1曲目はBilly Ocean - Ken Gold - Pete Q. Harrisが作者としてクレジットされた「Flame In The Fire」。プロデュースもこの3人がクレジットされています。Pete Q. HarrisとGoldは前年のKaite Kissoon以来のコラボレーションとなります。いかにも『Suddenly』『Love Zone』当時のBilly Oceanらしい(若干自身のものより派手?)エレクトロ・ソウルで、コーラスでもしっかりOceanの声が聴こえます。
「Flame In The Fire」は同年、アメリカの映画「Breakin'(邦題:ブレイク・ダンス)」「Breakin' 2: Electric Boogaloo」の系譜にある「Rappin'」のサントラに使用されたため、そちらのサントラにも収録されています。
藤井丈司はYMOのアシスタントとしてキャリアをスタート、『Technodelic』の後のソロ作や提供曲・バンド名義では『浮気なぼくら Naughty Boys』からプログラミングを手掛けるようになる。桑田とはサザン「ミス・ブランニュー・デイ c/w なんば君の事務所」『人気者で行こう』でのMC-4プログラミング並びにアレンジを皮切りに、『kamakura』での共同プロデュース・プログラミング・アレンジ、86年初頭のKuwata Bandシングルセッションでのプログラミングと、84年以降の桑田のレコーディングにほぼ参加している(「She’s A Big Teaser」NYミックスのプロモ盤7インチにもSpecial Thanksに藤井の名がある)。既に桑田にとっては馴染みの存在だったことだろう。
87年8月21日に原由子のシングル「あじさいのうた c/w Tonight's The Night」がリリースされている。ポップなA面と渋いブラコン的な雰囲気もあるB面の組み合わせで、アレンジは桑田と藤井の共同名義となっている。このシングル、おそらくスケジュール的に、桑田のソロ・レコーディングの前哨戦だったはずだ。実は参加ミュージシャンも桑田のセッション初頭とほぼ同じである。
82年に杏里のシングル用楽曲コンペの話があり、書き下ろしで見事採用されたのが「思いきりアメリカン」であった。その流れでアルバムにも楽曲提供することになり、翌年アルバム『Bi・Ki・Ni』のB面に3曲を提供。小林のデモを聴いたアレンジャー佐藤準の勧めで、うち一曲「Surf City」は小林自身によるアレンジで収録されることに。アルバムで唯一ドラムはマシンによるもので、淡々とした地味な出来だが、本人によるとAlan Persons Project「Eye In The Sky」のようで、のちの自分のひとつの定番(の路線)になる、と語っている(「月刊カドカワ 1996年1月号」角川書店、1996)。
そしてThe Rock Bandは元アナーキーで、『四月の海賊たち』は(改名後の)セカンドアルバム。ファースト『アナーキー』はバンドと笹路正徳との共同プロデュース・アレンジで、続くこちらはプロデュース・アレンジともにThe Rock Bandと小林の共同名義だ。改名したアナーキーはパンクから距離を置き、重心低めのハードロック、ブルースロック的な色が濃くなっており、そのあたり小林ともウマの合ったコラボレーションになっているといえよう。五木寛之の同名小説にインスパイアされた歌詞もユニークで、アナーキー名義の頃とは印象が異なる作品に仕上がっている。
さらには大村の紹介で高橋幸宏らと出会い、87年には高橋と鈴木慶一=Beatniksのセカンド『Extentialist A Go Go』にキーボードとしてレコーディング・ツアー両方で参加、また大貫妙子『A Slice Of Life』のレコーディングからツアーにも参加と、いわゆるサブカル、「シティ」周りのミュージシャン関連の仕事が多くなる。その流れでこののち88年には、大貫の計らいでミディレコードとソロ・ミュージシャンとして本人のヴォーカルによるアルバムリリースの契約を結ぶことになり、新進気鋭のミュージシャンとして「Techii」「Pop Ind’s」などの雑誌に取り上げられる扱いになっていく。
Roland D-50 Linear Synthesizerは87年3月に発売されたばかりの、当時最新のシンセサイザーだ。そのユニークなプリセット音たちは同年リリースでは順にThe Cars『Door To Door』(87.8.)、Michael Jackson『Bad』(87.8.)、George Michael『Faith』(87.10.)、Rick Astley『Whenever You Need Somebody』(87.11.)、翌年のPrince『Lovesexy』(88.5.)、Enya『Watermark』(88.9.)…とその後も数多くの名盤で耳にすることができる。
なお、これまでナイアガラ作品のみのつもりで記事を作成していましたので、一部『大滝詠一デビュー』『Let's Ondo Again』などと重複している楽曲もありますが、今回を番外編として、同じ楽曲でもキング/ベルウッド原盤のバージョンのみ扱う、ということでご了承ください。また、キング/ベルウッドのオムニバス盤・近年の海外編集のオムニバス盤などは手が回りませんでしたので、はっぴいえんど関係のおなじみのもの以外は省略ということでこれまたご容赦のほどを…。
●おもい
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
◆Version B … コーラスダビング前の「Undubbed Version」、Take 1・Take 2
大瀧詠一 1995/1997
●それはぼくじゃないよ
◆Version A
恋の汽車ポッポ(Single)1971 シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000 ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
アーリー大瀧詠一 2017
シングルスはっぴいえんど 2017
恋の汽車ポッポ(Single) 2017
◆Version B … 「それはぼくぢゃないよ」、各パートを差し替えたアルバム用リミックス
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
大瀧詠一 2018
◆Version C … 「アルバムMix-2」、アルバム用の未発表別ミックス
大瀧詠一 1995/1997
◆Version D … 1972年4月22日、日本武道館でのはっぴいえんどのライブ・テイク はっぴいえんどBox 2004
◆Version E … 1972年8月5日、長崎市公会堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク はっぴいえんどBox 2004
●指切り
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
Best Always 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
●びんぼう
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
◆Version B … Version Aと同じだが、最後のドラムソロのみカットされている
大瀧詠一 1995/1997
◆Version C … 「ヒマダラケ・バージョン」、歌詞違いの未発表ミックス
大瀧詠一 1995/1997
◆Version D … 1972年4月22日、日本武道館でのはっぴいえんどのライブ・テイク はっぴいえんどBox 2004
◆Version E … 1972年5月6日、大阪天王寺野外音楽堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク はっぴいえんどBox 2004
◆Version F … 1972年8月5日、長崎市公会堂でのはっぴいえんどのライブ・テイク はっぴいえんどBox 2004
●五月雨
◆Version A
空とぶくじら(Single)1971 シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1982 CT
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000 ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
アーリー大瀧詠一 2017
シングルスはっぴいえんど 2017
空とぶくじら(Single) 2017
◆Version B … 歌、ギター、コーラスを差し替え、ハンドクラップを追加、パーカッションを削除したアルバム用リミックス
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
大瀧詠一 2018
●ウララカ
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
◆Version B … 「イントロ・ドラム・バージョン」、未発表ミックス
大瀧詠一 1995/1997
●あつさのせい
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
はっぴいえんどBox 2004
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
◆Version B … Version Aと同じだが、イントロのハイハットがカットされた、「All About Niagara」いわく「謎のバージョン」
アーリー大瀧詠一 1982
◆Version C … 「もうメロメロ編」、1974年7月11日のライブ録音
暑さのせい EP
●朝寝坊
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
●水彩画の街
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
大瀧詠一 2015
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
●乱れ髪
◆Version A
大瀧詠一 1972 大瀧詠一 1977 大瀧詠一ファーストアルバム 1979 大瀧詠一 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985 大瀧詠一 1989 大瀧詠一ファーストアルバム 1992
大瀧詠一 1995/1997
大瀧詠一 1996
大瀧詠一ファースト 2000
アーリー大瀧詠一 2000
大瀧詠一 2001
アーリー大瀧詠一 2001
大瀧詠一 2012
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
アーリー大瀧詠一 2014
大瀧詠一 2015
アーリー大瀧詠一 2016
大瀧詠一 2017 CD
大瀧詠一 2017 LP
アーリー大瀧詠一 2017
大瀧詠一 2018
●恋の汽車ポッポ
◆Version A
恋の汽車ポッポ(Single)1971 シングルスはっぴいえんど 1974
シングルスはっぴいえんど 1976
シングルスはっぴいえんど 1981
アーリー大瀧詠一 1982
アーリー大瀧詠一 1985
シングルスはっぴいえんど 1990
シングルスはっぴいえんど 1995
大瀧詠一 1995/1997
アーリー大瀧詠一 2000
シングルスはっぴいえんど 2000 ベルウッド7インチボックス 2000
アーリー大瀧詠一 2001
シングルスはっぴいえんど 2001
アーリー大瀧詠一 2012 プラケース
アーリー大瀧詠一 2012 紙ジャケ
シングルスはっぴいえんど 2012
シングルスはっぴいえんど 2014
Best Always 2014
アーリー大瀧詠一 2016
アーリー大瀧詠一 2017
シングルスはっぴいえんど 2017
恋の汽車ポッポ(Single) 2017
◆Version B … 「恋の汽車ポッポ 第二部」、歌詞が変わってコーラスやエンディングのパートが追加されたアルバム用ステレオ・リミックス
Ronettesといえばアメリカン・ポップス史上にその名を轟かすガール・グループで、鬼才プロデューサー・Phil Spectorのプロデュース作品という意味でもポップス史上にその名を残す偉大なヴォーカルグループのひとつだろう。特にプロデューサーSpector-アレンジャーJack Nitzsche-エンジニアLarry Levineの三者が織りなす「ウォール・オブ・サウンド」のひとつの完成形ともいえる「Be My Baby」はいまだに語り継がれる名曲だ。
そんな「Be My Baby」でおなじみRonettesだが、Spectorプロデュース期=Philles期以降トレードマークのひとつになったのがリード・ヴォーカルVelonicaのキュートで印象的な「Whoa-oh」だろう。これはPhilles移籍前の作品では見られず、Spectorのプロデュース下最初にリリースされた作品、「Be My Baby」において登場するものだ。
音楽評論家の高橋健太郎は、Ellie Greenwich & Jeff Barryが「Be My Baby」を作曲した時点では3拍子だったのではないかと推察している。 グリーニッチ&バリーの書いた「Be My Baby」はたぶん、デモの時点ではロネッツのバージョンとはかなり違った雰囲気だったのではないかと思われる。グリーニッチは1973年に発表したソロ・アルバム『Let It Be Written, Let It Be Sung』で同曲をセルフ・カバーしているが、それはゆったりした3拍子で、フレンチ・ポップ的な優しい雰囲気を持つ。『Let It Be Written, Let It Be Sung』(書いたままに、歌ったままに)というタイトルからして、ソロ・アルバム用にそういうアレンジを施したのではなく、もともと彼女が書いた形、自身で歌っていた形を示したのが、そのセルフ・カバー・バージョンだったのではないだろうか。 (高橋健太郎「音楽と録音の歴史ものがたり ロネッツ「Be My Baby」をめぐるエリー・グリニッチとヴェロニカ・ベネットのストーリー 〜【Vol.87】」https://www.snrec.jp/entry/column/historysr87)
その3拍子であるEllie Greenwich「Be My Baby」セルフカバーを聴くと、曲最後の必殺「Whoa-oh-oh-oh-oh」は入っておらず、「Wow-yeah」と別のフレーズが収まっている。ひょっとしたら「Whoa-oh-oh-oh-oh」は、Jack Nitzscheと共に3拍子からロックンロールにビートを変えた際、もしくは長時間に渡ったというレコーディング・セッション中 —Hal Blaneのタム回しを聴きながら— 、Velonicaの歌声が生きるキメとして、プロデューサーであるSpectorが入れ込んだものなのかもしれない。
「Be My Baby」後のRonettesというと、第二弾「Baby, I Love You」では冒頭から「Whoa-oh, whoa-oh-oh-oh」が登場。その後の「Do I Love You?」「You Baby」「Walking In The Rain」と、必ず入れ込まれたVelonicaの「Whoa-oh」はVelonica、RonettesのトレードマークとしてSpectorが意図的に作曲家たちに仕込ませた、もしくは自ら仕込んだフレーズであったことだろう。80年代の日本でも、Spector-Ronettesを意識したと思しきガール・ポップのうち、中村俊夫・沖田優司による原めぐみ「涙のメモリー」や大瀧詠一による松田聖子「一千一秒物語」、こののちの89年は小西康陽による須藤薫「つのる想い」などでVelonicaの影響を感じさせる「Whoa-oh」が登場する。
さて、そんなことを考えながら「悲しい気持ち」を聴いてみると、桑田の曲でここまで「Wow Wow」「Whoa-oh」が頻発するのも珍しいことに気づく(要所要所、都合8回の登場だ)。おそらく、Ronettesをきっかけとし、洋邦のロックンロール、ポップ・クラシックの美味しいポイントとして、意識的に取り入れたのではないだろうか。もっと突っ込んでしまうと、タイトル部分「Just a man in love」直後の下降する「oh yeah-eh-eh-eh-eh」のメロディはそのまま「Be My Baby」の「Whoa-oh-oh-oh-oh」にシンクロしている(シンプルにGFEDC・ソファミレド、ではあるのだが)。
世が世ならKuwata Bandのシングルとしてリリースされていたかもしれないと思うと、この時期の桑田の湧き出るメロディ・メーカーとしての恐ろしさに驚愕する。そういえばKuwata Bandのライブではシングル曲のコーナーに混じっていささか唐突に「Be My Baby」(『Rock Concert』収録)も取り上げられていた。ひょっとしたら当時の「悲しい気持ち」もあのDavid Foster風にエレピが八分を刻むアレンジだったのだろうか。
前述の「Be My Baby」が作曲時点では三拍子だったのでは…という高橋健太郎の推測ではないが、「悲しい気持ち」もソロ・セッションで取り上げるまではSupremesな16ビートではなく、Ronettesな8ビートの楽曲だったのかもしれない。となると発想の起点はBilly Joel「Say Goodbye To Hollywood」あたりだろうか…、などと想像が膨らむ。そういえば「Ban Ban Ban」も70年代Geroge Harrison風ウォール・オブ・サウンドの80年代解釈、と言えなくもないようなディレイを効かせたサウンドでもあったが…。86年初頭、「ロック」モードにシフトしようとしつつも、どうにも隠せない桑田のポップス志向が既にウズウズしながら顔を覗かせていた…ということになるのだろうか。
1986 (3) :Nippon No Rock Bandへの批判と反論の終盤で引用した箇所でも語っているが、とにかくサザンを復活させる前に、桑田個人としての、Kuwata Bandのアルバムへの批判を受けての反省とリベンジ、というのがこのソロレコーディングのきっかけになっているのがわかる。「ロック」との距離感、英語詞とそれによるヴォーカルのドライブ感、作曲への時間のかけ方…等。
冒頭の桑田の声明、特に桑田ソロと限定しているわけでもなく「サザンの桑田として歌う時も」とも記されている。手探りでありきっかけだったと本人は振り返っているが、2001年のベスト盤『Top Of The Pops』、2020年の連載コラム・2021年の著書「ポップス歌手の耐えられない軽さ」など、現在に至るまで意識的に「ポップス」というワードが使われている。ミュージシャン・桑田佳祐の立ち位置をポップス、ポップ・ミュージックに置いた瞬間が、この87年ソロ活動スタートのタイミングだったといえよう。現在から振り返ると、桑田の長いキャリアの中でも、活動コンセプトのターニングポイントだったのである。
87年2月9日、1年間の期限付きで結成されたKuwata Bandは予定どおり日本武道館公演を持って解散する。各所から期待されるサザンの復活!…とはならず次に桑田がトライしたのは、充電のため渡米、というのは建前で、日本コカ・コーラのキャンペーン用楽曲を、ニューヨークでDaryl Hall & John Oatesとレコーディング、MVの撮影まで行うというものであった。
共演相手として桑田・アミューズが白羽の矢を立てたのはDaryl Hall & John Oates。Hall & Oates自体は84年の『Big Bam Boom』、85年のライブ盤『Live at the Apollo』で一旦飽和状態、その後はデュオとしての活動を休止し、それぞれソロ活動に入っていた。
Daryl Hall「Actually see people from Japan call us... a Japanese musician named Kuwata called us and asked us if we wanted to do a project with him in Japan. So we thought that would be kind of an interesting way to get back together. So that's we did it.」
完成した楽曲は、マイナーキーで始まる80年代中盤USロック、ポップスといった仕上がりだ。David Zの骨太なミックスにより重厚な仕上がりとなっているのだが、このバージョンは前述のとおり2018年のMV集まで商品化されなかった。興味深いことに、桑田は日本での正式リリースに際しかなり手を加えている。翌88年、桑田のソロシングル「いつか何処かで」のB面に収録された「She’s A Big Teaser」のクレジットは以下になっている。
さて、実は桑田はこのコカ・コーラの企画に合わせてもう一曲自作曲をHit Factoryにてレコーディングしている。前述のインタビューで、Hall & Oatesに聴かせたデモについて「二曲めはスローな曲で」と話しているが、これがのちの桑田のソロデビューシングル「悲しい気持ち」のB面に収められた「Lady Luck」だろう。作曲は桑田、作詞はTommy Snyder単独名義の英詞作品。こちらは結果的にコーラの企画とは別にレコーディングすることができたからか、ヴォーカルはJohn Oatesのみ参加で、「She's A Big Teaser」「Realove」とはまた別のメンバーによるセッションである。以下、シングル盤掲載のクレジットより。
Arranged by 桑田佳祐、Jimmy Bralower、Jeff Bova
Vocals: 桑田佳祐 Keyboards, Synthesizer: Jeff Bova
Computer Programming: Jimmy Bralower Acoustic Guitar: 河内淳一 Backing Vocals: John Oates
Backing Vocals: Tommy Snyder Engineered by: Josh Abbey、今井邦彦 Assist. Engineered by: Craig Vogel Mixed by: 今井邦彦 Recorded at: The Hit Factory, New York, Victor Aoyama Studio, Tokyo
サウンド作りを担ったのはJeff Bova & Jimmy Bralower。Kurtis Blowのファーストからドラムで参加していたBralowerと、初めてBovaが共演したのがBlow『Tough』(1982)で、それ以降のBlowの作品に連続で参加。86年のCyndi Lauper『True Colors』では10曲中8曲のアレンジ/演奏・プログラミングを担当。1987年当時だとAztec Camera「More Than A Law」などもこのコンビの仕事である。
BralowerはHall & Oates『Big Bam Boom』からHall & Oates関連作品に連続して参加。Bovaも当セッションの流れでHall & Oates『Ooh Yeah!』に参加することになる。Bovaは同年の坂本龍一『Neo Geo』、Bova & Bralowerとしては角松敏生「Girl In The Box」(1984)「Remember You」(1988)などを手掛けるなど、日本のミュージシャンとも縁のある二人であった。
そんな面々でのレコーディングは、桑田による、おそらくDaryl Hallソロなどに見られたメロウな感覚を反映した楽曲と、Bova・Bralowerの両者によるシンセ・サウンドがうまくマッチした珠玉の出来だ。個人的にはこういったSophisti-pop路線で料理された桑田というのももう少し見てみたかった気がする。後半で登場する「Need Your Touch〜」のヴォーカルはJohn Oatesの歌のピッチを上げたものだろう。
こちらも『フロム イエスタデイ』では「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」とある。NYミックスは公開されていないが、日本でミックスするにあたってはセンターで鳴っている河内のアコギやTommy Snyderのコーラスのダビング、桑田の歌を録り直している程度と思われ、「She's A Big Teaser」とは違いNYでの録音時とさほど変わっていなさそうだ。そういった点から、桑田としてはどちらかというとこちらのレコーディングに手応えを感じたのかもしれない。キーボード・プレイヤー、ドラム・プログラマーとの3者体制の製作など、録音スタイルはこの後の桑田に影響を与えていると思われる。