1981年3月、桑田佳祐さんはサザンとは別に「桑田バンド」として渋谷Eggmanのこけら落とし公演に登場、肩の力を抜いた洋楽カバーのみのライブを行ないます。同年12月にも再度Eggmanに「桑田バンド」は登場するのですが、その際にMCを務めたのが同年春から当時テレビ朝日系「ベストヒットUSA」を始めていた小林克也さんでした(この模様は82年3月に桑田さんの変名ライブ盤『嘉門雄三&Victor Wheels Live!』として発売されます)。
ちょうどその頃、小林さんがラジオ仕事でよく一緒になっていた番組ディレクターの佐藤輝夫さんに声をかけ、レコード録音のために結成されたバンドがザ・ナンバーワン・バンドです。バンドのメンバーは佐藤さんによって召集され、過去に佐藤さんが及川伸一さんとガンバー座名義で出したレコードでもバックを務めていた成田昭彦さん、深町栄さん、小室邦雄(=琢磨仁)さんによる安定のリズム隊による演奏です(このお三方も、琢磨さんが86年KUWATA BAND、成田さんが02年『ROCK AND ROLL HERO』、深町さんも同年のライブから、それぞれ桑田さんの活動に深く関わることになります)。
82年6月にサザンと同じビクターのinvitationからリリースされたアルバムが『もも』でした。基本的にカバーもの以外は佐藤さん作の楽曲で占められていましたが、そこに桑田さんが嘉門雄三名義で2曲を提供(歌詞は小林さんとの共作)・編曲、録音にもしっかり参加しています。ただし、桑田さん楽曲は演奏メンバーは異なり、村上“ポンタ”秀一さん、杉本和弥さん、森村献さん、萩谷清さんというフュージョン寄りのリズム・セクションによるもので、他の楽曲と比べタッチは異なります。
「六本木のベンちゃん」はVentures調のエレキ歌謡で、小林さんと嘉門雄三のデュエットで、男色(「I Love Youはひとりごと」に続き)の切ない恋模様を軽いタッチで描いています。桑田さんはこのお遊び風エレキ歌謡路線に手応えを感じたのか、この後中村雅俊さん「ナカムラ・エレキ・音頭」、サザン「そんなヒロシに騙されて」と続いていくこととなります。ギター・ソロは嘉門雄三がKeiichi's Fender(ってのは鈴木慶一さんでしょうか)で弾いています。LPリリースから3ヶ月後の9月に、ナンバーワン・バンド2枚目のシングルとしてもリリースされました。
「My Peggy Sue」は小林さんがLouis "Satchmo" Armstrongになりきった、ジャズ・ヴォーカルものです。桑田さんもよくサザンの「アブダ・カ・ダブラ」「ジャズ・マン」、原さんの「いにしえのトランペッター」などでサッチモになりきってましたが、芸達者な小林さんはサッチモともう1人分と、1人2役で、終盤はデュエットとして歌っています。サッチモといえばどうしても出てくるトランペット・ソロは伏見哲夫さん、またサザンから毛ガニさんがパーカッションで参加しています。作者がつとめるバンドマスターの「Oh, yeah, yeah, one more time!」の声も終盤で聴こえます。
また、提供曲とは少し異なりますが作曲に桑田さん(これは桑田佳祐名義で)が「ブルース だ〜れ」でクレジットされています。これはスネークマンショーでおなじみ「だ、だ〜れ?」を聞くことが出来る、桑田さん・世良公則さん・鈴木慶一さんが順番にギター・ソロを繰り広げる非常に珍しい曲です。これはそうる透さん、杉本和弥さんが参加しています。
ちなみにこの『もも』用に嘉門雄三こと桑田さんが用意したものの、小林さんから難しいと言われボツになった曲が、数ヶ月後に原由子さんヴォーカルで世に出ることになるサザンの「流れる雲を追いかけて」でした。なんというか、本当に多彩な曲を『もも』用に持っていったものです。
小林さんは特にアミューズ所属というわけではありませんが、この後ナンバーワン・バンドはアミューズの勧めでツアーを行なうことになり(ここで斎藤誠さんがメンバーに加わるのでしょうか)、翌年以降もアルバムを出し続けることになります。桑田さんとも、サザンの小林克也讃歌「D.J.コービーの伝説」で本人登場、その後年末にリリースされ超ロングセラー・カセットとなるベスト盤「SUPER BEST バラッド '77〜'82」でジャケット文字の担当(小林嘉亭名議)等、交流が続いていき、ナンバーワン・バンドの次作で再び嘉門雄三が楽曲提供することになります。