Quickest Way Outはフィラデルフィアの男女混合ヴォーカルグループです。Philly Grooveと契約し、70年代半ばに数枚のシングルをリリースしたのち、78年にグループ名をFlashlightと改めLPを1枚リリースしています。
グループがQuickest Way Out時代にリリースしたシングルのうちの1枚、75年11月「Thank You Baby For Loving Me」のB面に収められているのがKen Gold & Michael(Micky) Denneコンビ作の「Sad Love Song」でした。
A面はCommodoresのWilliam King作、両面ともにプロデュースはPhilly Groove Records創設者のStan "The Man" Watsonとスタッフ・アレンジはこの時期のPhilly Grooveもので名前が見られるArnold Coleyがクレジットされています。
Gold-Denneコンビにしては哀愁漂う渋目のナンバーで、A面のフィリー・ダンサーとは対照的です。むしろA面の路線の方がGold-Denneらしいという気もしますが、コンビが明るく切ないフィリー方面に注力するのはむしろこの後のBookham And Riskett 「We Got A Love」あたりからになるのでしょうか。いろんなカラーを模索していた時期かもしれません。重いドープなトラックに乗せて歌い上げる男声ヴォーカル、そしてその後ろでむせび泣くサックスがなんともたまりません。
もちろんシングル・オンリーでレア曲ではあるのですが、2010年の配信のみ?のPhilly Grooveのコンピレーション『Philadelphia Sweet & Deep - The Deeper Side Of Philly Groove』に収録されているので現在はサブスクでも気軽に聴くこともできます。しかもオリジナル・シングルはフェイドアウト、4分25秒で終わるのですが、このコンピにはフェイドアウトせず8分43秒まで延々続いて終奏まで聴くことのできるロング・バージョンでの収録です。なぜかタイトルは間違って「Sad Song」、そして(少なくともSpotifyでは)作者クレジットなし、というなかなかアレな状態ではあるのですが…。
本作の初回盤は「3大附録つき限定盤」として、72ページハードカバーで歌詞・ライナーのみならず関口によるイラスト・エッセイ・絵本・4コマ漫画まで収録された「砂金の話」、ペーパークラフト「途方の石」、そしてボーナストラック「人気なんてラ・ラ・ラ(We're The 二次会)」という関口の友人47名+1匹がヴォーカル/コーラス参加した「We Are The World」パロディ曲がアルバムラストに収められ、2月5日にボックス・セットとしてリリースされた。LP・カセットのみで、86年にもかかわらずCDはリリースしないという潔さ(92年のソロ作一挙リイシューの際、初めてCD化された)。「人気なんてラ・ラ・ラ」はLP通常盤、CD、配信/サブスクいずれにも収録されている。
「宝島 1986年4月号」(JICC出版局、1986年3月)の「View Of Wonderland」コーナーでは関口の『砂金』インタビューの裏ページに、4月公開となる映画「カイロの紫のバラ」の紹介記事が掲載されている。関口はこの映画を観たことがきっかけで、のちにウクレレとの永遠の恋に落ちることになる。
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同じく「宝島 1986年4月号」「View Of Wonderland」コーナー、関口の2ページ後には野沢のJapanese Electoric Foundationの紹介記事も掲載されている。
野沢のソロ活動は個人名義ではなく、荻窪ロフトでセミプロ時代の野沢と友人であり、ミュージシャンのマネジメントやレコーディングのディレクションを担当していた小川英則、ベーシスト六川正彦とのプロジェクト、Japanese Electric Foundationとして活動が行われた。小川は本作で桜井鉄太郎を名乗りミュージシャン・デビューを果たしており、実質桜井鉄太郎・ファーストといえる作品に仕上がっている。
プロジェクト名からしてBritish Electric Foundationを下敷きにしていることは明白で、シンセ主体のエレクトロ・サウンドで往年の名曲をカバー、というスタイルも同じだが、桜井の小粋な選曲で独自性を出している(楽曲についてはこちら参照)。ヴォーカルも基本的には桜井と元H2Oの中沢堅司のツイン・ヴォーカルで、他はサロン・ミュージックと楠木勇有行&桑名晴子で1曲ずつ、とB.E.F.ほどヴォーカリストを多彩にせず、絞り込んでいるのが違いか。
関口の『砂金』同様こちらもシングルは切られなかったが、Nazzのカバー「Open My Eyes」のMV、プロモ盤7インチが作られている。
J.E.F.は3月20日のアルバムリリース後、6月にFM東京「Top Of Japan」にて4曲のスタジオ・ライブを敢行、7月のアミューズのイベント「大里くん祭り」に出演(「Guitar Book GB 1986年8月号」CBSソニー出版、1986)。その後セカンド、サードアルバムの構想を既に立てていたようだが、野沢がヘルニアで入院したことで活動不可能に。
アルバム全体は矢島(とゲスト・ミュージシャンとしてクレジットされている矢島の妻、矢島マキ—実質Light House Projectである)によるフェアライト・サウンドが支配、そこにNatsuによるニューミュージック的な無垢なヴォーカルと大森のギターが乗ったエレクトロ・ポップ作品に仕上がった。全て歌ものというわけでもなく、インストも数曲入り、冒頭と終盤はアンビエント〜ニューエイジ的な観点で楽しみむこともできる。作曲は大森・矢島のみならず、矢島マキ、原田末秋のペンによる楽曲も1曲ずつ収められている。
レコーディングはもちろん矢島の自宅スタジオ、Light House Studioをメインに7月〜8月に行われた。そのため、おそらく第4のメンバーであろう矢島マキのクレジットも「Keyboards, Synthesizers & Nice Food」となっている。先行シングルとして「Dance Away ひとりぼっちにサヨナラ」c/w「Truth〜Song For World Peace〜」が10月21日にリリース、アルバム『Eyes Of A Child』が11月5日にリリースされた。
10cc風コーラス処理をフィーチャーした、矢島作・LINDA詞のメロウ・リゾート・ニューエイジ「Feel」からアルバムがスタート。冒頭のシンベから、とにかく矢島によるトラックが心地良い。「Dance Away ひとりぼっちにサヨナラ」は先行シングルとしてカットされた、矢島作・神沢礼江詞の哀愁エレクトロ歌謡もの。大森のギターの使い方も控えめながらちょうど良い塩梅。「Time's Street」は大森作・鈴木さえ子詞のエレクトロ・ファンク歌謡、冒頭のサックスは短いフレーズだが一聴して矢口博康とわかる。「Eyes Of A Child」は矢島作・LINDA詞の大森ヴォーカル曲。味わいのある大森のヴォーカル・声域にうまくマッチさせた、職人矢島の腕が光る燻し銀のメロウなエレクトロ・ファンクもの。「突然炎のように」は大森作・神沢礼江詞、「Tears」は矢島マキ作・沢ちひろ詞の哀愁エレクトロ歌謡路線。「Logical Pressure」は流れが変わって矢島作のPower Station風ドラムが炸裂するインスト。さらに流れが変わって原田末秋作・宮原芽映詞のトロピカル歌謡「ふたりの宝島」はNatsuと大森のデュエット。パーカッションでシーナ&ロケッツの川嶋一秀が参加。締めの「Truth〜Song For World Peace〜」は大森作、ギター主体のインスト。これまたニューエイジ的で、清涼感あふれるトラックに矢島のMIDIシンセによるハーモニカがよく合っている。
ということで86年のKuwata Band以外のサザンメンバー作品をざっと眺めてみると、各人とも名うてのアレンジャー/サウンドメーカーと組んでのシンセ主体のニューウェーブ〜エレクトロ・ポップ作品を繰り出しているのがわかる。近年のバレアリック・ミュージック、シティ・ポップ的な観点からそれぞれ再評価されてよい作品ばかりだ。実際、『Eyes Of A Child』などはバレアリック的な再評価に伴い、2010年代のうちに中古市場での価格はかなり高騰した(しかし、この3作のうち唯一、公式のフィジカルリリース・配信ともに行われていないのは残念な話である)。