just A Man In Love)pt.2

ソロ名義のレコーディングを始めるにあたり、桑田はまず藤井丈司にアルバム計画を伝え、同時にサウンド・プロデュース、スタッフ・ディレクションを依頼する。
(『Keisuke Kuwata』フライヤー ビクター音楽産業/アミューズ、1988)

藤井丈司はYMOのアシスタントとしてキャリアをスタート、『Technodelic』の後のソロ作や提供曲・バンド名義では『浮気なぼくら Naughty Boys』からプログラミングを手掛けるようになる。桑田とはサザン「ミス・ブランニュー・デイ c/w なんば君の事務所」『人気者で行こう』でのMC-4プログラミング並びにアレンジを皮切りに、『kamakura』での共同プロデュース・プログラミング・アレンジ、86年初頭のKuwata Bandシングルセッションでのプログラミングと、84年以降の桑田のレコーディングにほぼ参加している(「She’s A Big Teaser」NYミックスのプロモ盤7インチにもSpecial Thanksに藤井の名がある)。既に桑田にとっては馴染みの存在だったことだろう。

87年8月21日に原由子のシングル「あじさいのうた c/w Tonight's The Night」がリリースされている。ポップなA面と渋いブラコン的な雰囲気もあるB面の組み合わせで、アレンジは桑田と藤井の共同名義となっている。このシングル、おそらくスケジュール的に、桑田のソロ・レコーディングの前哨戦だったはずだ。実は参加ミュージシャンも桑田のセッション初頭とほぼ同じである。

Produced by 桑田佳祐
Arranged by 桑田佳祐、藤井丈司
Vocals, Keyboards : 原由子
Computer Programming : 藤井丈司
Guitars : 原田末秋
Bass : 琢磨仁
Drums, Chorus : 松田弘
Chorus : 桑田佳祐

初期桑田ソロセッションのポイントは、結果的にここからサザンのメンバーである2名を抜いていることだ。まずは原由子以外のキーボードが必要ということで、藤井は直前の藤井尚之『Naturally』レコーディングで共演していたキーボード・プレイヤーをセッションに起用。7月からレコーディングが開始される。


***


小林武史は山形県で生まれ育ち、高校卒業後に上京、78年に渋谷の音楽学校に入学。米軍キャンプ回り、自身の自作曲でのバンド活動等を経て、山根麻衣のバックや廣田龍人のRicky & Revolverのメンバーとして、プロの世界でのキャリアをスタートさせている。

82年に杏里のシングル用楽曲コンペの話があり、書き下ろしで見事採用されたのが「思いきりアメリカン」であった。その流れでアルバムにも楽曲提供することになり、翌年アルバム『Bi・Ki・Ni』のB面に3曲を提供。小林のデモを聴いたアレンジャー佐藤準の勧めで、うち一曲「Surf City」は小林自身によるアレンジで収録されることに。アルバムで唯一ドラムはマシンによるもので、淡々とした地味な出来だが、本人によるとAlan Persons Project「Eye In The Sky」のようで、のちの自分のひとつの定番(の路線)になる、と語っている(「月刊カドカワ 1996年1月号」角川書店、1996)

そののち、小林はプロデューサー/アレンジャーとして85年以降、とあるレーベルで年一のペースで作品を残している。

・Jive『Klaxon』(1985.11.)
・アイリーン・フォーリーン『ロマンティック』(1986.6.)
・The Rock Band『四月の海賊たち』(1987.8.)

Jiveは四人組男声ヴォーカル・グループで、ファーストアルバム『First Letter』は伊藤銀次プロデュース、伊藤や杉真理・竹内まりやらが楽曲提供したある意味「シティ」寄りのポップスといった内容。メンバーのオリジナル曲で固められた『Klaxon』がセカンドアルバムにあたる。プロデュースはJive・小林武史のクレジット、アレンジは全曲小林・ヴォーカルパートのみグループの宮下文一が担当。本作がおそらく、小林が最初にプロデューサーとしてクレジットされたアルバムと思われる。80s半ば、ニューウェーブ時代のニューミュージックにコーラスが絡むところがユニークな作品で、当記事的にも思わずニヤリのリズムパターンであるバブルガム・ドゥーワップ歌謡「熱い瞳のマジック」も含む、ポップでバラエティに富んだ内容だ。随所に見せるファンキーな要素も含めて小林の器用さを示した一枚といえる。ベースはマニュアル・プレイ(小林のプロデュース・アレンジでスラップが入るのも珍しい)の曲も入っているが、ドラムは全曲マシン、生の管弦は入っていない。また「Frothy Story」は詞曲とも小林が共作、「スローモーション ランナー」は小林が単独で作詞を手がけている。

アイリーン・フォーリーンは高知出身のニューウェーブ、エレクトロ・ポップ・バンドで、『ロマンティック』はこれまたセカンドアルバムにあたる。メンバーの安岡孝章のペンによる収録曲は、一曲を除き小林が全曲のアレンジを担当、プロデュースのクレジットは小林武史&アイリーン・フォーリーン。全曲武部聡志との共同アレンジであったファースト『プラスティック・ジェネレイション』に比べると落ち着いた内容のセカンドだが、これまたいかにも小林といった地味ながらも手堅いシンセ主体の音作りだ。安岡の耽美的なヴォーカル・丁寧なメロディとうまくマッチしたアレンジで、シンセのブラスやストリングスなど含め、既にこの後80年代後半にかけての小林サウンドが確立されつつある感がある。余談だが、ここで小林は小倉博和と初対面しているというのが面白い(「カドカワムック 別冊カドカワ 総力特集 小林武史」角川グループパブリッシング、2008)。『ロマンティック』に小倉のクレジットは無いが、既にこれ以前のライブで3人目のギターとしてサポート参加していたようだ。このアルバムのリリース後、メンバーチェンジで小倉はバンドの正メンバーとなる。

そしてThe Rock Bandは元アナーキーで、『四月の海賊たち』は(改名後の)セカンドアルバム。ファースト『アナーキー』はバンドと笹路正徳との共同プロデュース・アレンジで、続くこちらはプロデュース・アレンジともにThe Rock Bandと小林の共同名義だ。改名したアナーキーはパンクから距離を置き、重心低めのハードロック、ブルースロック的な色が濃くなっており、そのあたり小林ともウマの合ったコラボレーションになっているといえよう。五木寛之の同名小説にインスパイアされた歌詞もユニークで、アナーキー名義の頃とは印象が異なる作品に仕上がっている。
なお、小林本人は80年代は前2作についても言及していたが、90年代半ば以降は『四月の海賊たち』を自身の「初プロデュース作」として語るようになる。おそらく、サウンドの出来もさることながら、歌詞も含めてプロデューサーとして全体をハンドリングできたという自負があったのかもしれない。
小林武史「プロデュースでは、去年、元アナーキーのROCK BANDのLPやって。いいLPだから、聴いてください(笑)。あとアイリーン・フォーリーンとか。JIVEはサウンド・プロデュース的な関わりだったけど…僕は言葉の部分もやっちゃうから。」
(「キーボードランド 1988年7月号」リットーミュージック、1988)

とこのように既に80年代半ば、小林はバラエティに富んだ作品のプロデュース、アレンジを既に担当している。この3作をリリースしているレーベルというのが当時サザンのTaishitaが属していたおなじみビクターinvitationであり、すべて、invitationの発足時から在籍し、アナーキーのデビュー時からのA&R/ディレクターである村木敬史の担当作品である。おそらくこの時期、小林は既に村木には目をかけられていたということなのだろう。

また、ソロ・ヴォーカルものとしてはビクターではなくワーナーで86年、香港で活動していた杜麗莎、テレサ・カピロの日本録音作『Teresa Carpio』(全曲英語詞バージョンの日本盤は『Tokyoドリーミング』)で小林は全曲のアレンジを担当、服部克久・長束利博とともにプロデューサーとしてもクレジットされている。テレサはもともと70年の来日中、フィリピン出身のGSバンド、デ・スーナーズとの共演ライブを見た勝新太郎にスカウトされ勝プロに所属、71年に日本Denonから「混血児マリー」でレコードデビューしていた。86年のアルバムは日本再デビュー盤となる。服部や小林作の曲だけでなく、安全地帯「悲しみにさよなら」なども取り上げている。

他方、プレイヤーとしては85年ごろに大村憲司と出会ったことをきっかけに、86年に大村に呼ばれ井上陽水のツアーメンバーに加入、ビッグ・ネームのツアーを大物プレイヤー達とこなす日々を送ることに。
さらには大村の紹介で高橋幸宏らと出会い、87年には高橋と鈴木慶一=Beatniksのセカンド『Extentialist A Go Go』にキーボードとしてレコーディング・ツアー両方で参加、また大貫妙子『A Slice Of Life』のレコーディングからツアーにも参加と、いわゆるサブカル、「シティ」周りのミュージシャン関連の仕事が多くなる。その流れでこののち88年には、大貫の計らいでミディレコードとソロ・ミュージシャンとして本人のヴォーカルによるアルバムリリースの契約を結ぶことになり、新進気鋭のミュージシャンとして「Techii」「Pop Ind’s」などの雑誌に取り上げられる扱いになっていく。

同じく大村憲司の参加する藤井尚之の87年作『Naturally』セッションで、小林は藤井丈司とも共演することになる。そういった流れがあり、藤井は桑田ソロセッションのキーボード・プレイヤーに小林を迎えたようだ。
— 初めはキーボード・プレイヤーとしてのみの参加だったようですね?
小林「そうですね、最初は。ただ、きっとプロデュースという形になっていくと思うからって、藤井クンは言ってました
。シングルの「悲しい気持ち」までは、別にそういう形を取っていなかったんですよ。ほかにもミュージシャンが随分いて。でも、途中からだんだん切り換わっていったんですよね。」
(「Sound & Recording Magazine 1988年8月号」リットーミュージック、1988)

小林のコメントのとおり、おそらく、藤井の中では最終的に共同アレンジャー・プロデューサーとして小林を迎えようとしながらも、その手腕を桑田に確かめさせるためのお試し期間としてまずはプレイヤーとして参加させたということなのだろう。


***


「悲しい気持ち」のシングル盤に記載された参加ミュージシャンは以下のとおり。

Vocals: 桑田佳祐
Keyboards, Synthesizer: 小林武史
Guitars : 原田末秋
Bass : 琢磨仁
Computer Programming : 藤井丈司
Backing Vocals : 杉真理
Engineered & Mixed by 今井邦彦
Assist. Engineered by 平沼浩司

のちのアルバム曲と異なり、このシングルについてはまだ小林と藤井と桑田の3者体制での密室レコーディングではなく、ある程度開かれたレコーディングだったようだ。
小林「それで今回のスタジオ・ワークでは、初期の段階ではDsやBの人も加わってはいたんだけど、中盤以降はずっと3人だけでやっていました。」
(「キーボード・スペシャル 1988年10月号」立東社、1988)

原由子セッションとほぼ同じメンバーであることを見ると、小林の証言からもおそらく当初は松田弘あたりが参加していたものと思われる。しかしこの楽曲の時点で、最終的に桑田はマニュアル・プレイでなく、藤井によるマシンのドラムを選択する。といってもサザンでも『綺麗』からはマシンのドラムを使用するようになり、『kamakura』に至ってはドラムセットをフルで使ったマニュアル・プレイの曲は聴く限り半分も無く、楽曲単位で見るともはや特に珍しい話ではない。

ただ、(この曲の時点でアルバム全編マシンで進める判断をしたかどうか不明だが、)結果的にソロアルバムではマニュアル・プレイのドラムは一曲も入っていない。それどころかリハーサル、プリ・プロダクションの段階から、ドラムは藤井が打ち込んでいくことになる。このあたりはサザンやKuwata Bandを経て、それらとのさらなる差別化であったり、また並走する時代のサウンドを眺めながら新しいスタイルを求めた桑田自身の結論だったのだろう。
小林「最初はミュージシャンを集めてライブっぽいリハーサルをやってみたんですけど、それだと今まで桑田さんがやってきたものと、あまり変わらないと。空気とかがね。で、どうしても人間がやると、良くも悪くもサウンド的に曖昧になって、それには彼が飽きてたっていうか。」
(「キーボードランド 1988年8月号」リットーミュージック、1988)


***


「悲しい気持ち」ではなんといっても印象的な二部構成のイントロからスタートする。シンセのヴィブラフォンで、松田聖子「赤いスイートピー」のイントロをマイナーキーに泳がせたようなしっとりした雰囲気で始まった…かと思えば瞬時に歌い出しのヴァースと同じメジャーキーのコード進行に変わり、しかし歌メロとは全く別の印象的なフレーズが、グロッケンと、おそらくRoland D-50のFantasiaあたりのキラキラした音色とのユニゾンで奏でられる。イントロのフレーズは小林も当時「ここが決めて」と語っているほどである(「キーボード・スペシャル 1988年10月号」)

楽曲を通していささか暗めの印象もあるシンセのヴィブラフォンが鳴り、要所要所でグロッケンとFantasiaのユニゾンが登場、と緩急のついた音選びが効果的だ。曲全体をさりげなく支える、生っぽくないシンセのストリングスもいい仕事をしている。

Roland D-50 Linear Synthesizerは87年3月に発売されたばかりの、当時最新のシンセサイザーだ。そのユニークなプリセット音たちは同年リリースでは順にThe Cars『Door To Door』(87.8.)、Michael Jackson『Bad』(87.8.)、George Michael『Faith』(87.10.)、Rick Astley『Whenever You Need Somebody』(87.11.)、翌年のPrince『Lovesexy』(88.5.)、Enya『Watermark』(88.9.)…とその後も数多くの名盤で耳にすることができる。
ちょうど「Techii 1987年10月号」における藤井の連載コーナー「シンクロ野郎」では、ゲストに小林を迎え、出て数ヶ月のD-50についてプレイヤーとオペレーターの立場からの対談が掲載されている。タイミング的におそらく「悲しい気持ち」録音当時と思われる。
藤井丈司「小林さんD50使い出してずいぶんになるよね。どう?」
小林「プリセット音がいいね。サンプリングした音とシンセの音を混ぜたり、エフェクト込みで音作りを考えたりっていう作業を、1台でやっちゃおうっていう発想がおもしろいよね。」
(略)
— 具体的にプリセット音で良し悪しはありますか?
小林「ピアノ系とか、シミュレーションは弱いって気もするけど、エディット次第で使える音になるかもしれない。」
藤井「まだ、ユーザーも研究段階だからね。DXが出たばかりのときと同じだよ、その辺は。」
小林「ただ、"Fantasia"とか、既製のシンセにはなかったような抽象的な音なんかの場合は、ほとんどが即使えるというぐらいの完成度を持ってるね。」
藤井「そう。聴いたことのない音というのが、たくさん入ってるね。」
小林「僕らがシンセ組み合わせてやっても、とても作れないんじゃないかってぐらい、凝ってるんだよね。さっきの、"Fantasia"にしても、完全5度ぐらいの倍音を発生させて、非常にバランスのいい音を作ってるし。」
藤井「だけど、ほとんどの音がリバーブで個性作ってるんだ。キタネーよな(笑)。」
(「Techii 1987年10月号」音楽之友社、1987)

さらに、この曲をぐっと馴染みやすくしているのがドラムパターンのいわゆる「(厳密には第二の)モータウン・ビート」であるところのSupremes「You Can’t Hurry Love」ビートだ。正直なところこのパターンを出してきたのが桑田なのか藤井なのか小林なのか、はたまた当初セッションに参加していた松田?なのか、今のところ不明なままである。ただし、「You Can’t Hurry Love」ビート自体は80年前後に英米でリバイバルが発生後、82年には日本にも飛び火しスクーターズ、翌年の松田聖子、そして桑田も原由子「恋は、ご多忙申し上げます」で既にトライしている。その後定番のひとつとなったビートであり、実際誰が言い出してもおかしくないものだ。また、同時にこの曲を支える琢磨仁のベースはまた別のパターンを提示することで、「そのまんま」にはなっていないのも最終的には正解なのだろう。

サビの最後で一瞬転調し、歌が終わったあとにオカリナのようなシンセのフレーズが鳴るが、このフレーズも小林考案のものとのこと(「キーボード・スペシャル 1988年10月号」)。このなんとも可愛らしい音色、フレーズを突っ込む絶妙なセンスも小林の魅力のひとつであろう。

そして(「シティ」)ポップス界の先達・杉真理をわざわざ起用し、タイトルを追いかけで連呼する、厚みのないさりげないコーラスなどの仕掛けは明らかに「60sガール・グループへの愛」の表れだ。間奏での桑田のファルセットの「Ooh-oh-ooh-ooh-…」などはDiana RossへのDedication、Supremes「Baby Love」歌い出しの変形と思われる。

前回で「Whoa-oh」の多用はRonettesを意識したのではないか、と書いたが、さらにSupremesも加わるとガール・ポップの大ネタと大ネタの組み合わせで、下手に元ネタたちを意識するとクドくなってしまいそうなものだ。しかし、あくまで凝りすぎないオーソドックスなアレンジを、打ち込み主体のクールで洗練されたサウンドで包んだトラックが功を奏し、非常に納まりのいい仕上がりとなっている。小林はこの曲のアレンジ全体についてこんなコメントを残している。
小林「曲が甘い青春ものになっているときには、アレンジで凝ろうとすると、曲のほうがはずかしくなっちゃう。甘いメロディーというのは隠そうと思っても隠れないものだから、むしろそれを広げるように考えたほうがいい。」
(「キーボード・スペシャル 1988年10月号」)

オールディーなクラシックを同時代的シンセ・サウンドで固めながらも、歌をメインに据えアレンジ自体はヒネらずに、というと前年の野沢毛ガニ&桜井鉄太郎によるJ.E.F.も似たスタイルではある。あちらは何よりまず本家B.E.F.の発想と桜井の選曲センスの融合が揺るぎない魅力なのだが、そんな方向性をぐっとメインストリーム側に寄せたのがこちらの桑田組と言えなくもない。桜井鉄太郎、小林武史と、6〜70年代のロック・ポップスに耽溺し、かつ時代に対応した音作りを熟知した、その後90年代の日本のポップス=J-POPを支えるプロデューサー達と共に試行錯誤しているのがこの頃のサザンメンバーのソロ活動の一面でもあった。

そして、ここまでアレンジについて見てきたが、桑田の歌唱も新基軸・変化のひとつとして大きく認識すべきポイントだろう。サザン『Nude Man』あたりからどんどんワイルドになっていった桑田のヴォーカルは、例えばKuwata Band「One Day」のようなバラードでさえ野太い発声で歌っているのだが、この「悲しい気持ち」では打って変わって繊細で、ぐっと抑制された発声となり、日本語も聞き取り易い発音に変わっている。いわゆる「普通」に近づいたと言えばそうなのだが、ヴォーカル・スタイルのバリエーションが増えたということでもある。ポップ・ミュージックに意識的になったこのタイミングでいま一度歌手、ヴォーカリストとして唱法を意図的に見直したことが、「さよならベイビー」「真夏の果実」等、90年代に向かう桑田ポップスの名唱に繋がっていくといっても過言ではないだろう。



***



アレンジへの見事な貢献で、シングル「悲しい気持ち」の編曲は最終的に「桑田佳祐、藤井丈司、小林武史」と、小林が3番目のアレンジャーとしてクレジットされる。シングル盤にプロデューサーの記載は無いが、やはりこの時点での小林の権限は全てに口を出せるほど大きなものではなかったようで、シングル盤がリリースされた後に「打ち込みのドラムがハネていない」と指摘してくる小林に桑田は困惑したという(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」Tokyo FM,  2014.10.25)

そして藤井の目論見どおり、小林は高垣健から正式に桑田ソロアルバムについてプロデュースの依頼を受ける。
小林「ソロ・シングルの「悲しい気持ち」から一緒に仕事をさせてもらうようになってね。そんな時、サザン (オールスターズ)のディレクターの高垣(健)さんから「ちゃんとこれをプロデューサーっていうやり方で受けてくれないか」と言われたんですよ。それまではレコード会社のディレクターの人が中心になって、作詞や作曲、編曲を人に頼んで、分業で、というのが一般的だったけど、やがてアーティストが自分で曲を書くようになったでしょう?分業がなくなって、その時、楽器の音でも録音のシステムのことでも理解できている人間、欧米で言う”プロデューサー”を育てる必要をレコード会社の人も感じたんだと思う。それを僕にやってほしいということだったんですね。」
(「カドカワムック 別冊カドカワ 総力特集 小林武史」角川グループパブリッシング、2008)

小林は高垣の依頼を快諾。前述のとおり、桑田の意向で他のプレイヤーを排し、桑田・藤井・小林のみの三者体制で、長期間にわたるアルバム・レコーディングが進められることとなる。





2022年11月25日金曜日

大瀧詠一『大瀧詠一』のバージョン違い

大瀧詠一さんのソロ第1作、『大瀧詠一』リリースからなんとなんと半世紀…50年とのことです。

こちらは大瀧さんがナイアガラを設立する前の作品ですので、原盤権保有会社はキングレコード、マルチのマスターは破棄、ということからさほど複数のバージョンが作成されているわけではない(単にリイシューの機会が多い)のですが、せっかく50周年ということなので、こちらについても記事にしておくことにしました。50周年盤『大瀧詠一 乗合馬車(Omnibus)』収録バージョンについてはいつものように先送りでそのうち追記しますので、まずはこれまでのバージョン違いについていってみましょう。

なお、これまでナイアガラ作品のみのつもりで記事を作成していましたので、一部『大滝詠一デビュー』『Let's Ondo Again』などと重複している楽曲もありますが、今回を番外編として、同じ楽曲でもキング/ベルウッド原盤のバージョンのみ扱う、ということでご了承ください。また、キング/ベルウッドのオムニバス盤・近年の海外編集のオムニバス盤などは手が回りませんでしたので、はっぴいえんど関係のおなじみのもの以外は省略ということでこれまたご容赦のほどを…。


●おもい

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018

◆Version B … コーラスダビング前の「Undubbed Version」、Take 1・Take 2
大瀧詠一 1995/1997


●それはぼくじゃないよ

◆Version A
恋の汽車ポッポ(Single)1971
シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000
ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
アーリー大瀧詠一 2017 
シングルスはっぴいえんど 2017
恋の汽車ポッポ(Single) 2017

◆Version B … 「それはぼくぢゃないよ」、各パートを差し替えたアルバム用リミックス
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
大瀧詠一 2018

◆Version C … 「アルバムMix-2」、アルバム用の未発表別ミックス
大瀧詠一 1995/1997

◆Version D … 1972年4月22日、日本武道館でのはっぴいえんどのライブ・テイク
はっぴいえんどBox 2004

◆Version E … 1972年8月5日、長崎市公会堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク
はっぴいえんどBox 2004


●指切り

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
Best Always 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018


●びんぼう

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017 
大瀧詠一 2018

◆Version B … Version Aと同じだが、最後のドラムソロのみカットされている
大瀧詠一 1995/1997

◆Version C … 「ヒマダラケ・バージョン」、歌詞違いの未発表ミックス
大瀧詠一 1995/1997

◆Version D … 1972年4月22日、日本武道館でのはっぴいえんどのライブ・テイク
はっぴいえんどBox 2004

◆Version E … 1972年5月6日、大阪天王寺野外音楽堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク
はっぴいえんどBox 2004

◆Version F … 1972年8月5日、長崎市公会堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク
はっぴいえんどBox 2004



●五月雨

◆Version A
空とぶくじら(Single)1971
シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1982 CT
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000
ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
アーリー大瀧詠一 2017
シングルスはっぴいえんど 2017
空とぶくじら(Single) 2017

◆Version B … 歌、ギター、コーラスを差し替え、ハンドクラップを追加、パーカッションを削除したアルバム用リミックス
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
大瀧詠一 2018


●ウララカ

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018

◆Version B … 「イントロ・ドラム・バージョン」、未発表ミックス
大瀧詠一 1995/1997


●あつさのせい

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018

◆Version B … Version Aと同じだが、イントロのハイハットがカットされた、「All About Niagara」いわく「謎のバージョン」
アーリー大瀧詠一 1982

◆Version C … 「もうメロメロ編」、1974年7月11日のライブ録音
暑さのせい EP


●朝寝坊

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018


●水彩画の街

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018


●乱れ髪

◆Version A
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018


●恋の汽車ポッポ

◆Version A
恋の汽車ポッポ(Single)1971
シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000
ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
Best Always 2014
アーリー大瀧詠一 2016
アーリー大瀧詠一 2017
シングルスはっぴいえんど 2017
恋の汽車ポッポ(Single) 2017

◆Version B … 「恋の汽車ポッポ 第二部」、歌詞が変わってコーラスやエンディングのパートが追加されたアルバム用ステレオ・リミックス
大瀧詠一 1972
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
大瀧詠一 2018


●いかすぜ!この恋

◆Version A
大瀧詠一 1972(日本カッティング)
大瀧詠一 1977
大瀧詠一ファーストアルバム 1979
大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985
大瀧詠一 1989
大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018

◆Version B … Version Aと同じだが、最後のカセットコーダーのオート・シャット・オフ音が鳴る前に終了する
大瀧詠一 1972(USカッティング)

◆Version C … Version A/Bをカセットに落とす前のモノミックス
大瀧詠一 1995/1997

2022年10月6日木曜日

1987 (3) :悲しい気持ち(Just A Man In Love)pt.1

桑田のソロ・デビュー・シングルである「悲しい気持ち(Just A Man In Love)」については、そのドラムパターンからSupremes「You Can’t Hurry Love」の影響が語られがちだが、あまり桑田本人は何を意識してこの曲を書いたか、多くを語っていない。

前回に続き、2012年のインタビューを見るとこんな発言がある。
「『悲しい気持ち』で、ポップスという言葉を、等身大の音楽を、ようやく掴まえたんですよ。ディープ・パープルも悪くないけど、やっぱり自分の本質はロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』や坂本九の『上を向いて歩こう』なんだよって。遅れてきた反抗期というか間の悪い自我の目醒めだったけど、自分には大きな変換期だったんです。」
(「Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、2012)


***


Ronettesといえばアメリカン・ポップス史上にその名を轟かすガール・グループで、鬼才プロデューサー・Phil Spectorのプロデュース作品という意味でもポップス史上にその名を残す偉大なヴォーカルグループのひとつだろう。特にプロデューサーSpector-アレンジャーJack Nitzsche-エンジニアLarry Levineの三者が織りなす「ウォール・オブ・サウンド」のひとつの完成形ともいえる「Be My Baby」はいまだに語り継がれる名曲だ。

そんな「Be My Baby」でおなじみRonettesだが、Spectorプロデュース期=Philles期以降トレードマークのひとつになったのがリード・ヴォーカルVelonicaのキュートで印象的な「Whoa-oh」だろう。これはPhilles移籍前の作品では見られず、Spectorのプロデュース下最初にリリースされた作品、「Be My Baby」において登場するものだ。

音楽評論家の高橋健太郎は、Ellie Greenwich & Jeff Barryが「Be My Baby」を作曲した時点では3拍子だったのではないかと推察している。
グリーニッチ&バリーの書いた「Be My Baby」はたぶん、デモの時点ではロネッツのバージョンとはかなり違った雰囲気だったのではないかと思われる。グリーニッチは1973年に発表したソロ・アルバム『Let It Be Written, Let It Be Sung』で同曲をセルフ・カバーしているが、それはゆったりした3拍子で、フレンチ・ポップ的な優しい雰囲気を持つ。『Let It Be Written, Let It Be Sung』(書いたままに、歌ったままに)というタイトルからして、ソロ・アルバム用にそういうアレンジを施したのではなく、もともと彼女が書いた形、自身で歌っていた形を示したのが、そのセルフ・カバー・バージョンだったのではないだろうか。
(高橋健太郎「音楽と録音の歴史ものがたり ロネッツ「Be My Baby」をめぐるエリー・グリニッチとヴェロニカ・ベネットのストーリー 〜【Vol.87】https://www.snrec.jp/entry/column/historysr87

その3拍子であるEllie Greenwich「Be My Baby」セルフカバーを聴くと、曲最後の必殺「Whoa-oh-oh-oh-oh」は入っておらず、「Wow-yeah」と別のフレーズが収まっている。ひょっとしたら「Whoa-oh-oh-oh-oh」は、Jack Nitzscheと共に3拍子からロックンロールにビートを変えた際、もしくは長時間に渡ったというレコーディング・セッション中 —Hal Blaneのタム回しを聴きながら— 、Velonicaの歌声が生きるキメとして、プロデューサーであるSpectorが入れ込んだものなのかもしれない。

「Be My Baby」後のRonettesというと、第二弾「Baby, I Love You」では冒頭から「Whoa-oh, whoa-oh-oh-oh」が登場。その後の「Do I Love You?」「You Baby」「Walking In The Rain」と、必ず入れ込まれたVelonicaの「Whoa-oh」はVelonica、RonettesのトレードマークとしてSpectorが意図的に作曲家たちに仕込ませた、もしくは自ら仕込んだフレーズであったことだろう。80年代の日本でも、Spector-Ronettesを意識したと思しきガール・ポップのうち、中村俊夫・沖田優司による原めぐみ「涙のメモリー」や大瀧詠一による松田聖子「一千一秒物語」、こののちの89年は小西康陽による須藤薫「つのる想い」などでVelonicaの影響を感じさせる「Whoa-oh」が登場する。


***


坂本九といえば、「上を向いて歩こう」で日本人初の全米一位を記録した和製ポップス史上に残る偉大な歌手のひとりである。ダニー飯田とパラダイス・キング在籍時の「ステキなタイミング」でも印象的なファルセットを聴かせていた坂本だが、ソロデビュー曲となる「上を向いて歩こう」もヒーカップ唱法で、日本語を崩して歌われるヴォーカルが印象的だ。初演をステージで聴いた作詞の永六輔は、歌詞の崩され方に戸惑いを隠せなかったという。

六輔はその歌を聞いて耳を疑った。
「ウォウォウォウォ」とは何だろう。
九の声も緊張して上ずっていた。
六輔の耳には……
「ウヘフォムフヒテ
 アハルコフホフホフホフ」
なんだこの歌は!
「ナハミヒダガハ
 コッボレッヘェナハイヨフホフホフニ」
六輔は九がふざけているとしか思えなかったが、舞台の袖からみていると、九は前傾姿勢の直立不動、しかも足がガタガタとふるえている。
(永六輔「六・八・九の九 坂本九ものがたり」中央公論社、1986

特に歌詞カードの「歩こう」「こぼれないように」の部分は実際には「あーるこow wow wow wow」「こーぼーれ、なーいよow wow wowに」と歌われている。佐藤剛「上を向いて歩こう」岩波書店、2011では、中村八大がロカビリー歌手・坂本九の魅力を最大限に生かすために、Wow Wowの箇所を起点にこの曲を作ったことが示されている。中村から坂本へ楽曲提供したい、と声をかけられた事務所マナセプロの担当マネージャー曲直瀬信子は、中村にこのようなオーダーをしたという。

曲直瀬信子「九ちゃんにはチャンスだと思ったんです。だから八大さんにプレスリーのシングルなんかを届けて、聴いてもらいました。(略)何しろ九ちゃんは音域が狭いから、ファルセット・ヴォイスの特徴をうまく出してほしかったんです。」
「それで当日、八大さんのお宅に行くと、『上を向いて歩こう』の譜面を渡されました。そのまま八大さんはどこかへいなくなってしまって、とにかく忙しかったんですね。でも渡された譜面を見るとすぐに特徴がわかりました。『オゥオゥオゥオゥ』の部分の意味することもわかりました。九ちゃんは音域が狭いので、ファルセットを生かして欲しいと頼んでいたんです。とても嬉しかったですね。以前の打ち合わせで、私が思っているプレスリーの特徴とかを、八大さんに一生懸命に説明していたことが、そこには生かされていましたから」
佐藤剛「上を向いて歩こう」岩波書店、2011

同書によれば、この部分をヒーカップ唱法で、裏声を交えながら歌うことだけは中村の作曲段階で既に考案してあったようで、レコーディング時も中村から坂本への指示というとこの箇所だけはうまくやってくれ、程度だったという。作者の中村にとって、この曲の肝はWow Wowの部分だったというのがわかるエピソードである。

なお、桑田佳祐史的に重要人物のひとりである宮川泰はザ・ピーナッツ初のオリジナル曲「ふりむかないで」を書き下ろすにあたり、楽曲自体はPaul Anka「Diana」のコード進行を基にしながらも、レコーディング時に「上を向いて歩こう」のWow Wowの箇所をヒントに冒頭の「イェイイェイイェイイェイ」を入れ込んだという。(宮川泰「若いってすばらしい 夢は両手にいっぱい 宮川泰の音楽物語」産経新聞出版社、2007)


***


さて、そんなことを考えながら「悲しい気持ち」を聴いてみると、桑田の曲でここまで「Wow Wow」「Whoa-oh」が頻発するのも珍しいことに気づく(要所要所、都合8回の登場だ)。おそらく、Ronettesをきっかけとし、洋邦のロックンロール、ポップ・クラシックの美味しいポイントとして、意識的に取り入れたのではないだろうか。もっと突っ込んでしまうと、タイトル部分「Just a man in love」直後の下降する「oh yeah-eh-eh-eh-eh」のメロディはそのまま「Be My Baby」の「Whoa-oh-oh-oh-oh」にシンクロしている(シンプルにGFEDC・ソファミレド、ではあるのだが)。

コード進行もシンプルで、メロディもそれまでの桑田らしいアクはどちらかというと控えめ、端正な仕上がりである。冒頭は多少Ronettes「You Baby」(これはPhil Spector-Barry Mann-Cynthia Weil作)の香りもしなくもない雰囲気だが、たぶんこの曲のベースにあるのは特定の作曲家というよりは、Velonica、Ronettesを起点とした「ポップ・ミュージックへの愛」ということなのだろう。そこまで仰々しい展開もなく、明るくも切ない、甘酸っぱいメロディが淡々と、あっさりと過ぎ去るように展開される、まさに「たかがポップ・ミュージック」を体現するような楽曲だ。

驚くべきことに、「悲しい気持ち」はこのソロ用に気合を入れて作られた曲ではなくストックであり、Kuwata Bandのシングル用セッションで既に一度トライしていたということが近年明かされている。
— 当時の楽曲製作のエピソード等覚えていらっしゃいますか。
「これね、Kuwata Bandってのがありまして、これソロの前の86年なんですけど、ソロは87年でしょ?でもね、86年の時にね、ちょっと作ってあったんですよ。でKuwata Bandで、1回やったことあったんですよ。」
— じゃあもしかするとKuwata Bandの曲になったかも…
「なったかもしれないけどあんまり歌詞とかもこうちゃんとできてなかったのか、不完全なものでちょっと一旦横に置いておいてね、「Ban Ban Ban」とかそういう曲を、Kuwata Bandでやったんだと思うんですけど。」
(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」Tokyo FM, 2021.10.9.)

世が世ならKuwata Bandのシングルとしてリリースされていたかもしれないと思うと、この時期の桑田の湧き出るメロディ・メーカーとしての恐ろしさに驚愕する。そういえばKuwata Bandのライブではシングル曲のコーナーに混じっていささか唐突に「Be My Baby」(『Rock Concert』収録)も取り上げられていた。ひょっとしたら当時の「悲しい気持ち」もあのDavid Foster風にエレピが八分を刻むアレンジだったのだろうか。

前述の「Be My Baby」が作曲時点では三拍子だったのでは…という高橋健太郎の推測ではないが、「悲しい気持ち」もソロ・セッションで取り上げるまではSupremesな16ビートではなく、Ronettesな8ビートの楽曲だったのかもしれない。となると発想の起点はBilly Joel「Say Goodbye To Hollywood」あたりだろうか…、などと想像が膨らむ。そういえば「Ban Ban Ban」も70年代Geroge Harrison風ウォール・オブ・サウンドの80年代解釈、と言えなくもないようなディレイを効かせたサウンドでもあったが…。86年初頭、「ロック」モードにシフトしようとしつつも、どうにも隠せない桑田のポップス志向が既にウズウズしながら顔を覗かせていた…ということになるのだろうか。


***


初となるソロ・セッションの初期段階では、桑田がTR-707・ギター・ベース・キーボードを使いひとりで製作したデモテープをもとに進められたという(「Sound & Recording Magazine 1988年8月号」リットーミュージック、1988)。このあたりの模様は次回、詳しく見ていきたい。


2022年10月2日日曜日

1987 (2) :ポップ・ミュージック宣言

87年10月2日、朝日新聞夕刊に桑田のソロ・デビュー・シングルリリースにあたっての全面広告が掲載される。桑田の顔面アップとコピー、そして小さく声明が添えられている。

 僕はミュージシャンである以前にポップ・ミュージックの聞き手でした。そして今だに聞き手である自分を満足させるために曲を書いているような気がします。
 ポップ・ミュージックは他人の為の音楽です。何より聞き手にとって楽しいものでなくては駄目なのです。だからミュージシャンとしての快感も聞き手が喜んでくれる視線の中でしか確かめられません。だけど、そんな音楽だから、人種や年令、あるいは考えかたを超えて、たくさんの人に同じ快感を与えるというマジックを作りだせるのでしょう。
 たかがポップ・ミュージック、そう自分を励ましながら曲を書く事によって、僕の音楽はきっと自分だけの満足に終らず、皆さんに楽しんでもらえる方に向かって歩んでいけてるのでしょう。これからソロとして、あるいはサザンの桑田として歌う時も、そうしたテレパシーとしてのメロディーが貴方へ届くことを祈ります。
サザンオールスターズ 桑田佳祐
(「悲しい気持ち」各種広告 ビクター音楽産業/アミューズ、1987)

Kuwata Band、Hall & Oatesとの共演を経たうえで、なぜ「ポップ・ミュージック」でソロ活動を始めるという方針になったのか。いささか唐突感があるような気もするが、背景を紐解くと、それぞれの経験を踏まえての結論だったようである。

「まずひとつにはバンド活動の反動が大きかった。サザンでやって、KUWATA BANDでやって、どちらも楽しいんですけど、さすがに集団で動くことが面倒くさいというか、食傷気味に思えてきちゃって(笑)。自分でやっておいて悪いけど『そろそろ一人にしてくれよ』という気分になっちゃったんですよね。あとはKUWATA BANDで『これからはロックだろ』とか言っちゃったけど、なんかちょっと無理していたかなという反省もかなりあってね。」
(「Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、2012)

— ソロ・アルバムを作ろうと決めたのは、いつ頃だったんですか。
「去年の4月にNYに行った時、ホール&オーツのレコーディングを見たんだけど、その時、彼らにすごく刺激を受けたのね。彼らにとっては約3年ぶりのレコーディングだったんだけど、とても自然にやっていたというか、等身大の自分たちに近づこうとしているって感じだった。なんて言うか、無理にコンテンポラリーなところにいようとしてないし、昔にすがろうともしていない。古いものの流れと新しいものの流れが彼らの中で大きな渦を巻いているとような、そんなふうに見えたの。で、あとで彼らのでき上がったアルバムを見たら、そこには"future classics"と言うボディ・コピーがついてたんだけど、それを見た時、なるほどなって思ったの。あ、これがポップスというものなんだ、と。ロックというプロパガンダの世界じゃなくて、ね。彼らのレコーディングを見て、やっぱり等身大っていうのはイイなあって思った。」
「最初はKUWATA BANDが終わったら、サザンを再始動しようと思ってたんだけど、その前にひとつのキッカケというか、自信みたいなものが欲しかったの
。というのは、KUWATA BANDでは全曲英語のアルバムを作ったわけだけど、結局あれはどういう評価を得たんだろうってことを考えたのね。今になってみて、いまひとつ自信がない、と。それに俺という存在は、いったいなんだろうって思った。サザンを休養してた時にね、もちろん俺はサザンのメンバーであり、ボーカリストなんだけど、そうじゃない自分の姿、裸の自分の姿をここで見せなきゃシャクにさわると思って、ソロ・アルバムを作ろうと決心したの。」
(「GB増刊 Volume 1 Vol.4 1988 July」CBSソニー出版、1988

「だから限定するんならポップスって言い方の方がいいやって気がするしね。自分はついつい色んなことをやってしまうから、音楽の中で。だからロックって断って失敗したなって思う、俺は。メロディー弱くなっちゃったかな、とかね(笑)」
(「Rockin' On Japan 1987年11月号」ロッキング・オン、1987
 / 「ロッキング・オン・ジャパン・ファイル ロッキング・オン3月号増刊」ロッキング・オン、1988)

1986 (3) :Nippon No Rock Bandへの批判と反論の終盤で引用した箇所でも語っているが、とにかくサザンを復活させる前に、桑田個人としての、Kuwata Bandのアルバムへの批判を受けての反省とリベンジ、というのがこのソロレコーディングのきっかけになっているのがわかる。「ロック」との距離感、英語詞とそれによるヴォーカルのドライブ感、作曲への時間のかけ方…等。

さらにはHall & Oatesの、ルーツミュージックへのプリミティブな愛と、同時代的なものへの目線のバランスに共感したということも大きいのだろう。そういえばNYレコーディングを経て、「勝手にシンドバッド」が最高傑作であることに気づいたとも語っている(「Playboy日本版 1987年7月号」集英社、1987)。自身のルーツ、初期衝動の側にはどんな音楽があったのか…というところに立ち返ろうという意識もあったはずだ。


***


日本国内製作のポップ・ミュージック、ポップスというカテゴリは、80年代前半の一部音楽雑誌を見ると「フォーク」に対する「ロック」に相当するような扱いで、カウンター的に「ニューミュージック」に対抗するもの、として使用されているものをいくらか見つけることもできる。

70年代がフォークを中心としたニューミュージックの時代だったとすれば、80年代はロックがメインのポップミュージックの時代になる、と予測する人は多い。
(「週刊明星 1980年3月10日号」集英社、1980

少しずつではあるけれど日本の真の意味でのポップスというものが育ちつつある。ひと頃、「ニュー・ミュージック」という、フォークなんかも含んだいやらしい言葉が盛んに使われたが、もう、そんな手垢にまみれた言葉を捨てるべきだろう。(市川清師
(「ミュージック・ステディ 1982年4月号」ステディ出版1982
市川清師「僕たちが支持するポップスはあくまでも<ロック・スピリットを持ったポップス>のことだということを明言しておきたい。もうフォークやニューミュージックが死語になりつつある、いや、なったというのは音楽業界の常識だと思うんだ。」
(「ミュージック・ステディ 1983年3月号ステディ出版、1983

死語になったかどうかというと実際は、「Jポップ」という言葉が浸透する90年代初頭までは、レコード店など国内製作ものを大きく括る言葉としては「ニューミュージック」が残り続けるのだが、それは置いておいて…
ここで「ミュージック・ステディ」誌がポップスのミュージシャンとしてインタビューしているのは佐野元春・伊藤銀次・山下久美子・村田和人・鈴木雅之・Epo…と、その裏にナイアガラの影が透けて見えるような人選だ。
同誌で杉真理はこんな発言をしている。
杉真理「今だからこそ「ポップスをやってる」なんて大見得を切って言えるけども、ちょっと前までは「ポップス」なんて言ったら、「軟弱だ」といわれて、馬鹿にされましたからね。僕の大好きなポール・マッカートニーにしても、「結局、あいつはポップスがやりたかったのさ」なんて、非常に軽蔑的な言い方をされて……。当時は、ポップスって言うと、トム・ジョーンズとか、エンゲルベルト・フンバーディングとか(笑)、そう言うニュアンスしか無かったからなあ。」
(「ミュージック・ステディ 1983年3月号ステディ出版、1983

桑田自身はというと、やはりデビュー以来、杉の発言と似たような空気は感じていたようだ。
— それにしても面白いのは、サザンだってこの当時すでに古今東西のエッセンスを凝縮した”ポップス”だったのに、ソロを契機に桑田さんがようやくポップスという記号性に対して自覚的になったという点ですね。
「最初は”手がかり”でした。サザンのデビュー当時、ポップスという言葉はしばしば差別的というか、少々時代遅れ的な意味合いで使われることもあったし、やっぱり褒め言葉は何だかよくわからないけど『ロックだね!』だった(笑)。あとは”フォーク”とか、”ニューミュージック”の方が、ジャンルとしては何となく分かり易いというか、確立された感もあって。だから僕から見るとフォークの人やユーミンなんかは、確固たる信念を持っている感じがした。歌詞も自分のメッセージを織り込んで、時代の匂いを言い当てたり、ファンへの『お前ら俺についてこいよ』という姿勢も感じられた。ところが僕にはそういうものが全くない(笑)。もちろんサザンの桑田として藻搔いてたことは事実だけれど、実は僕、”サザンの桑田”という呼ばれ方が一番嫌でね(笑)。なんか”お向かいのおじいちゃん”みたいで(笑)。自分が何者で、世間から、メンバーから、何を期待されているのかがさっぱり分からない時代だった。只の無自覚な音楽ファンだったんです。
(「Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、2012)


***


ポップ・ミュージック、ポップスをやるにあたってのサウンド・コンセプトについては、レコーディングを始めるにあたり特に具体的なものや、目標としたものは考えていなかったようだ。当初はとにかく幅広い世代、多くの人に聴かれる・メロディ重視・コードもシンプルに、ということで、編曲以前に作曲を重視している様子が窺える。

「ポップソングを認知する人たちというのは、たいていがレコードをそんなに買わない、要するにサイレント・マジョリティというか、そういうものだと思うんだよね。オリコン関係者じゃないけど、潜在的ユーザーとかサイレント・マジョリティというのは、ぜったいにポップソングに欠かせないものなんだよね。
 例えば、主婦向けに音楽やりたいと思ってるわけ。主婦でもいいし、年増でもいいんだけど、やっぱり成熟した人というのを説得しないとさ、彼らが楽しめて共感できる言葉じゃないと、その音楽ウソだなと思うのね。
 いま、30過ぎた中産階級といわれるかもしれない人々が、ココロの拠り所を自分の音楽に向けてくれたら、なんて素晴らしいことだろうと思う。俺、自分の音楽のこと、中産階級のババアどもに聴かせる音楽じゃねえよ、とは思わないの。」
「ポップスというのは、サーファーのための音楽とか、ワンレン・ギャルをイテコマすための音楽とかそういう部分ばかりじゃなくて、ある種の日常のテンションでいいと思うんだよね。街を歩いていて、”ちょっといい女だな”とか、昔を懐かしむみたいな…俺たちの日常って決して退屈ではないでしょう。」
「だからサイレント・マジョリティという特徴のない人たちに対して俺が歌いたいのは、うーん、なんら特徴のない音楽かもしれないね。ただそれは、反戦とかなんとかってのと違って、いいわけのきかない音楽なんだ。そのニュアンスをうまく言えたら、きっといいコピーライターになれるかも知れない。」
(「エスクァイア日本版 1987年12月20日号エスクァイアマガジンジャパン、1987

「あと、生ギターで弾ける曲ね。これです。生ギターかウクレレで弾ける曲。」
— ウクレレ?
「そう。ウクレレ持つと加山雄三の曲が出てきちゃうんだよねー。あれ、すごいと思う。ウクレレ弾いて、♪もーしもォこの船で……とか歌ってると、なぜか人に聞かせたくなるしさ。一緒に歌を共有したくなっちゃうの、誰かと。俺の場合は女房だけどさ。原坊が夜中に寝てるときでも、俺起こしちゃうもん。俺のオリジナル聞かせるんじゃなくて、
♪もーしもォこの船で……って聞かせるためにね(笑)。輪が生まれるわけよ、ウクレレと歌と、あと明星の歌本さえあれば。歌詞の上にパァーっとコードの押さえ方も書いてあって。そういうのやりたいの。今回のソロアルバムはその方向だね。それしかできないからさ、俺には。アパートの勤労学生にも俺の歌を届けたい、と。」
— 人々の唇に歌を。
「そうそう。もう一度、唇に歌を、頬に涙を、三世代に輪を……ね(笑)。」
(「宝島 1987年11月号」JICC出版局1987)


***


冒頭の桑田の声明、特に桑田ソロと限定しているわけでもなく「サザンの桑田として歌う時も」とも記されている。手探りでありきっかけだったと本人は振り返っているが、2001年のベスト盤『Top Of The Pops』、2020年の連載コラム・2021年の著書「ポップス歌手の耐えられない軽さ」など、現在に至るまで意識的に「ポップス」というワードが使われている。ミュージシャン・桑田佳祐の立ち位置をポップス、ポップ・ミュージックに置いた瞬間が、この87年ソロ活動スタートのタイミングだったといえよう。現在から振り返ると、桑田の長いキャリアの中でも、活動コンセプトのターニングポイントだったのである。


2022年9月6日火曜日

1987 (1) :他流試合 in NY

87年2月9日、1年間の期限付きで結成されたKuwata Bandは予定どおり日本武道館公演を持って解散する。各所から期待されるサザンの復活!…とはならず次に桑田がトライしたのは、充電のため渡米、というのは建前で、日本コカ・コーラのキャンペーン用楽曲を、ニューヨークでDaryl Hall & John Oatesとレコーディング、MVの撮影まで行うというものであった。

もちろんそれまでも桑田の視野には海外進出という要素は入っていたはずで、まずはこれまでの海外関連のトピックを振り返ってみたい。


***


まずは83年に渡米し、ニューヨークで数名のミュージシャンやエンジニアと会っている。特にレコーディング・エンジニアとしておなじみBob Clearmountainに『綺麗』を聴かせた際の反応は堪えたようだ。
桑田「そう。特に2回目に行った時は目的を持って行ったから。向こうのアーティストに会わなきゃウソだってことで。で、ヒュー・マクラケンとか、シックのナイル・ロジャース、ミキサーのボブ・クリアマウンテンとか。あと佐野元春にも会ったしね。」
(略)
桑田「でね、やっぱりいちばん鮮烈だったのは、ボブ・クリアマウンテンに『綺麗』を聴いてもらったのね。向こうのスタジオで。パワー・ステーションってとこで。」
− ボブって、ブルース・スプリングスティーンとか、ブライアン・アダムズとか、あとホール&オーツとかのエンジニアやってる人だよね。
桑田「そう。そしたらさ、けっこうみじめな音してるわけよ、『綺麗』が。ほら、向こうのスタジオのスピーカーって音がモコモコでさ、ぬけてこないんだ、音が。並たいていのことじゃぬけてこない。江の島の“ジャパン・ジャム”に出たときも同じような経験したんだけど、あのとき俺たち、ハートって向こうのバンドのモニター使ったのね。と、俺の声がモニターからぬけてこないんだ。それと同じでね。で、まあモロモロあってね、どうもいかん、と。いろいろ言われたんだけど、ボブ・クリアマウンテン氏が最終的にね、「やっぱりセンスですな」って言うわけよ。「血ですな」って。それ言われたら、俺、困っちゃうじゃねえかって思ったの。」
− 笑えないね、それは。
桑田「俺はさ、もっとね、こう、ミックスダウンのテクニックとかさ、エコーの使い方とか、そういう技術上の問題を訊くつもりで行ったわけ。江夏が金田にカーブ教えてもらいに行ったようなもんでね。ボールの縫い目のどの辺に指かければいいんですか?みたいな感じで。ところがそうじゃないんだよね。ボール握った瞬間から、もういきなり血とかセンスとか、そういう歴史の深い問題になってしまったという……。」
(略)
桑田「だけどボブ・クリアマウンテンの言葉がね、「あとはセンスだよ、キミ」って言葉がね……もう、すいませんとしか言いようがないもんねえ。で、なんでそんな問題にぶちあたるかっていうと、やっぱり俺たちは向こうの連中みたいな音楽をやりたいからなんだよね、ぜったい。それがスタートだったし、行く末もそれで行きたいって願ってる部分があるから。」
(桑田佳祐「ロックの子」講談社、1985)

84年は4月にアミューズがAmuse America Inc.をニューヨークに設立。事務所の活動範囲拡張に伴い、サザンも早速海外レコーディングを敢行。『人気者で行こう』リリース後の9月、1ヶ月をロサンゼルスで過ごし、シングル「Tarako」のレコーディングとミュージック・ビデオの撮影を行っている。録音はRecord Plantにて、エンジニアはMichael Braunstein。共同アレンジャーは当時のPointer Sisters、Smokey Robinson作品でのシンセ・プログラミングや、同年ではGeorge McCrae「Own the Night」のプロデュース&アレンジを担当しているPaul Foxを迎えている(Foxの当時のスタイルよりはバンド寄りの音作りだ)。しかし、リリース直後から後年に至るまでこのセッションについてはほとんど言及されることもなく、あまり前向きな手応えのあるレコーディングとはならなかったのかもしれない。

翌85年、『kamakura』直後の9月末にもとあるレコーディングに臨んでいるが、残念ながら形にするに至らなかったようだ。


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さて話を戻し87年。この企画は海外進出そのものではなく、あくまで日本コカ・コーラのキャンペーン企画であり、83年から継続している海外進出を視野に含めながらの様々なトライのうちのひとつ、といった位置付けのようだ。

共演相手として桑田・アミューズが白羽の矢を立てたのはDaryl Hall & John Oates。Hall & Oates自体は84年の『Big Bam Boom』、85年のライブ盤『Live at the Apollo』で一旦飽和状態、その後はデュオとしての活動を休止し、それぞれソロ活動に入っていた。
「きっかけはコカ・コーラなんですよね。何人か候補が挙がったり挙げたりしてたんですけど、ブライアン・フェリーとかいろんな名前が挙がってたんですよね。でもやっぱり、ダリル・ホール&ジョン・オーツが一番合ってそうだから……あの人たちだったら、なんか入って行けそうな気がしたんで。
(「Sound & Recording Magazine 1988年8月号」リットーミュージック、1988)

企画としては桑田側が一曲、Hall & Oates側が一曲をそれぞれ用意しNY —ということで実質Hall & Oates側の現場である— でレコーディング、互いにヴォーカルとして参加、MVも撮影、ということだったようである。どうも、Hall & Oatesはこの桑田/アミューズ /日本コカ・コーラのオファーによってデュオとしての活動再開を決めたようだ。
Daryl Hall「Actually see people from Japan call us... a Japanese musician named Kuwata called us and asked us if we wanted to do a project with him in Japan. So we thought that would be kind of an interesting way to get back together. So that's we did it.
(「The Tonight Show Starring Johnny Carson」NBC, July 21, 1988)


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桑田は松田弘を引き連れ4月に渡米。3曲ほど持参し、Daryl Hallの家で二人にデモを聴かせる。ここで方向性を決め、レコーディングに進んだようだ。
「でまあ、次の次の日かな、ダリルの家行っても、やっぱりダリルって人は、何かピーンってなってるから、みんなダリルの顔とこっちの顔をのぞき込むみたいな感じでさ。だけど、そこでテープを聞いたらさ、ダリルさん急に顔が変わっちゃったの、あのぜん息持ちが。急に自分の部屋に行って楽器持ってきたりとか、急に動き出しちゃって、『こんな感じ?』とかって弾いてみせたりするんだけど、キーボード下手なんだ、これが。で二曲めはスローな曲で、三曲めには遊びの曲も入ってたの。でも一曲めで完全にみんな満足してたから、三曲め聞く辺りではダリル・ホールもニコニコしちゃって、『この曲はダメでしょ、ガラクタだよ』って言ったら『そうだよねえ』なんて言って(笑)『一曲めいこう』って感じでさ
「僕が作ってった曲って、カッティングのギターが入ってたんだけど、日本人が解釈するとすごく今風に聞こえるんだけど、彼らは聞いてジェームス・ブラウンだって言うわけよ。でジョン・オーツは次の日一生懸命、ジェームス・ブラウンのレコード持って来てくれたりさ。好きなんだよジョンは。彼らも共通点を狙ってたんだろうけど、俺がそういう指向性なんじゃ無いかと思ったらしくて」
(「ロッキング・オン・ジャパン・ファイル ロッキング・オン3月号増刊」ロッキング・オン、1988)

この選ばれた一曲目というのが、「She's A Big Teaser」である。作曲は桑田、作詞はKuwata Bandからの流れでTommy Snyderと桑田の共作。

このレコーディング体制は、当時作られたプロモ盤7インチ(ビクター H-34)から以下のとおり。

Producers: 桑田佳祐、Daryl Hall & John Oates

Engineer: Michael Scott
Mixer: David Z

Vocals: 桑田佳祐、Daryl Hall & John Oates
Drum Programmer: Sammy Merendino
Percussions/Drum: 松田弘
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Pat Burchman
Recording Studio: Hit Factory, New York

編曲のクレジットは無いが、この音源が初商品化された2018年の桑田のMV集『MVP』には「編曲:桑田佳祐、Sammy Merendino & T-Bone Wolk」とある。ここから察するに、Hall & Oatesとアレンジの方向性を決めたのち、実際の作業はT-Bone WolkとSammy Merendinoに委ねられ、桑田と共にトラックを組み立てて行ったのだろう。T-Bone Wolkは81年にHall & Oatesのライブ、83年『H2O』からレコーディングに参加、アレンジャーとしても『H2O』以降のサウンド作りの要であった。MerendinoはHall & Oates関連作品としては初参加で、この流れでHall & Oates『Ooh Yeah!』に参加することになったと思われる。

同時に録音されたHall & Oates「Real Love」もほぼ同じメンバーで制作されている。以下コカ・コーラ景品用ビデオのクレジットより。

Produce: Daryl Hall & John Oates / 桑田佳祐

Engineer: Michael Scott
Mix: 
Michael Scott

Vocals: Daryl Hall & John Oates、
桑田佳祐
Drum Programmer: Sammy Merendino
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Paul Pesco, Jim Bralower

面白いのは、「She's A Big Teaser」のみミックスをPrince関連作品でもおなじみミネアポリスのDavid Zに依頼している点である。Hall & Oates作品では登場しないDavid Zにわざわざ依頼したのは、桑田のパフォーマンスを見てのインスピレーションからであろうか。
「で、歌入れする時に、向こうは単純だからさ、『ウー!』とか『アッ!』とか掛け声入れると喜ぶわけよ。ジェームス・ブラウンだぜ、とかラスカルズとか言われるわけ。だからそんなに違わないんですよね、ウー!やアッ!では。
(「ロッキング・オン・ジャパン・ファイル ロッキング・オン3月号増刊」ロッキング・オン、1988)

完成した楽曲は、マイナーキーで始まる80年代中盤USロック、ポップスといった仕上がりだ。David Zの骨太なミックスにより重厚な仕上がりとなっているのだが、このバージョンは前述のとおり2018年のMV集まで商品化されなかった。興味深いことに、桑田は日本での正式リリースに際しかなり手を加えている。翌88年、桑田のソロシングル「いつか何処かで」のB面に収録された「She’s A Big Teaser」のクレジットは以下になっている。

Arrangement: 藤井丈司、Sammy Merendino、T-Bone Wolk & 桑田佳祐

Vocal, Chorus: 桑田佳祐
Chorus: Daryl Hall & John Oates
Computer Programming: Sammy Merendino & 藤井丈司
Drums, Percussions: 松田弘
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Pat Burchman & 河内淳一


音を聴く限り色々追加・差し替えは行われているが、特にT-Bone Wolkのベースは全て藤井丈司のシンベに差し替えられている。そしてPat Burchmanのリードギターは残しながらも、カッティングのパートは全て河内淳一のキレのあるプレイに差し替えたようで、NYミックスより登場箇所も多い。また桑田のヴォーカルも差し替えられており、NYミックスではKuwata Bandから引き続きのハードでパワフルな歌唱だったものが、ソロ以降の丁寧な歌い方・発音で録り直されている。こちらのミックスはプロデュース・録音の記載がないが、92年のベスト盤『フロム イエスタデイ』では『Keisuke Kuwata』収録曲と一緒に「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」「Recording Engineered & Co-produced by 今井邦彦」とある。桑田のソロアルバムセッションと並行し、桑田と藤井を中心としてリミックス作業が行われたと推測される。やはり時間をおくと手を加えたくなるということもあろうが、ここまで手を加えるということは桑田の中で納得いかない部分も多かったということかもしれない。

なお同様に、「Real Love」も「Realove」と改題され、Hall & Oates & T-bone Wolkプロデュース・Chris Porterのミックスで88年4月のアルバム『Ooh Yeah!』・シングル「Everything Your Heart Desires」に収録、正規リリースされている。


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さて、実は桑田はこのコカ・コーラの企画に合わせてもう一曲自作曲をHit Factoryにてレコーディングしている。前述のインタビューで、Hall & Oatesに聴かせたデモについて二曲めはスローな曲で」と話しているが、これがのちの桑田のソロデビューシングル「悲しい気持ち」のB面に収められた「Lady Luck」だろう。作曲は桑田、作詞はTommy Snyder単独名義の英詞作品。こちらは結果的にコーラの企画とは別にレコーディングすることができたからか、ヴォーカルはJohn Oatesのみ参加で、「She's A Big Teaser」「Realove」とはまた別のメンバーによるセッションである。以下、シングル盤掲載のクレジットより。

Arranged by 桑田佳祐、Jimmy Bralower、Jeff Bova

Vocals: 桑田佳祐
Keyboards, Synthesizer: 
Jeff Bova
Computer Programming: Jimmy Bralower
Acoustic Guitar: 河内淳一
Backing Vocals: John Oates
Backing Vocals: Tommy Snyder

Engineered by: Josh Abbey、今井邦彦
Assist. 
Engineered by: Craig Vogel
Mixed by: 今井邦彦
Recorded at: The Hit Factory, New York, Victor Aoyama Studio, Tokyo

サウンド作りを担ったのはJeff Bova & Jimmy Bralower。Kurtis Blowのファーストからドラムで参加していたBralowerと、初めてBovaが共演したのがBlow『Tough』(1982)で、それ以降のBlowの作品に連続で参加。86年のCyndi Lauper『True Colors』では10曲中8曲のアレンジ/演奏・プログラミングを担当。1987年当時だとAztec Camera「More Than A Law」などもこのコンビの仕事である。
BralowerはHall & Oates『Big Bam Boom』からHall & Oates関連作品に連続して参加。Bovaも当セッションの流れでHall & Oates『Ooh Yeah!』に参加することになる。Bovaは同年の坂本龍一『Neo Geo』、Bova & Bralowerとしては角松敏生「Girl In The Box」(1984)「Remember You」(1988)などを手掛けるなど、日本のミュージシャンとも縁のある二人であった。

そんな面々でのレコーディングは、桑田による、おそらくDaryl Hallソロなどに見られたメロウな感覚を反映した楽曲と、Bova・Bralowerの両者によるシンセ・サウンドがうまくマッチした珠玉の出来だ。個人的にはこういったSophisti-pop路線で料理された桑田というのももう少し見てみたかった気がする。後半で登場する「Need Your Touch〜」のヴォーカルはJohn Oatesの歌のピッチを上げたものだろう。

こちらも『フロム イエスタデイ』では「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」とある。NYミックスは公開されていないが、日本でミックスするにあたってはセンターで鳴っている河内のアコギやTommy Snyderのコーラスのダビング、桑田の歌を録り直している程度と思われ、「She's A Big Teaser」とは違いNYでの録音時とさほど変わっていなさそうだ。そういった点から、桑田としてはどちらかというとこちらのレコーディングに手応えを感じたのかもしれない。キーボード・プレイヤー、ドラム・プログラマーとの3者体制の製作など、録音スタイルはこの後の桑田に影響を与えていると思われる。


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後年、桑田は当時のことをこう述懐している。
バブルとその前後で、日本全体が浮かれていたことの影響もあったのでしょう。日本人のポップスやロックが、海外でも通用するんじゃないかという期待も抱きました。それで、全編英語で歌う曲をつくったり、外国人のレコーディング・エンジニアを起用したり、向こうのアーティストと一緒に演奏したりということも、積極的にチャレンジしました。
でも僕なんか海外に出てみて、じつはかなり自信を失ってしまったんですけどね。やっぱり向こうの流儀の真似をしているようでは、太刀打ちできないのは当然です。これはものが違うぞ、と壁を感じました。
(「文藝春秋 2018年10月号」文藝春秋、2018)


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桑田・松田は6月5日に帰国。原由子のシングル用レコーディングを経て、7月より、桑田ソロ名義のレコーディングが開始されることとなる。






2022年5月3日火曜日

番外編 :その後の「ケースケランド」

「ケースケランド」は、1981年より集英社「Playboy日本版(月刊プレイボーイ)」の音楽コーナーに連載された、桑田によるレコード評コラム。毎月、基本的に新譜中心の洋楽アルバム一枚についてが下ネタを交えた桑田のユニークな文体で綴られる、という内容であった。初回のお題はJohn Lennon & Yoko Ono『Double Fantasy』。

1984年11月号(Beatles『The Beatles』)までの分が84年12月に単行本化され、85年12月号(Stevie Wonder『In Square Circle』)までの分を追加した文庫版が86年2月に、いずれも集英社から出版された。しかし実際はこの後も87年まで連載は続いており、それらは2022年現在まとめて出版されていない。今回はそれらのお題を並べながら、桑田をとりまく時代の雰囲気というものを眺めてみたい。

87年からは音楽コラムコーナーから独立し、2〜3ページのエッセイの連載として「日々あれこれケースケランド」に改題。タイトル通りアルバム評に拘らず、単なるエッセイ的な回も登場するようになっている。


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1986:  ケースケランド
1986年1月号 「今月はJ.レノンの新譜だぜ」 John Lennon『Live In New York City』
1986年2月号 「今月の新譜はR.ストーンズ」 Rolling Stones『Dirty Work
1986年3月号 「今月はコステロだぜ」 Elvis Costello『King Of America
1986年4月号 「俺だってボレロを聴きながら、殺してみたい。」 L'Orchestre De La Suisse Romande couducted by Ernest Ansermet『Ansermet Conducts Ravel』
1986年5月号 「麗しのマドンナとのSM同日選挙ながらシンディは頑張った」 Cyndi Rauper『True Colours
1986年6月号 「「長い夜」のシカゴの新譜をふたりの音楽人が鑑評する」 Chicago『Chicago 18※w/河内淳一
1986年7月号 「'80年代の筋金ロック“ZZトップ”を聴く」 ZZ Top『Afterburner
1986年8月号 「今月はトム・ウェイツだぜ」 Tom Waits『Rain Dogs※代筆:大森隆志
1986年9月号 「今月はG.ジョーンズだぜ」 Grace Jones『Slave To The Rhythm
1986年10月号 「初夏ならばスイカ食わんとふたりでドライブ…P・ベイリー」 Philip Bailey『Inside Out
1986年11月号 「80年代ロックの正解 フィルの“ジェネシス”」 Genesis『Invisible Touch
1986年12月号 「男のロックって何だ!正しいロックを知れ!」 John Eddie『John Eddie

1987:  日々あれこれケースケランド
1987年1月号 「不倫の街に、ジョン・レノンを聴く。」 John Lennon『Menlove Ave.』
1987年2月号 「ちょっと売れてしまったオレの、10大ニュース。」 (アルバムなし:86年の活動の振り返り)
1987年3月号 「観てくれた?オレの初のプロデュースTV番組 今回はそのウラ話からスタートしよう。」 (アルバムなし:TV番組「Merry Xmas Show」について)
1987年4月号 「全国コンサート・ツアーも一段落。頭の柔軟体操にはレゲエが一番…」Taxi Gang Featuring Sly & Robbie『Taxi Connection - Live In London』
1987年5月号 「ウらやましいほど、マとを得ていて、イき、それがロバート・クレイの“音楽”だ。」 Robert Cray『Strong Persuader
1987年6月号 「「テレビ大学」番外編 私がテレビと仲よくなれる日。これはテレビに出る人のマニュアルです。」 (アルバムなし:当時「ニッポンTV大学」でいとうせいこうと共にパーソナリティを務めていた関口のエッセイ)※代筆:関口和之
1987年7月号 「H, O & K。どんな化学反応がおきるかな?」 (アルバムなし:Daryl Hall、John OatesとのNYレコーディングについて)


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87年7月号のNYレコーディング報告では、どこにも連載終了とは謳われていないが、翌8月号以降、「ケースケランド」は掲載されることはなかった。Hall & Oatesとの共演をもって、長年続いた桑田の洋楽レコード評は幕を閉じたのであった。



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(2023.5.4. 追記)
87年のHall & Oatesとの共演を最後に、桑田の洋楽コラム・エッセイは幕を閉じ、新たな局面に進むのだった…といった流れでうまく話が次の記事に繋がったと思っていたところ、なんと実際は連載が89年まで継続していたことを確認。エッセイ編が終わった2ヶ月後の87年9月号よりまた音楽コラムコーナーで再開、しかも周囲の他コラムと異なり無署名(!)という謎のスタイルで89年7月に最終回を迎えている。初回記事公開から1年後となってしまったが、お詫びと訂正を兼ねて、その後の情報をさらに追記したい。


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1987-89:  ケースケランド コラム版 K-SUKE LAND
1987年9月号 「これぞH&Oとの友情ある出会いだった!」 (アルバムなし:Daryl Hall、John OatesとのNYレコーディングについて)
1987年10月号 (休載)
1987年11月号 「まいった!オレの「思い込み」を裏切ったグレートフル・デッドの新作。」Grateful Dead『In The Dark
1987年12月号 「政治家を目指すのは、まだまだやめてくれ、ブルース!」 Bruce Springsteen『Tunnel Of Love
1988年1月号 「"ビートルズみたいな人" VS "ビートルズらしい人"」Paul McCartney『Choba B CCCP』『All The Best!
1988年2月号 「先輩の蹴りとツェッペリンとオナニーを経由した後のザ・バンド」 Robbie Robertson『Robbie Robertson
1988年3月号 「黒人のチャック・ベリー坊さまがギターで読経にふけった三十年の迫力!」 Chuck Berry『Hail! Hail! Rock 'n' Roll
1988年4月号 「手に負えないと思いつつも、こんな女と付き合いたかった…。」 Nancy Sinatra『The Hit Years』
1988年5月号 「今の俺に欲しいのは爆走セックスのようなワイ雑さだ!筋肉丸出しの馬鹿野郎プロレス、万歳!」 Ted Nugent『If You Can't Lick 'Em... Lick 'Em
1988年6月号 「"火の玉小僧"吉村道明の等身大サウンドがロン・ウッドにオーバーラップする!」 Ron Wood & Bo Diddley『Live At The Ritz』
1988年7月号 「桑田クンも参加した、あのホール&オーツの新譜ついに完成!」Daryl Hall John Oates『Ooh Yeah!
1988年8月号 「桑田佳祐、サザン11年目への出発宣言。応援してくれよう!」サザンオールスターズ「みんなのうた
1988年9月号 「桑田無念のダウン!と、その瞬間ロード・マネージャー相馬がリングに大乱入!」 Huey Lewis And The News 『Small World』 ※代筆:相馬信之
1988年10月号 「雨の中でもSAS復活コンサートは快調に全国進撃中!来てくれたみんな、ありがとう。」The Gregg Allman Band『Just Before The Bullets Fly
1988年11月号 「ツアーにあけくれた夏も終わり、"マジメな秋"の再来をグレン・フライの新婦に感じる私です。」 Glenn Frey『Soul Searchin'
1988年12月号 「ストーンズのトラック・ダウンは、実はこの人が全部決めてた!? キースのソロを聴いてくれ。」  Keith Richards『Talk Is Cheap
1988年1月号 「自粛ムードの中、ささやかに行われたハズのホール&オーツとの即興セッションの真相とは!?」Tommy Conwell And The Young Rumblers『Rumble
1989年2月号 「なにを言っても嘘っぽくなってしまったこの時代にあのCSN&Yが再編成……」Crosby, Stills, Nash & Young『American Dream
1989年3月号 「とにかく許せないCMが多い!人のフンドシで相撲をとるな!」 アトランティック・ソウルCDコレクション
1989年4月号 「この人の死にさいし、もう一度ロックという念仏を唱えたいクワタです」 Roy Orbison『Mystery Girl
1989年5月号 「サザンの新曲『女神達への情歌』、クワタ監督の映画!平成元年もフルスロットルでいくぞ〜」Bruce Springsteen『Video Anthology 1978-88』
1989年6月号 「前田日明が"デカさ"を暴露したジョージ高野戦の真相を、ワタシ桑田が教えよう!」Cheb Kader『Rai』
1989年7月号 「9年間ご愛読ありがとう!桑田も、ケースケランドを卒業します!」Richard Marx『Repeat Offender

2022年4月9日土曜日

1986 (5) :他流試合 in 東京

86年12月24日、桑田が中心となった音楽番組「Merry X'mas Show」が日本テレビ系で、青山某所(Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、201の桑田インタビューによると、おなじみビクタースタジオ)からの生中継(一部は事前収録)でオンエアされた。

番組冒頭の桑田の発言によると86年3月頃、吉川晃司との酒の席で何かやろうということになった…とのことで、出演者は吉川からボールを受け取った桑田の人選、交渉で集められた。出演者は明石家さんまの司会で、Kuwata Band、アン・ルイス、松任谷由実、原由子、中村雅俊、泉谷しげる、鮎川誠、ARB、吉川晃司、Tommy Snyder、Boøwy、The Alfee、依田“Dekapan”稔、Sue Cream Sue、チェッカーズ、中村雅俊、小倉久寛、三宅祐司、Super Eccentric Theater、忌野清志郎、山下洋輔、鈴木雅之と、バラエティに富んだ顔ぶれ。この面子で洋邦のロック〜ポップス・クラシックを料理していくという、観る側も演る側も楽しい音楽番組であった。最終的に番組出演はなかったが、吉田拓郎や小田和正にも桑田が直接出演交渉を行っており、佐野元春は出演予定だったものの、体調不良で急遽当日に欠席となってしまったことが近年明かされている桑田佳祐ポップス歌手の耐えられない軽さ」文藝春秋、2021)

番組用に作られた「Kissin’ Christmas(クリスマスだからじゃない)」は桑田作曲・松任谷由実作詞というこの時限りの珍しい組み合わせによるもの。政治・経済的な混乱を避けるため、リアルタイムでのレコードのリリースは行われず、桑田佳祐 & His Friends名義のプロモ盤7インチのみが存在する。2012年の桑田のベスト盤『I Love You -Now & Forever-』でようやく商品化された(ここではオリジナルの今井邦彦ミックスではなく、新たに中山佳敬によってアナログマルチからリミックスされたバージョンが収録されている)。

番組でのサウンド作りはというと、基本的には出演者またはKuwata Band、もしくはKuwata Bandのメンバーがアレンジャーとしてクレジットされているが、2曲は番組自体には出演していないアレンジャーによるものであった。両曲とも桑田の視点からという意味で人選が興味深い。

1曲は泉谷しげる・吉川晃司・高見沢俊彦・中村雅俊・桑田のヴォーカルグループ、Beach Fiveによる「長崎は今日も雨だった Dedicate to Beach Boys」。内山田洋とクールファイブ・ミーツ・Beach Boysなこの曲、画面では本人登場どころか名前すら出てこないが、実は桑田に相談された山下達郎の「長崎は今日も雨だった」と「Surfer Girl」をマッシュアップするというアイディアを実現したもの。スコアもノン・クレジットだが山下の手によるもので、リハーサルも山下立ち会いのもと行われている(「TATSURO MANIA No.100」スマイル・カンパニー、2016 / 桑田佳祐ポップス歌手の耐えられない軽さ」文藝春秋、2021)。というか、冒頭から登場する、若干オフ気味だが存在感抜群のファルセットはどう聴いても…。

桑田は山下とは1980年、FM東京「パイオニア サウンド・アプローチ」で竹内まりや・世良公則・ダディ竹千代とともに即興バンド、竹野屋セントラル・ヒーティングで共に演奏して以来の共演と思われる。80年代前半の桑田の発言では、海外進出に関連するところで山下の名前が登場する。
「ただむこうで通用するのって今ないからね。山下達郎ぐらいなものね、正直な話。正統派でいけば達郎だけだからね。実力的な意味では達郎なんだけれども、達郎がそういうことに興味あるかどうかわからないけれども、海外進出することに。でも、やっぱりやるべきだね。」
(「潮 1983年11月号潮出版社、1983)
両者はこの80年代半ば辺りから、私的にも急接近しているようだ。

もう1曲はアンルイス・原由子・松任谷由実のヴォーカルグループによる「年下の男の子 Dedicate to Chordettes」。Chordettes「Mr. Sandman」とキャンディーズ「年下の男の子」をマッシュアップしたこの曲はコーラス・アレンジ八木正生、編曲は戸田誠司(Shi-Shonen)。「Mr. Sandman」のスウィング・ジャズ路線をさらにグルーヴィーにしたトラックがこれまたとてもキュートで良い。

Shi-Shonenは戸田が福原まり・渡辺等・友田真吾らを率いて、83年に日本コロムビアからメジャーデビューしたテクノ・ポップ・バンド。ここで戸田を起用した明確な意図は桑田から語られてはいないが、もともと桑田はコラム「ケースケランド」のPrince『Purple Rain』の回(「Playboy日本版」1985年7月号掲載)で、Princeに一切触れることなくShi-Shonenを絶賛していたほどで、山下達郎と同じく、良い機会と思っていたのかもしれない。
そんな事よりダンナ!我がニッポンのシーンにも最近ケッタイな奴らが出てきましたぜ!その名も“シショウネン”という4人組。今まで俺たちが手に汗して頭に血イ流してシガみついてきたようなことを、コイツらまるで食事や歩行や性行為のような次元で、かーるく演ってしまっている。アルバムを聞くと、たぶんインターナショナルなビート感もさることながら、従来の音楽家とは、決定的に生きていることのスピード感さえ違うのでは……と、とにかく早くも今年のジャパニーズ・グランプリが出た!
(桑田佳祐「ケースケランド(文庫版)集英社、1986)
Shi-Shonenは所属事務所がアミューズ 、さらに後述のとおり戸田はビクターインビテーションでのレーベルメイトのリアル・フィッシュのメンバー、というところでも桑田と縁があった。


***


そして桑田はおそらく86年末あたり、「Merry X'mas Show」の作業とほぼ同じタイミングで、リアル・フィッシュのレコーディングにゲストとして招かれ、ラップを担当することになる。

リアル・フィッシュは矢口博康をリーダーとする無国籍インスト・ポップ・バンドで、矢口以外に美尾洋乃、そしてShi-shonenの戸田・福原・渡辺・友田の5人が在籍していた。矢口は鈴木慶一と出会いムーンライダーズ82年のアルバム『青空百景』レコーディング、ライブに参加。その後鈴木慶一関連作品に関わる傍ら、サザン83年のアルバム『綺麗』への参加依頼が来たことがきっかけでサザンのレコーディングも常連に。
— リアル・フィッシュとしては83年に水族館レーベルのコンピレーション『陽気な若き水族館員たち』に参加した後、ようやく1年後の84年に1stアルバムの『天国一の大きなバンド』が発売になるわけですが、ビクターから発売することになったのはサザンつながりですか?
矢口博康「うん。その時にサザンをやってたから、そのつながりでプロデューサーが「レコード作んないか」って言ってきて、それでレコーディングすることになったと思うんだけど。サザンにはなんで呼ばれたのかなあ?誰かが面白いって言ったんだろうね。それで『人気者で行こう』*のレコーディングに呼ばれたんだけど、4曲ぐらいやったのかな。全部びっくりを用意していったんだよね。事前に資料をもらって、吹くことを考えていったら、それが全部うまくハマってすごいウケてね。そこからレコーディングも含めて、日本を二周半くらいツアーで回った。」
(リアル・フィッシュ『遊星箱』Bridge、2007)
*『人気者で行こう』は矢口の記憶違いで、実際の初参加作品は83年『綺麗』。「マチルダBaby」「Yellow New Yorker」「Mico」「南たいへいよ音頭」の4曲に矢口のクレジットがある。
矢口はサザン『綺麗』を皮切りに『人気者で行こう』『kamakura』と連続でレコーディングに参加。それぞれのアルバムの全国ツアーにも参加し、王道からフリーキーなプレイまで全国の観客の目の前で披露した。リアル・フィッシュは84年にビクターのインビテーションからメジャーデビュー。矢口のコメントにある「プロデューサー」とは、リアル・フィッシュ全作品にディレクターとしてクレジットのある、サザンでもおなじみ敏腕A&R高垣健のことだろう。

85年のサザンのシングル「Bye Bye My Love (U are the one)」は、矢口単独ではなく、リアル・フィッシュがサザンと共に編曲としてクレジットされている。実際のレコーディングでは、サザンと藤井丈司でのベーシックの録音後に、リアル・フィッシュから矢口・福原・美尾・渡辺の4名に加え、当時ヤプーズの小滝満がダビングで参加している、ということのようだ。

さてそんなリアル・フィッシュのレコーディングに桑田が参加することになるのだが、この「ジャンクビート東京」、バンドの作品というより、戸田誠司がゲストと共に制作した企画もの・番外編、という意味合いが強そうだ。
矢口博康「俺にとっては「ジャンクビート東京」と『4』はつながってなくて、「ジャンクビート東京」は企画もんだと思うんだよね。俺、まったく記憶がないから。桑田さんにラップをお願いしたとか、そこらへんぐらいしかやってないかもね。」
(リアル・フィッシュ『遊星箱』Bridge、2007)
戸田誠司「『ジャンクビート東京』はリアル・フィッシュのおまけ。おまけは本体とは関係のないもの。グリコのおまけもキャラメルじゃない。確かに「ジャンクビート東京」は面白いし、突出した楽曲だと思うけど、リアル・フィッシュにとってはなくてもよかった曲かもしれないね。僕がリアル・フィッシュという環境の中で羽目を外しちゃった。駄々こねて、あの一瞬にやりたいことをやったって感じなんだろうな。」
— どうしてヒップホップをやろうと思ったんですか?
「やっぱり初めて耳にするとか、聴いたことのない音楽って楽しいよね。ヒップホップもそうだったし、その頃ライヴを手伝ってた近田(春夫)さんもやっていたモダンな日本語のラップの試行錯誤も興味があった。そうだ、「ジャンクビート東京」はタイニー・パンクスの「東京ブロンクス」って曲のパート2を作りたかったんだよ。とにかく作りたかった。世に出なくてもいい、ただただ作りたいって欲求だけがあった曲。」
— それで、いとうせいこうさんや、その周辺の方々が参加しているわけですね。
「(藤原)ヒロシくんや(高木)完ちゃんまで来てくれたのは嬉しかった。作りかけのオケを聴いてもらったら、僕がお願いする前に二人とも、もうやることやり始めてた。最高の仕事してくれた。」
— いとうせいこうさんも参加はスンナリと?
「実際のところ、いとう君も桑田さんも無理かなーと思ってたから、OKの返事をもらった時は正直びっくりしたぐらい。」
(リアル・フィッシュ『遊星箱』Bridge、2007)

「ジャンクビート東京」12インチのジャケット裏には、曲名に[「東京ブロンクス」extended version]のサブタイトルがある。「東京ブロンクス」は、いとうせいこう&Tinnie Punxの86年のアルバム『建設的』で発表された黎明期の日本語ヒップホップ〜ラップ・クラシックで、作曲・編曲はヤン富田、終末SF的リリックの作詞はいとうと押切伸一。終始淡々とした富田のトラックに、無人の東京に徐々に耐えきれなくなる主人公を見事に表現するいとうのラップの組み合わせが素晴らしい。

そんな「東京ブロンクス」に衝撃を受けた戸田が同じテーマのヒップホップを、と製作したのが「ジャンクビート東京」ということで、作詞・作曲はいとうせいこう&戸田誠司名義。サウンドは「東京ブロンクス」に比べるとエレクトロ寄りで、「東京ブロンクス」同様無人となった東京でどんどん焦燥していくリリックを、桑田といとうでラップするという構成。そしてこれまた「東京ブロンクス」同様ラップをバックアップするのはTinnie Punx=藤原ヒロシ&高木完。藤原は当時近田春夫のレーベルBPMのDJ/プロデューサーであった加納基成とともにターンテーブルも担当。そしてヤン冨田が「This World Never Happen Without You」とクレジットされている。冒頭や終盤に現れる、核ミサイルのローンチキーを回すカウントのループが恐怖感を増大させたり、某バンドのデビュー曲のピッチを落としたサンプルが荒廃した東京をうまく表す(終盤でもラララコーラスが歌われ、桑田が「懐かしいな」と呟いている)など、戸田による細かな仕掛けもそれぞれニヤリとさせられる。間奏で登場するハモンドの定番サンプルネタも楽しい。さらにはこのシングルB面に収められたリアル・フィッシュのスウィングもの「Playin' In The Ray」も素材として度々登場する。

桑田のラップというとこれ以前はサザン83年の「Allstars' Jungo」ぐらいで、ニューウェーブ化の一環としてラップを取り上げた、程度のものであった。この当時でも、ヒップホップの作品はほとんど聴いていなかったとのことだ。
— 桑田さんにとってのラップの起源とは?
「それこそ小林克也さんがやっていたザ・ナンバーワンバンドの「うわさのカム・トゥ・ハワイ」じゃないかな?“来んしゃい来んしゃいハワイに来んしゃい”というリリックの(笑)。あれを克也さんに聴かされて、それにちなんで誰かのアルバムを一、二枚聴いた程度だったと思いますよ。」
(「Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、2012)
「一、二枚」というのが誰の作品かは不明だが、コラム「ケースケランド」では85年に藤井丈司に勧められたとAfrika Bambaataa & Sonic Forceを取り上げている。

いとうせいこうのラップ、というよりパフォーマンスはJames Brownがルーツにあったようでbounce:サイプレス上野のLEGENDオブ日本語ラップ伝説 第23回-最終回!!日本語ラップのパイオニアに学ぶ~いとうせいこう & TINNIE PUNX『建設的』」 https://tower.jp/article/series/2009/12/02/100047390、「東京ブロンクス」でも後半はJBそのものなパフォーマンス、シャウトが聴ける。「ジャンクビート東京」ではいとうは登場からこのシャウトを含んだテンション高めのラップを聴かせている。そんないとうのラップに対抗しようと考えたかどうか不明だが、桑田のラップはまるで矢口のサックスのようなフリーキーなスタイルだ。トラックもリリックも桑田本人が関わっているわけではないので純粋にパフォーマンスのみという状況で繰り出されたのは、歌なのかラップなのか語りなのか混沌としつつ、とにかくリリックの内容を踏まえた瞬間瞬間で表情豊かな、歌手・ヴォーカリストならではの表現というところだろうか。共演したいとうは後に「ずいぶん後になって向井秀徳が似た志向性のことをやったと僕は思ってる」「極めてポエトリーリーディングに近い形。桑田佳祐以前にはいないと思うよ、あの解釈をした人は。で、その解釈が当時のヒップホップに衝撃を与えることも残念ながらなかった。みんな理解できなかったから。」と評している音楽ナタリー:桑田佳祐 I Love You - now & forever - 特集 いとうせいこう が語る桑田佳祐」 https://natalie.mu/music/pp/kuwata02/page/2。桑田によるとあまり時間がない中でスタジオ入りし一気に録ってそのままその場を去る、という流れだった(「Switch Vol.30 No.7」スイッチ・パブリッシング、2012)ようで、事前に熟考していったというよりは、身体的・感覚的なものを優先させたものなのだろう。もちろんそれには「日本語」ラップというのは一役も二役も買っていると思われる。

桑田の声の艶・色気も脂の乗っている時期で、こののち桑田は唱法を変えてしまうため、このタイミングでこのラップを音盤に刻んだことを含めて戸田のアイディアは素晴らしかったと言える。終盤の桑田のラップからいとう&Tinnie Punxに桑田が加わるヴァースは圧巻だ。シングルは12インチで、87年1月21日にインビテーションからリリースされた。

さて、「ジャンクビート東京」のあまりの出来の良さに、桑田は戸田に録音の譲渡を依頼してきたという。
戸田「桑田さんが頭まで下げてきたんで、それより僕は10倍頭を下げて、勘弁してくれって言ったんだよ。でも、あげとけばよかったな(笑)。何もリアル・フィッシュ名義で出さなくてもよかったなって、今となっては思うんだけど。よっぽど桑田さん名義で出したほうが、世の中に対して親切だったかなって思うし。」(田中雄二「電子音楽 in Japan」アスペクト、2001)
その後、オリジナル・リリースから25年を隔てた2012年、「ジャンクビート東京」はベスト盤『I Love You -Now & Forever-』の初回限定盤ボーナス・ディスクに収められることになる。

リアル・フィッシュ『遊星箱』ライナーによると、エピソードはこれだけに留まらず、桑田のレコーディングのプロデューサーに戸田を迎えるアイディアまであったという(おそらく流れからすると時期的にはこの後、87年後半の桑田ソロのタイミングだろうか)。ひょっとすると桑田は、次の展開にはこの「ジャンクビート東京」よろしく、自分に無いものを持った、自分をうまく料理してくれるプロデューサー、アレンジャーを求めていたのかもしれない。最終的にこの案は実現に至らず、桑田は新たな道を模索することになる。
リアル・フィッシュは並行してレコーディングしていたアルバム『4(When The World Was Young)』リリース後に活動を休止。Shi-Shonenは、当時いとうせいこうら所属のラジカル・ガジベリビンバ・システムに出演していたYouが新メンバーとして加入。戸田はShi-Shonen自体をFairchildに新生させ、改めて活動を開始させたのだった。



2022年3月21日月曜日

佐野元春・杉真理・大滝詠一『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』のバージョン違い

『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』リリースから40年になりました。『A LONG VACATION』はほとんど別ミックスというのを作らなかった大瀧さんですが、この『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』は先行リリースだったシングル・ミックスや、85年のCDベスト盤『B-EACH TIME L-ONG』用に別ミックスが作られたため若干バリエーションが増えています(『B-EACH TIME L-ONG』のミックスは『EACH TIME』を経由しているというか、『EACH TIME』に対しての『EACH TIME SINGLE VOX』、みたいな印象がありますね)。これがさらに先の『EACH TIME』になると迷いからか、かなり増えるわけですが…。いつものように40周年Vox収録バージョンについてはこれからのんびり味わいつつ追記しますので、まずはこれまでのバージョン違いについていってみましょう。(2023/3/21 1年ぶりにようやく追記しました)


●A面で恋をして

◆Version A
A面で恋をして/さらばシベリア鉄道(Single)
BEST ALWAYS
NIAGARA RARITIES SPECIAL in NIAGARA CD BOOK II 2014
Single Version in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version B … Version Aと同じだが、楽曲終了後のマシンガン音が入っていない
A面で恋をして/さらばシベリア鉄道(Single:後期プレス)

◆Version C … ヴォーカルやドラム等を抑えバランスを取り直したアルバム用ミックス
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version D … 30秒のCM用録音
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 1982
NIAGARA CM SPECIAL SPECIAL ISSUE 1983
大瀧詠一SONGBOOK I 大瀧詠一作品集(1980〜1985) 1991
NIAGARA CM SPECIAL 1995
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EIICHI OHTAKI SONGBOOK I 大瀧詠一 作品集 Vol.1(1980〜1998) 2010
Single Version in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version E … モノラル、30秒のCM用録音にオンエア用のナレーションが被さったもの
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 1982
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version F … トラックがベース、ドラム、マシンガン音以外基本的にオフになったアカペラ・ミックス
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 1982
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version G … ブラスメロのインスト・ミックス(『NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』「Spot Special」の一部と同じもの)
大瀧詠一SONGBOOK I 大瀧詠一作品集(1980〜1985) 1991
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version H … Version Dの最後にマシンガン音を追加したもの
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002

◆Version I … 5.1サラウンド・ミックス
5.1chサラウンド音源 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version J … 1981年12月23日、渋谷公会堂でのライブ・テイク
NIAGARA TRIANGLE STORY in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track A … Version Cのカラオケ
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA CM SPECIAL Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track B … Version Cのコーラスありのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track C … Version Aのカラオケ
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track D … Version Dのコーラスありカラオケ
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track E … Version Dのコーラスなしカラオケ
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●彼女はデリケート

◆Version A
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … シングル用ショート・エディット
彼女はデリケート(Single)
MOTO SINGLES 1980-1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
THE SINGLES EPIC YEARS
SOUND & VISION 1980-2010
Single Version in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE STORY in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
彼女はデリケート(Single) in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version C … Version Bの冒頭にイントロダクションの繋ぎを追加したもの
NO DAMAGE(14のありふれたチャイム達) 1984
NO DAMAGE:DELUXE EDITION 2013

◆Version D … 1992年3月23日、神奈川県民ホールでのライブでのライブ・テイク
THE GOLDEN RING Motoharu Sano with The Heartland Live 1983-1994

◆Version E … 1983年3月18日、中野サンプラザでのライブ・テイク
NO DAMAGE:DELUXE EDITION 2013

◆Version F … Version A冒頭のセリフ箇所のみカットしたもの
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version G … 1981年4月25日、TBSホールでのライブ・テイク
NIAGARA TRIANGLE STORY in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track … Version A冒頭のセリフ箇所のみカットした尺の、コーラス等一部定位の異なるカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●Bye Bye C-Boy

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … 2011 Remix Version、Triangle 2 30周年盤用に作成したものの未発表になっていた佐野元春監修のミックス
NIAGARA TRIANGLE STORY in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track A  …  パーカッション等一部定位の異なるカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track B  …  Karaoke without Chorus
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●マンハッタン ブリッヂにたたずんで

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
Happy Man/マンハッタンブリッヂにたたずんで(Single)
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
SOMEDAY COLLECTOR’S EDITION 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
SOUND & VISION 1980-2010 ※なぜか「Original Single Version」「初CD化」とあるが、おそらく誤り
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track A
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012

◆Track B … フェイドアウトせず終奏するカラオケ
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●Nobody

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012 
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●ガールフレンド

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●夢みる渚

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
夢みる渚(Single)
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
GOLDEN J-POP THE BEST 杉真理
DREAM PRICE 1000 杉真理 いとしのテラ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
GOLDEN☆BEST 杉真理/杉真理&フレンズ
999 BEST 杉真理
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
夢みる渚(Single) in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track A
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track B  …  Karaoke without Harmony Chorus
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●Love Her

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Track 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●週末の恋人たち

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH TRIANGLE in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … 坂元達也による、各パートの定位が異なり分離がかなり良い91年のリミックス
SLOW SONGS

◆Track … Version Aのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●オリーブの午后

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … 井上鑑によるストリングス・インスト・バージョン
NIAGARA SONG BOOK 1982
NIAGARA SONG BOOK 1989
NIAGARA SONG BOOK 1991/1997
NIAGARA SONG BOOK 2013
NIAGARA SONG BOOK in NIAGARA CD BOOK II 2014

Version C … Version Bで始まり、カットアウトでリードギターが左チャンネルに定位した、エコーが深く各パートが太い1985年のリミックスにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG 1985

Version D … Version Bで始まり、カットアウトで1985年のリミックスにつないだバージョンだが新たに編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1989

Version E … Version Bで始まり、カットアウトで1985年のリミックスにつないだバージョンだがまたまた編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1991/1997

Version F … Version Bで始まり、クロスフェイドで1985年のリミックスにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG in NIAGARA CD BOOK II 2015

◆Version G … 5.1サラウンド・ミックス
5.1chサラウンド音源 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version H … 「真夏の昼の夢で逢えたら」、Take 1
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track … Version Aのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●白い港

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … ストリングスなどの定位が異なり、エコーが深く各パートが太い1985年のリミックス
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002

◆Version C … 井上鑑によるストリングス・インスト・バージョン
NIAGARA SONG BOOK II 1989
NIAGARA RARITIES SPECIAL in NIAGARA CD BOOK II 2014

Version D … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG 1985

Version E … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョンだが新たに編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1989

Version F … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョンだがまたまた編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1991/1997

Version G … Version Cで始まり、クロスフェイドでVersion Bにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG in NIAGARA CD BOOK II 2015

◆Version H … 5.1サラウンド・ミックス
5.1chサラウンド音源 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version I … 「風立つカレン」、Take 2
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track … Version Aのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●Water Color

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … 一部歌詞が違う、エコーが深く各パートが太い1985年のリミックス
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002

◆Version C … 井上鑑によるストリングス・インスト・バージョン
NIAGARA SONG BOOK 1982
NIAGARA SONG BOOK 1989
NIAGARA SONG BOOK 1991/1997
NIAGARA SONG BOOK 2013
NIAGARA SONG BOOK in NIAGARA CD BOOK II 2014

Version D … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG 1985

Version E … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョンだが新たに編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1989

Version F … Version Cで始まり、カットアウトでVersion Bにつないだバージョンだがまたまた編集し直している
B-EACH TIME L-ONG 1991/1997

Version G … Version Cで始まり、クロスフェイドでVersion Bにつないだバージョン
B-EACH TIME L-ONG in NIAGARA CD BOOK II 2015

◆Version H … 5.1サラウンド・ミックス、ヴォーカルはVersion Aと同じ
5.1chサラウンド音源 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version I … 「晴れのサーズデイ」、Take 2
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track … Version Aのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012 
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022


●♡じかけのオレンジ

◆Version A 
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1982
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1989
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 1991/1997
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA CD BOOK II 2014
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
Single Version in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition 2022

◆Version B … Version Aの終盤、小鳥のさえずりや「A面で恋をして」のブラス・インストが流れる箇所をカットしたシングル用エディット
♡じかけのオレンジ(Single)
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2002
BEST ALWAYS
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022
♡じかけのオレンジ(Single) in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version C … 5.1サラウンド・ミックス
5.1chサラウンド音源 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Version D … ブラスメロのインスト・ミックス(『NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』「Spot Special」の一部と同じもの)
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track A … Version Bのカラオケ
NIAGARA TRIANGLE Vol.2 TRACKS in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 2012
カラオケ in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022

◆Track B … 「A面は天然色」、Take 1
EACH SIDE OF NIAGARA TRIANGLE Vol.2 in NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX 2022