2022年2月11日金曜日
The Quickest Way Out「Sad Love Song」[Ken Gold Songbook]
2022年2月1日火曜日
1986 (4) :Kuwata Band以外の作品
86年のリリースの口火を切ったのは関口和之。前述のとおり、もともと関口と毛ガニこと野沢秀行の2名は85年の時点でまだソロ作品をリリースしておらず、両者ともソロ・プロジェクト自体は『kamakura』録音以前から計画されていたものであった。関口のアルバムは構想2年、レコーディング1ヶ月と、6曲+1曲のミニアルバムとはいえ実作業自体はコンパクトでスピーディーに進められた。(「週刊FM 1986年1月27日号」音楽之友社、1986)
それまでのサザンでの関口作品というと、「ひょうたんからこま」(原由子によるLinda McCartney風コーラスが白眉!)、「ムクが泣く」、と当初はBeatles関連の影響が色濃い楽曲が続いた。サザンがニューウェーブ化してからはファンカラティーナ+ボディドリービートのカリプソ風味「南たいへいよ音頭」、直近ではガムラン+アフリカな「最後の日射病」と、アルバムのコンセプトに合わせ志向を変えながらも群を抜いてユニークな楽曲を披露してきたのがわかる。ソロ作も直近の流れを継続した、シンセ・サウンドを纏ったユニークなニューウェーブ作品に仕上がっている。同時期のムーンライダーズに近い雰囲気もある。
プロデュースは関口、共同プロデュースはいつもの高垣健に加え、新田一郎がクレジット。そして全曲のアレンジとプログラミングは米光亮が担当。関口が自宅でデモを録り、米光の自宅で、曲によって当時Pinkのホッピー神山・当時アルファベッツの坂本洋ことサントリー坂本が参加しながらベーシック・トラックを作成していく、というスタイルの制作だったようだ。
バキバキのローファイなドラム、EPOのコーラス、ホッピー神山らしいシンセの組み合わせで高らかにアルバムの始まりを告げる、アバンギャルドっぽさを含みながらもファンキーでメロウな「絵の中のクレーア」。当アルバムはシングルは切られなかったが、この曲のみMV(実写の関口と、関口によるキャラクターのアニメが合成された脱力系)が作られている。ホッピー神山というと、タイトルトラック「砂金」では、ほぼ同時(20日後の86年2月25日)リリースのPink『光の子』タイトル曲イントロと同じサンプル?が通しで聞こえる。関口とMarico With Cuteの若林マリ子の、無国籍感溢れるデュエット曲。矢口博康参加の、関口の脱力系ヴォーカルが冴えるロック・ナンバー「フトンへようこそ」では、2小節ずつサンプルしたフレーズを矢口がキーボードで弾いており(「キーボード・スペシャル 1986年3月号」立東社1986)、曲を一層シュールなものにしている。ニューウェーブ化以前の関口を想起させるノスタルジックな「エスケイプ」の間奏や、「Le Marche」での木琴のようなシンセはTouré KundaのErhlich Alain Royの作ったDX-7の音が使われている。色々あったが、Touré Kundaのメンバーとは、サザンは良好な関係を築いていたのがわかる。
最後はモロにムーンライダーズなロックンロール「アンクル・ピーターの羽」で、本編25分はあっという間に終わる。
「宝島 1986年4月号」(JICC出版局、1986)の「View Of Wonderland」コーナーでは関口の『砂金』インタビューの裏ページに、4月公開となる映画「カイロの紫のバラ」の紹介記事が掲載されている。関口はこの映画を観たことがきっかけで、のちにウクレレとの永遠の恋に落ちることになる。
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さて最後は大森隆志。大森は既に82年にファースト・ソロ作『真夜中のギター・ボーイ』をリリースしていたこともあり、85年秋時点ではソロ作は予定されていなかったのかまずはアミューズに所属した新人バンド、1・3・5のデビュー・シングルの作曲・プロデュースを担当。A面「0%麗人」はバンドとの共同作曲・編曲は矢島賢、B面「Soldier」は矢島賢との共同作・編曲。矢島は70年代から既に日本のポップスを支えるセッション・ギタリストとして多数の作品に参加、そして80年代に入るとフェアライトCMIを自宅スタジオに導入し、アレンジャー・トラックメイカーとしても活躍を続けていた。このシングルもサウンドは完全に矢島の手によるシンセ・ポップに、サビで関西弁の歌詞が乗ったユニークな楽曲である(のちにアルバムに収録された別ミックスの方が、シンベが目立つハードな出来だ)。シングルは86年5月20日にリリースされ、この流れで、大森は矢島とのプロジェクトをスタートすることになる。グループは「Tabo's Project」と命名された。
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2021年12月11日土曜日
1986 (3) :Nippon No Rock Bandへの批判と反論
『10ナンバーズ・からっと』
『ステレオ太陽族』
『嘉門雄三&Victor Wheels Live!』
『Nude Man』
『綺麗』
『kamakura』
2021年12月4日土曜日
The Real Thing『The Anthology 1972-1997』(2021)
英Cherry Red Recordsから"Legendary British Band"、Real Thingのアンソロジー・ボックス『The Anthology 1972-1997』がこの夏リリースされていました(気づきませんでしたので慌てて入手しました)。
EMI、Pye、Caribre、RCA、Jive、そしてCaribreとRCAの間でポツンと伊Catawbaから出た楽曲、PyeがPRTになってからのリミックス音源、各シングル・アルバムバージョンなども網羅した、CD7枚組109トラックの素晴らしいほぼほぼコンプリート・ボックスです。ほぼほぼというのはEMIとの契約前に出ているBell盤(こっちがオリジナル・レコーディング)の「Vicious Circle」pt1/2、82年にEMIからポツンと出たシングル「Seen To Smile」/「Look Up (To The Sky)」などが入っていないからです。昨年出たリアルタイムでの未発表録音「Someone Oughta Write A Song」も入らなかったようですが、さすがに去年のベスト盤の価値を残しておくには入れられなかったというところでしょうか。あと、Disc3の「Never Be Alone」ってトラック、Disc1「A Love That's Real」がそのまま入ってるんですけど「Never Be Alone」って曲は知らないので、どうにか間違っちゃったのでしょうか?
ライナーはEddie PillerによるReal Thingへの愛情あふれた詳細な内容です。惜しむらくは内容がグループの成り立ちから、ニューソウル的なコンセプトが濃厚な77年の名作2nd LP『4 from 8』までの記載になっていることでしょうか。せっかくのコンプリート・ボックスなので、Eddie Pillerに通史で書いてほしかったところですが…とはいえ『4 from 8』までの濃厚な文章は楽しく読めます。そして我らがKen Goldもコメントで登場します。やはり「You To Me Are Everything」絡みのコメントですが、この曲はMicky Denneと共作を始めて10作目だったそうで、しかしDenneはいつもコンビの最高傑作だと言っている、たぶんそうだろうね!とのこと。また、Chris Amooのコメントによるとこの曲、実はとある「established pop-star」に書いたものの、ボツになってTony Hallのところに持ち込まれたいうのが面白いです。「established pop-star」、時期的にはCliff Richardでしょうか?
おなじみPye期の音源はこれまでもCD化されていましたが、RCAやJive期の作品がCDで聴けるようになったのは嬉しいですね。Jiveに移ってJohn Astropと組んでシンセバリバリのサウンドでメロウに攻める80年代中〜後半のReal Thingもイイです。Four Topsをハイエナジーでカバーした「I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」なんかも試行錯誤の一環かもしれないですが、楽しいです。
これまたこれまで未CD化だったと思いますが、なぜか伊Catawbaから83年に単発で出た「Street Corner Boogie」なんかはNigel Martinezプロデュース・Lynton Naiffブラスアレンジの最高なブギーです。Billy Ocean「Nights」なんかお好きな方は気にいると思います。(その一つ前のメロウな「Seen To Smile」もNigel Martinezプロデュース、Lynton Naiff & Martinezアレンジというイイ組合せなのですが、今回は漏れてしまい…残念)
作品の性質上?サブスクでは扱わないようですので、ブリティッシュ・ソウル好きの皆さま、ぜひぜひ一家に一箱。保存盤です。
2021年8月20日金曜日
1986 (2):“Nippon No Rock Band”
2021年6月25日金曜日
1986 (1):『kamakura』後、Kuwata Bandの結成
(「季刊渋谷陽一 Bridge Vol.4 Oct. 1994」ロッキング・オン、1994)
そこで桑田が活動アイディアの元としたのが、ArcadiaとThe Power Stationである。Duran Duranの休業期間にバンドメンバーがそれぞれ著名ミュージシャンと別プロジェクトを進行させる、というこの構造をそのまま自身に重ね、サザンの松田を連れ新バンドを結成することにしたようだ。
「クワタ・バンドを、というか、サザン以外のバンドをやってみたいなぁと思い始めたのは一九八五年の暮れ、だっけな……アレを見てたんですよ、アーケイディアとかパワー・ステーションを、MTVでね。こういう方法がメジャーで出来るんだったらっていう、ほんの一瞬の閃きだったんだけども、この閃きを大事にして、「絶対やろう!」みたいなね。」
(桑田佳祐「ブルー・ノート・スケール」ロッキング・オン、1987)
85年末の原由子の誕生会において、桑田はスペクトラムのパーカッションでもおなじみ、今野多久郎に新バンドの結成を持ちかける。前述のとおりドラムはサザンの松田、ギターは今野とSTR!Xに在籍していた河内淳一らが召集される。今野は以下のように回想している。
「今じゃ考えられないですけど、はじめは桑田がスケジュール帳を持ってリハーサルスタジオとか押さえるっていうのをやったんですよ。2〜3回やったらさすがにマネージャーに替わっちゃったんですけどね(笑)。」
「ほとんどね、俺のイメージの中にある、一九六四年頃のバンド、ドアーズとかアニマルズとかキンクスとかあの辺の暗さと辛さと悪さっていうか、そういうのに対する憧れだよね。」
(「ブルー・ノート・スケール」)
のちに発売されるLP(Taishita/Victor VIH-28259)のライナーのスケジュール(CDではオミットされてしまっている箇所)を見ると、86年1月4日にバンドのリハーサルがスタート、2月8日にはシングルの録音が開始されている。Kuwata Bandの楽曲は、シングルとアルバムで方向性が異なるとはよく言われる話ではあるが、そもそもレコーディングされた時期から異なるようだ。シングル盤記載の参加ミュージシャンやLPのライナー、各種インタビュー等から総合すると、シングルとしてリリースされた楽曲はほとんど初期、2月にまとめて録られ、その後3月11日からアルバムの録音、その先にライブと進めていったようである。
− それじゃあ、桑田バンドのサウンドっていうか、音はどんな感じ?
桑田「やってみなきゃわかんないっていうか、まず最初に空気から入るから、いつも、例えばスタジオでみんなで音出してみて、お互いに顔を見合わせて、“あっ、ヒロシとキーボードの誰それが気持ちよさそうにやっているかな”、そういうところから入るでしょ。」
− ということは、もうでき上がっているシングルとアルバムは全く別のものだということになるんですか?
桑田「う〜ん、シングル月間とアルバム月間があるから(笑)。ただ、バンドのサウンドとしては一本筋を入れたいなって気はしてる。」
(「Guitar Book GB 1986年5月号」)
ただし、同年3月中旬〜下旬と思われる(メンバー紹介では後述する正メンバーが揃っているが、コンピューター・オペレーションは藤井丈司のみの記載)桑田の連載コラムでは、バンドメンバーの招集のエピソードに絡めてハード・ロック宣言が行われており、もしかしたらバンド結成の時点で方向性は既に決まっていたのかもしれない。
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アルバムのセッション以前に録音された楽曲が以下と思われる。
・Smoke On The Water
・神様お願い
4曲は桑田のペンによる新曲、もう2曲はそれぞれDeep Purple、ザ・テンプターズのカバーである。
桑田の新曲は特にサザンと路線を変えようという意図は見られない。甘酸っぱいこみ上げ系メロディを骨太な演奏と過剰なエコー(70年代のPhil Spectorでも意識したのだろうか)で包んだ爽快感溢れる「Ban Ban Ban」(サビの美久月千晴のベースが最高である)。85年秋には楽曲は存在していた?アフリカン的な香りも漂う「鰐」。サザンでもおなじみ(しかしこれが最後)新田一郎セクションとEPOを起用した緩めのグルーヴが心地よいファンキー路線猥歌「スキップ・ビート」。バンド結成直後に書かれたという、John Lennon「Love」辺りを念頭に置いたと思しきシンプルなバラード「One Day」…と、いつもの桑田らしくバラエティに富んだ楽曲群である。
「で、まずその資生堂の CMソングだっていうのを意識して、よしじゃあメジャー展開を考えていいんだなという部分で、“スキップ・ビート”と“バン・バン・バン”を作ったの。ちゃんとした形としてできたのがその二曲と“メリー・クリスマス・イン・サマー”。だから十割でしょ、打率は(笑)。“ワン・デイ”も正月に出来てたから、もう十二割。」
(「ブルー・ノート・スケール」)
*「Merry X'mas In Summer」は作曲クレジット・参加ミュージシャンやメンバーのコメントから、アルバムセッションでの録音と思われる
さて残りのカバーの選曲である。これらは86年3月からオンエアの、サザン出演(!)のTDKカセットテープ・ADのCMに使用されたので、それを前提に企画されたカバーか、はたまたハード・ロック・バンドの肩慣らしとしてのカバー・レコーディングをCMに流用したのだろうか。
「Smoke On The Water」はDeep Purpleの72年のアルバム『Machine Head』収録曲。アメリカではシングル・カットされチャート4位の大ヒットを記録した、ブリティッシュ・ハード・ロックおなじみのナンバー。ここまでの桑田関連の路線からは異色の選曲だが、高校時代、自身のバンドで取り上げていたこともあったようだ。以下、高校時代のクラブの定期コンサートを回想した桑田のコメント。
桑田「そんときやったのは三曲かな。ステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」とジョン・レノンの「ウェル」と、あと「スモーク・オン・ザ・ウォーター」ね。」
− ディープ・パープル!?
桑田「そ。」
− すごいね。その辺の混乱した感じが。
桑田「結局、あのリッチー・ブラックモアのギターってのが、やっぱり象徴だったんだよね。ハード・ロックに傾倒すると、あの人のギターに行っちまうっていうようなさ。だって感動的なんだもん。かっこいいっていうか。俺、グランド・ファンクのマーク・ファーナーってのも好きだったけど、それよかうまいやつがいるって感じで。」
− へえ、ハード・ロックもやってたんだ。
桑田「でもね、本気でやってたのは「ウェル」なんだよね。知ってる?ジョン・レノンの。あっちがやっぱり根本だった。」
(桑田佳祐「ロックの子」講談社、1985)
「神様お願い」はザ・テンプターズ68年のセカンド・シングルで、バンドの松崎由治のペンによる楽曲。当時の桑田にとっては日本語曲のカバーというのも珍しい。テンプターズについて、桑田はリアルタイムでのGS経験を「テンプターズとかオックスとか好きだった。」(「ロックの子」)と語っており、フェイバリット・グループだったようだ。サウンドは「Smoke On The Water」のように重厚に仕立てているが、自分と同年代のミュージシャン達の中でのクラシックとしての選曲だったのだろう(例えば、この前後で桑田とプライベートで急接近している山下達郎は、以前から自身のラジオ番組でGS特集を組む際、フェイバリット曲として必ずこの曲で特集を締めている)。
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上記楽曲では、キーボードは『kamakura』セッション後半で原由子の代打も務めたDang Gang Brothers Bandの大谷幸、ベースは美久月千晴による演奏のようだ。86年4月5日リリースの「Ban Ban Ban」7インチシングルでは、大谷・美久月の両名は藤井丈司とともにゲスト・ミュージシャンとしてクレジットされ、バンドのメンバーは桑田、今野、松田、河内の4名のみとなっている。
(「ブルー・ノート・スケール」)
86年3月5日のインタビューではこのように語っている。
(「Guitar Book GB 1986年5月号」)
シンセのオペレーションは『kamakura』に続き藤井丈司が担当していることもあり、直近のサザンの要素が骨太の演奏と見事に融合したのがこのシングル曲たちといえる。メイン・エンジニアは『kamakura』までの池村雅彦から今井邦彦に担当変更、音像は新たな印象に。今井は『kamakura』でアシスタントの代打として参加したのをきっかけにそのままアシスタントに定着、「Brown Cherry」ではミックスを担当(「サザンオールスターズ公式データブック 1978-2019」リットーミュージック、2019)。ここから桑田/サザンのレコーディングは、アシスタントの若手エンジニアをメイン担当にピックアップする手法が続いていくことになる。
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その後、キーボードはBaker's Shopの小島良喜、ベースはザ・ナンバーワン・バンドの琢磨仁が固定メンバーとして加入。
「それでまあ、オーディションをして、小島良喜っていうのと琢磨仁さんってのが最後に入って来たんだよね。で、一緒にやってみて俺は、「ああ良かった、良かった」って感じなのね。」
(「ブルー・ノート・スケール」)
ようやくメンバーが確定したところで、同時代的メロウなブリティッシュ・ファンク風?「Pay Me」を録音。作曲はバンド名義となっているため、トラックを先に作り、その後桑田中心にメロディを作る手法を取ったと思われる(後のLPに繋がる流れである)。ラストにTommy Snyderのラップが入るのも面白い。
琢磨「PAY MEはやってます。これはすごくおしゃれで素敵な、僕の好きな曲のひとつ。前からあった素材を急遽引っ張り出して、みんなで盛り上がって、夜の2時ぐらいからいきなり2時間ぐらいで録ってしまった。」(「Kuwata Band "Final" Bokura: Nineteen Eighty-Seven」アミューズ、1987)
そのまま、アルバムのレコーディングが開始されることになる。
なお、その後のTDKのCMで流れた2曲、Creedence Clearwater Revival「Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)」のカバーについては、琢磨が「僕がやってます」(「Kuwata Band "Final" Bokura: Nineteen Eighty-Seven」)と発言していること、またPinetop Sparks(というよりはB.B. King)のカバー「Everyday I Have The Blues」 もCMのオンエア開始が最後だったことから、これらはメンバー6人が揃ってからのレコーディングと推察される(出演は最後までサザンであった)。「Have You Ever Seen The Rain」はシングル「One Day」のB面としてリリースされたが、「Everyday I Have The Blues」は未商品化。
また、86年7月以降にリリースされた「スキップ・ビート」「One Day」については、「Kuwata Band "Final" Bokura: Nineteen Eighty-Seven」の小島のコメントによると、小島によるキーボードのダビングや差し替えが行われている。さらに、「スキップ・ビート」「Pay Me」「One Day」については、当時小島と同じ事務所に所属していた古川貴司がマニピュレーターとして参加している(「KB Special 1986年9月号」立東社、1986)。これはおそらく藤井丈司がEPO『Pump! Pump!』のレコーディングのため、3月初旬にはKuwata Bandのレコーディングを離れた影響と思われる。


