暗黒を提示するシリアスなサザンの始まり…と桑田が語った『世に万葉の花が咲くなり』の翌年は、サザンのデビュー15周年を迎える93年。当の桑田は周年行事はどこ吹く風で、休むか音楽映画の制作に取り掛かろうかとしていたようである。
「ほんとうは、今年一年休むつもりでいたんですよ。音楽だけやってると、とっても世界が狭いんで、たとえばインドに行くとか、パリに半年住むとか、そういう計画を今年の初めに立てたんです。
でも、自宅にスタジオがあるんですけど、やっぱりそこに籠っちゃってね(笑)。じゃ、前から考えてる映画のための台本を作ろう、と。それも音楽から発想するような、ロック・ミュージカルみたいな形の映画にしたいと思っていて、軽く肩慣らしのつもりで機材いじってるうちに『エロティカ・セブン』ができあがって、できたらできたで、CDにしようか、と。結局、同じになっちゃうんですよね(笑)」
でも、自宅にスタジオがあるんですけど、やっぱりそこに籠っちゃってね(笑)。じゃ、前から考えてる映画のための台本を作ろう、と。それも音楽から発想するような、ロック・ミュージカルみたいな形の映画にしたいと思っていて、軽く肩慣らしのつもりで機材いじってるうちに『エロティカ・セブン』ができあがって、できたらできたで、CDにしようか、と。結局、同じになっちゃうんですよね(笑)」
(『週刊文春 1993年10月21日号』文藝春秋、1993)
とにかく気負わない、肩の力を抜く…という意図はあったようだ。
「こないだのツアーが2月に終わったでしょ?それから気楽にね、前後のバランスとか、そういうそれぞれの対比とか、そういうのを考えないてレコーディングを始めたんですよ。お気楽にやってレコードにする。そういうのいいなあってそんな発想があったんですけどね。」
— お気楽に、とは?
「あんまり世の中の前後左右を気にしないでということなんですけどね。」
「あんまり世の中の前後左右を気にしないでということなんですけどね。」
(『ワッツイン 1993年8月号』ソニー・マガジンズ、1993)
「ぼくも最近、はっきり言って見えなくなってきちゃったんだけどね。歌謡曲とかロックとか。ロックという言葉がバワー・ダウンしてると思うんですね。10代20代前半の子たちがものすごく分裂してるというか。音楽的趣味にしても多種にいってるし。そこにメイン・ストリームを見出すとしたら、ロックや歌謡曲でもないと思うんです。トレンドという言い方があったけど、それこそジュリアナかもしれないし。でも、わかんないですけど、ジュリアナは関西や茨城あたりの人が来てるのかもしれないし。かといってB’zやWANDSが日本のメイン・ストリームというわけでもないだろうし。とにかく多岐にわたってるでしょう。だからあえて客観的に見ると、サザンというのは今の時代で言うと時代遅れだと思うんですよね。変な言い方だけど」
(『スコラ 1993年8月13日号』スコラ、1993)
周囲を気にしない…という言葉の裏に、ここにきてトレンド・目指すものを見失ったという迷いが見え隠れする。ワードとして、海外の現役ミュージシャンは言及されず、また国内も当時チャートを席巻していたビーイングに触れる程度だ。多様化していく状況を眺めつつ、洋邦ともに、80年代までのような大きな流行は見られず、ピンとくる新しい大きな潮流というのも桑田の視界には入ってはこなかったということであろう。
そんな多様化の中、自らを含めてミュージシャンの上限年齢が上がり続け、いわゆるトレンドとは乖離しても現役でいられる…そんな状況について、率直なストレンジさも語っているのも当時ならではという感じで興味深い。この年、桑田は37歳であった。
「いろんな事を考えると、ぼくらも多少変わってきたんだろうけど、時代ということを考えたら、ぼくらは時代遅れだろうなと思いますよ。これは、昔風の時代遅れという意味じゃないけど、ぼくらサザンも、ユーミンも、拓郎さんも、陽水さんも、その人たちひとりひとりの年齢を見てもわかるように、時代遅れなんですよね。だけど、いられる。これ、何だろうと思うんですよね」
(『スコラ 1993年8月13日号』)
この状況下、結局93年は、いずれも独立したコンセプトがある企画もの的シングルが7月から11月とほぼ毎月、計5タイトル繰り出されることになる。
***
7月にリリースされたサザンのシングルは前年に引き続き2枚同時リリースという、相変わらず景気の良さを見せる企画であった。
ここまで八面六臂の活躍を見せた小林武史は参加せず、「ネオ・ブラボー!!」ではプレイヤーとして参加していた片山敦夫が全曲で本作でしか見られないクレジット、「編曲補」として登場(英語表記は「Co-Arrangement」なので、意図があるのかなんなのか不明)。メンバーのクレジットはあるがプロデューサーや参加ミュージシャンのクレジットは一切無く、しかしプログラミングはいつものように角谷仁宣(「Profile」Studio8thFloor https://studio8thfloor.com/works.html)、録音・ミックスもいつものように今井邦彦(『サザンオールスターズ公式データブック 1978-2019』リットーミュージック、2019)が担当したようだ。
1枚目A面はイントロから下世話に炸裂するシンセブラスが印象的な「エロティカ・セブン Erotica Seven」だ。
景気の良さを象徴する派手派手なインナー。いわゆるCDジュエルケースの透明トレイは89年の『女王陛下のピチカート・ファイヴ』が史上初だが、シングル用短冊形の透明トレイとしてはこちらも早いものだろうか。アートワークについてのクレジットは無い。
「最初からこの“エロティカ”という言葉があったわけじゃないんですよ。サビの2小節、どうも歌詞が出来なかったの。まあ、スケべな歌だなぁ、というのは全体の印象としてあったんですけどね。それで2小節ぜんぜん出来なくて、スタジオでとっさに“エロティカ~ッセブーン”と紋切り型ではあるけど、歌ってみた。そしたらウケた。“そこまで道化をやっていいのか?”という目線もその場にいた人たちから飛んできたんですけど、そのまま行ってしまったんです。(略)
そもそもこの曲のリズムパターンて、ドラムのキックの4つ打ち、つまりドオンドオンドオンドオンていうね。このリズムって何やってもいいというか、解放的な気分になれるものなんです。(略)で、そんなキックの4つ打ちの感覚は、曲作りからレコーディングの時まで、ずっとあったんですよね。」
そもそもこの曲のリズムパターンて、ドラムのキックの4つ打ち、つまりドオンドオンドオンドオンていうね。このリズムって何やってもいいというか、解放的な気分になれるものなんです。(略)で、そんなキックの4つ打ちの感覚は、曲作りからレコーディングの時まで、ずっとあったんですよね。」
(『ワッツイン 1993年8月号』)
松田の四つ打ちの暑苦しいドラムがよく似合うラテン・ディスコ歌謡で、系譜としては「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」「匂艶 The Night Club」の流れに属するもの。松田本人のアイディアなのかはたまた桑田によるものか、タム回しのみシモンズを使っているのは80s松田弘を思い起こさせるものだ。大森のカッティングや片山?のオルガン、間奏のSEなどのサンプリング絵巻、テルミンなど明るくスリリングに展開するあたりは映画を意識していた頃の名残だろうか。
桑田もネタ切れだったのか、この時期にしては珍しくカップリングにメンバー作の楽曲が収録されている。「9月の風」は大森作の、清涼感あふれる繊細なギターインストだ。大森が母を亡くしたことをうけて書かれた曲ということである(大森隆志「ただ今、作曲中」大森隆志オフィシャルサイト~ブログ https://ameblo.jp/omoritakashi/entry-10478595168.html)。
このシングル2枚については、カップリングを含め作曲者がサウンド作りをメインで仕切って進めるというスタイルだったようである。要はこの数年桑田が取っていたスタイルを、他のメンバーにも適用してみたというところだろう。
松田弘「大森の曲にしても俺の曲にしても、桑田の2曲にしても全部バリエーション違うでしょ。(略)それぞれに分担制で、責任持ってやったから。そういうレコーディング自体初めてだったしさ。」
(『代官山通信 Vol.43』SAS&SAS応援団、1993)
『FM Station 1993年7月19日号』(ダイヤモンド社、1993)での「夏に聴きたいCD」で大森が挙げているのがJames Taylorの91年作『New Moon』である。このあたりのサウンドの影響もあるのかもしれない。
桑田によると、当初は歌ものになる可能性もあったという。
「大森の曲はね、ギターと一緒に寝てしまう少年の昂り、みたいなのが出てるなと思うんですよ。サザンの看板ギタリストという重荷から解放された作品になったと思う。この2つのバランスは大切だと思うんだよね。この曲、インストゥルメンタルですけど、最初は大森が自分で歌も歌うといってたんです。ボクはね、“それだけはやめてくれ”っていったんですけどね(笑)。」
(『FM Station 1993年7月19日号』)
もう一枚のA面は「素敵なバーディー(No No Bridy)」。8分の6拍子でドラム、ベース、ピアノ、オルガン、ギター、パーカッション、と初期サザンを彷彿とさせる編成のミディアム、サビでは男声コーラス(といっても今回は桑田ひとりに聴こえるが)が炸裂する…という「恋はお熱く」「ラチエン通りのシスター」「涙のアベニュー」「栞のテーマ」の系譜に位置付けられよう。いわゆるBメロのパートでの二回転調するコードの展開など、歳を重ねた桑田の技が地味ながら光る逸品だ。
ベースは、プリプロの段階では打ち込みでなく桑田が弾いたとのことである。
「でも、今はみんなで“せーの”ってやるほうをやりたいんだよね。」
— 本当に“せーの”で録音したんですか。
「実際にはね、その前段階でシュミレーション(※原文ママ)した部分があったわけなんですけど、気持ちはあくまでそういうことでね。でね、この「素敵なバーディー」は、シュミレーションの時、俺がベース弾いてたんですよ。自宅のスタジオでやってた時ですよ。それもボロボロの昔買った7万円のベース。すごいへタなんだけど、この“ヘタ”ということに関して、何か問題はあんのかな、という気分なんだよね。ズレちゃってるけど、音が出てない時もあるけど、べつにそれでいいんじゃないのかなぁと思ったんですけどね。今までなら、キチッと音を縦に並べてたなぁって思ってね。でも、そうやって自分でベース弾いて、ペラペラのそのベースなんだけど、“レコードって、こういうのでもいいんじゃないか”って。」
— 本当に“せーの”で録音したんですか。
「実際にはね、その前段階でシュミレーション(※原文ママ)した部分があったわけなんですけど、気持ちはあくまでそういうことでね。でね、この「素敵なバーディー」は、シュミレーションの時、俺がベース弾いてたんですよ。自宅のスタジオでやってた時ですよ。それもボロボロの昔買った7万円のベース。すごいへタなんだけど、この“ヘタ”ということに関して、何か問題はあんのかな、という気分なんだよね。ズレちゃってるけど、音が出てない時もあるけど、べつにそれでいいんじゃないのかなぁと思ったんですけどね。今までなら、キチッと音を縦に並べてたなぁって思ってね。でも、そうやって自分でベース弾いて、ペラペラのそのベースなんだけど、“レコードって、こういうのでもいいんじゃないか”って。」
(『ワッツイン 1993年8月号』)
ここまで語って、最終版に収録されたベースが誰の演奏なのかは触れられていない。実際の音を聴くと打ち込み然とした感じでもなければシンベらしい音色でもない手弾きのエレキベースのようで、しかし関口や根岸のような特徴・タッチは感じられず、匿名的で素朴な雰囲気のプレイである。おそらく、プリプロと同じく桑田が弾いているのではないだろうか。もしそうであれば、サザン初の桑田によるベースプレイであり、ギター以外のパートも自らの演奏で構成していく、この先の桑田のマルチプレイヤー化の第一歩にあたる曲ということになる。
こちらのカップリングは松田作「遙かなる瞬間 とき」。松田が自作曲を発表するのはキャリア史上初である。
松田「自宅のスタジオでつくっていて、歌詞は、せつない感じが出ればと3時間で書き上げてしまった。サザンとして歌うのは「松田の子守歌」「翔」以来。いろいろなパターンで試して歌ったんだけど、難しかったよ。」
(『週刊ザテレビジョン 1993年7月23日号』角川書店、1993)
松田「次のアルバムは歌いたいな」っていうのが「KAMAKURA」ぐらいからあってさ、タイミングとかローテーションなんかがあってなかなか言い出せなかったんだけど、「弘、1曲作るか?」って桑田が…カップリングは弘の曲と大森の曲で行こうって言い出してさ。あ、遂にきたなっていうところもあって。タイミング的にも音楽づいているときだったからすんなり入れたしね。曲も、以前からソロアルバムを作りたいという前提があったから、ストックしてたしね。(略)本当は自分のソロの目玉候補として暖めていた曲なんだけどね。」
(『代官山通信 Vol.43』)
自宅スタジオで作っていたということなので、Beat Club Studioでソロ用として既に制作していた楽曲を、桑田からのオーダーでサザンの現場に持ち込みブラッシュアップし仕上げた…というところなのだろう。当時のSadeなどアダルト・コンテンポラリー的な感覚を歌謡的な世界に大きく寄せた雰囲気といったところだろうか。ここ数年の桑田主導のアレンジや、大森の曲のようなオーソドックスな雰囲気ともまた別の趣のあるトラックに仕上がっている。ドラム・プログラマー松田によると思われる多数の音色のスネアなどにもこだわりが感じられよう。
***
このシングル2枚、なんといっても特筆すべきはラテン・ディスコ歌謡と三連のミディアムをA面に据えたということだろう。これらは78〜82年までの「サザン」の代表的なサウンドイメージで、83年の『綺麗』以降、レコーディングにおいて意図的に封印していたものだ。
— パブリックなイメージを、あえて毛嫌いするのではなく……
「それをあえて嫌って、わざと違ったところに行こうとするって気分ではなかったんですよ。ホントにもう、お気楽に作った2曲なんです。背伸びしてよりプログレッシブにという考え方じゃなくて、昔の学生ノリっていうかね。より下世話に、みたいなさ。」
「それをあえて嫌って、わざと違ったところに行こうとするって気分ではなかったんですよ。ホントにもう、お気楽に作った2曲なんです。背伸びしてよりプログレッシブにという考え方じゃなくて、昔の学生ノリっていうかね。より下世話に、みたいなさ。」
(『ワッツイン 1993年8月号』)
この10年の経緯を思えば、この「解禁」はかなり大きなポイントだ。トレンドや指標を見失った結果としてなのか、自信や確信があるわけでもなかったと思われるが、10年避け続けたパブリックイメージへの回帰、セルフパロディが初めて行われたことになる。それがこの時代のチャートにフィットしたのか、「エロティカ・セブン」は99年までサザン最大のヒットシングルとして君臨する。決して意図的ではないだろうが、結果的に以前から言われている「現役の懐メロバンド」であることの是非を問うたような構造にもなりそうだ。
「夜を徹して、今まさに探ってる段階ですからね。はっきり言って、この曲がすべてですというのも、こっ恥ずかしいんですね。これです。というのには、あと2、3年かかるかななんて思うんです。そう思うと、時代をうんぬんというより、時代遅れと言っちゃった方がぼくはもうすっきりするんですよね。その代わり、じゃ時代的なもの、時代と共に歩いてる、時代をそのまま代弁してるようなミュージシャンがどこにいるかというと、いないと。すべての人が時代遅れなんだと思うんですよ。YMOはどうか知らないけど。ただ、本当に成熱したのかなとも思うんです。成熟なんていうのは、こんなものだったのかななんて。だからと言って、やっぱり日本人に一番あってる音楽は歌謡曲だ、演歌だっていうようなこと言ってもしょうがないし。やっぱり今、走り続けるとか、音楽を量産するとか、いっぱいコンサートをやることで時代の風に乗っていくしかないと思うんですね。」
(『スコラ 1993年8月13日号』)
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93年がサザンデビュー15周年であることは先に述べた。恒例のデビュー記念日6月25日はまたしてもメンバーソロ作のリイシューで、今度はシングル盤の3インチ(8cm)CD化であった。廃盤となっていた楽曲、バージョンなども聴けるようになり、Kuwata BandのB面曲などは3年半ぶりにカタログに復活する。
ただ、前年に桑田ソロのベスト盤もリリース済で、さすがにこの年もベスト盤をリリースするのは気が引けたのか、93年のアルバムリリースは無し。そこに棚ぼた的に、珍しい企画作品が登場する。「勝手にシンドバッド」から最新曲「エロティカ・セブン」までサザン名義の楽曲をフロア向け風にメドレー化したメガ・ミックス、「enoshima - Southern All Stars Golden Hits Medley」である。マキシ・シングルで、久々のアナログ盤である12インチを8月に一万枚限定で先行発売、2週間半後に追って5インチ(12センチ)CDとカセットをレギュラーリリースしている。明確に「サザンオールスターズの作品」と銘打たれているわけでもなく、「Produced by Z. Dan」のクレジットがあるのみ。サザンのマスターが流出、入手した謎のグループ「Z団」によるリミックス…という体で、Z団のロゴには「Unknown Guys From Asia」のフレーズがある。レーベルはわざわざこのシングル用に「江ノ島レコード」を名乗り、Tycoon Graphicsを起用した『Nude Man』を元にしたジャケ、初回出荷分CDは帯なし、他シングルに貼られたサザン15周年キャンペーン応募ステッカーも無し…などアンオフィシャル風・ゲリラ風に装丁も凝っていた。
「1993 Tycoon Graphics」のクレジットが数カ所に掲載。Tycoon Graphicsの宮師雄一はCDジャケットの初仕事は酒井ミキオの作品と語っているが、94年デビューなのでこちらの方がリリースは古い。
12インチはビクターの表記なし。CD裏ジャケも発売元V. E.とがんばっている。
なにより、オフィシャルなミックスなのでマルチテープの音源を堂々と使用できているのが素晴らしい。約30曲プラスアルファをメドレーに再構築、ハネる「チャコの海岸物語」、ラヴァーズロックの「Oh!クラウディア」から「いとしのエリー」への展開、揺れる「真夏の果実」など聴き慣れたヒット曲たちの新たな、しかし違和感のない味付けが楽しい。歌ではなく一部フレーズのみで登場する「そんなヒロシに騙されて」「My Foreplay Music」、「マチルダBaby」のベースとサックスのループに乗ってアシッドに展開する「私はピアノ」、「祭りはラッパッパ」のイントロフレーズに乗る「勝手にシンドバッド」のラララコーラスなどのマッシュアップなど細かい遊びにニヤリとさせられる仕掛けが多い。そのほか、当時のライブでの桑田の口癖「スタンド!アリーナ!カモン!」などもオフィシャルなのでライブからの実物音源をふんだんに使用している。
制作体制は公開される事なく2026年現在謎のままだが、参加者のうち3名は判明している。1人は福富幸宏。avex所属時のオフィシャル・サイトでリミックス・ワークスの93年、この「enoshima」が載っている(「Remix Works」one hundred twenty five beat per minutues -fukutomi web- http://www.avexnet.or.jp/fukutomi/works/remix.htm)。のちに小西康陽もさりげなくこの件について触れている。「成功を収めた」とあり、翌年ブルーハーツのリミックス企画が福富に舞い込むきっかけになったという書き方である。おそらく、サウンド作りの中核を担っていたのだろう。
ザ・ブルーハーツ/TRAIN TRAIN
これはサザン・オールスターズのリミックス・プロジェクトで成功を収めた福富幸宏さんの許に来た企画で、そのうちの1曲を担当したもの。
(小西康陽「不定期連載・リミックス覚え書き。その4。(2010.04.07)」 READYMADE V.I.C. Column『レコード手帖』 http://www.readymade-vic.com/column/author/konishiyasuharu/20100407.html)
福富に声がかかったのは、寺田康彦とのユニットTF Productionが91年にアルファレコードからリリースしていた『歌謡曲のクラブミックス / Kayohkuoku-No Club Mix』あたりが契機だろうか。福富が91年末ファーストソロアルバム『Love Vibes』をリリースする以前のこと、TF Productionは90年のYMO「Nice Age」リミックスで登場。その後「おどるポンポコリン」ハウスカバー、そして歌謡曲のカバーでのメガミックス…と異色作を連続リリースしていた(マジックナンバー「1990年代のアルファレコード後期の(黒)歴史:Alfa In The '90sシリーズ、あるいはSPINレーベルについて(2)」note、2022 5.19. https://note.com/371113stm/n/neb2996a3d425)。そういう意味ではThe Hardcore Boysの「俺ら東京さ行ぐだ[ほうら いわんこっちゃねえMix]」から「Y. M. O. Mega Mix」のような流れ(DELIC RECORDS/イシヤマヨシアキ「YMO Megamix」note、2020.1.11. https://note.com/delicrecords/n/n86f60cd889d00)も連想させる。
また、サザンの青学ベターデイズでの後輩・斎藤誠も自身のサイトに参加作品として記載(「biography」makoto saito https://lalalumusic.com/wp2/archive/biography.html)、さらには元スペクトラム・Kuwata Bandの今野多久郎も参加していたことを公表している(「今野多久郎 Takuro Konno」axelle http://www.axelle.co.jp/model/konno_takuro/info.html
/ 「最新シングル「Missing Serenade」をリリース! 旧知の仲であるバークス今野多久郎と対談」barks https://barks.jp/news/556121/)。元音源に存在しないギターやパーカッションなどはこの両者によるダビングなのだろう。後の斎藤の立ち位置を思うと、ここで弾いてるのは未来を暗示している感もある。
しかし制作の実態もさることながら、サザンでハウスのメガミックスを…というアイディア出しから音源制作スタッフの選定、装丁まで取りまとめを行ったのはいったい誰なのか、この先明かされることはあるのだろうか。カタログには残っているのでCDは入手可能だが権利処理がやや複雑なのが理由かサブスク解禁もされておらず、覆面企画であるがゆえに「なんだかよくわからない」雰囲気で放置されている本作。企画ものとはいえアーリージャパニーズハウス〜メガミックスの名作として、福富幸宏ワークスのひとつとしても、30年以上経った今改めて評価されてよい一枚だろう。
***
11月ににもう一枚、サザンのシングルがリリースされている。『世に万葉の花が咲くなり』の「Christmas Time Forever」からわずか一年、再びのクリスマスソング「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)」である。
このシングルについてはプロデューサーやエンジニア、ゲストミュージシャンが明記されている。共同アレンジ・キーボード小林武史、プログラミング角谷仁宣、ミックス今井邦彦、つまりは『世に万葉の花が咲くなり』チームによるものである。
Produced by Southern All Stars & 小林武史
Co-Produced, Engineered & Mixed by 今井邦彦
Arranged by 小林武史 & Southern All Stars
「Christmas Time Forever」はペシミスティックなテーマを反映した温度低めのシリアスなテンションだったが、打って変わってストリングスやブラス、エレキシタール、そして原由子と松田弘のコーラスなどが鳴り響く甘々のサウンドである。わずか一年でのこの変わりようは、大下由祐の指摘(大下由祐/YU-SUKE O-SHITA 「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)/ サザンオールスターズ」 note、2024.11.24. https://note.com/fair_oxalis36/n/n3526839823de)のようにタイアップの話が入ってきたのが理由のように思える。「Christmas Time Forever」は92年末に丸井クリスマスのCMに起用されており、翌年第二弾として、今度は書き下ろしのシングルで…というオーダーがあったというところだろうか。
再度のクリスマスというテーマで桑田が持ち出してきたサウンドコンセプトがポップス史上燦然と輝くクリスマス・アルバムである『A Christmas Gift For You From Philles Records』のプロデューサー、Phil Spectorのウォール・オブ・サウンドである。
ちょうど同年、新譜リリースの見込みが無かった大滝詠一を横目に山下達郎が書き下ろし、TBS系「ビッグ・モーニング」のオープニング曲として6月からオンエアされていたのがナイアガラ的パーカッションのウォール・オブ・サウンドで彩られた「鳴かないでHeron」であった。また、前年の杉真理「夏休みの宿題」などナイアガラ関係者、そしてこの年11月には高浪敬太郎プロデュースの高橋ひろ「君じゃなけりゃ意味ないね」…など、ウォール・オブ・サウンドは当時の日本のポップス界でも一定の間隔でチャレンジされているジャンルだ。今回再び、小林武史を起用しているところからも桑田の気合がうかがえる。
メロディもPhillesレーベルに提供していたようなアルドン系作家のポップスを狙った感があり、「Whoa-oh」「Wow-ow-ow-ow-ow」も「悲しい気持ち」に比べ頻度は少ないが時折顔を覗かせている。原・松田を主体とした終盤のコーラスなどは、もちろん(70年代のSpectorによる) John & Yoko / The Plastic Ono Band With The Harlem Community Choir「Happy Xmas (War Is Over)」がリファレンス先であろう。ベースは根岸孝旨、ブラス隊は村田陽ー・大倉滋夫・佐藤潔とこのあたりも『世に万葉の花が咲くなり』と共通したミュージシャンで固めている。
しかしこの「クリスマス・ラブ」、翌年以降今に至るまで桑田や今井邦彦からうまくいかなかったと語られるようになる。
「いまはコンピューターなんかがあっていろんな音が出るでしょう。で、俺んちにMac持ってきてシンセサイザーを置いとくともう何でもシミュレーションが可能じゃないですか。だからそれが愉しかったんだけど、その揺れ戻しで虚しくなっちゃったというかね」
— はははは。
「あの“クリスマス・ラヴ”ってシングルを去年作ったんだけど、フィル・スペクターみたいなことをやりたかったんですよ。で、フィル・スペクターは当時2チャンか3チャンでやろうとしてできてるから。だから「ああ、かわいそうだなあ。いま48チャンあるぜ。ざまみろフィル・スペクター、そんなことはいまの世の中簡単にできるんだ」と思って。だから音楽ってのは細分化していけば同じことじゃないかと思ってて。で、できてきたものは「あれ!これはちょっと違う。違い過ぎる!」と思ってね」
— はははは。
「あの“クリスマス・ラヴ”ってシングルを去年作ったんだけど、フィル・スペクターみたいなことをやりたかったんですよ。で、フィル・スペクターは当時2チャンか3チャンでやろうとしてできてるから。だから「ああ、かわいそうだなあ。いま48チャンあるぜ。ざまみろフィル・スペクター、そんなことはいまの世の中簡単にできるんだ」と思って。だから音楽ってのは細分化していけば同じことじゃないかと思ってて。で、できてきたものは「あれ!これはちょっと違う。違い過ぎる!」と思ってね」
(『季刊渋谷陽一 Bridge Vol.4 Oct. 1994』ロッキング・オン、1994)
今井邦彦「あと「クリスマス・ラブ」は現代のレコーディング技術でフィル・スペクターをやりたいっていう……」
林憲一「そう、これは大変でしたね!」
今井「本当に苦労したんだけど…結局「できねえんだ!」で終わりました。」
一同「(爆笑)」
今井「だから猪俣さんがさっき話したように、昔の音というのは今のテクノロジーでやろうとしてもそう簡単にはできないということですね。これは切ない一曲です(笑)。」
「それと去年「クリスマス・ラブ」っていうのを作ってるときに、俺、痛手を感じちゃってね。あれがすごく大きかったのね、俺は。フィル・スペクターみたいなサウンドで、よくあるクリスマスのビッグサウンドをやろうと思ったんですよ。それこそ、チュブラベルズが鳴ってて、弦が鳴っててみたいな、きらびやかなネ。重厚感があって音の壁みたいなやつ。それで歌にエコーがいっぱいかかっていて、そこにボーンといるような……。まあ、イメージは当たり前のイメージだけど、そこに合ってて……。で、今、48チャンあるでしょ。60年代の初めにフィル・スペクターがやってた頃っていうのは2チャンネルとかっていう世界でしょ。もう「せーの」じゃないですか。ピアノが5台分の音がいるなら、ピアノを5人呼んできて、一緒に同じこと弾かせるっていう。そういう理屈はあるんだけど、その時の録音マイクの選び方とか、マイクの位置とか、部屋の鳴らし方とか、多分いろんな事があるだろうね。そういうものが本当の意味での総力戦になって、いい形になって出てきてて。じゃあそれをどうやって再現するのかなって、ごく普通に思ったのね。で、今は48チャンあるんだからそれは多分できるはずだって思ったんですよ。でもやっぱり迷っちゃったんだよね、やってるうちに。だから、音楽っていうその1曲の幅をね、もともと窮屈な2チャンネルでやろうとしてたことを48チャンに細分できるでしょ。「せーの」じゃないんだからバランスも如何様にもとれるし。そういう贅沢なところでやったんだけど、それは逆の混乱が待っていたというかね。だから、音楽というのは、細かく微分すればいいってもんじゃないんだなって思ってね。今サザンってメンバーが6人いて、レコーディングではまだチャンネルいっぱい余ってるから、グロッケン入れて弦入れて、オルガン入れてっていう世界で、どんどんビッグサウンドになってくるでしょ。それが当たり前になってきたんだけど、それがずーっと「クリスマス・ラブ」につながって行ったんだなぁ、なんてすごく思ってね。僕らがデビューした頃は16チャンだったけど、それが24チャンになって48チャンになって、出来ないことは何もないじゃないかって思ってたけど、やっぱり音楽っていうか歌の基っていうのは何処に在るのかっていうと、人間の血肉の中に絶対在るわけじゃない。肉声とか、あと脳とかね。それをあんまり細分化してもね、所謂欲しい音にはならないっていうか、全然違うんだよね。」
(『代官山通信 Vol.50』サザンオールスターズ応援団、1994)
今井邦彦「あと「クリスマス・ラブ」は現代のレコーディング技術でフィル・スペクターをやりたいっていう……」
林憲一「そう、これは大変でしたね!」
今井「本当に苦労したんだけど…結局「できねえんだ!」で終わりました。」
一同「(爆笑)」
今井「だから猪俣さんがさっき話したように、昔の音というのは今のテクノロジーでやろうとしてもそう簡単にはできないということですね。これは切ない一曲です(笑)。」
(『Switch Vol.31 No.8』スイッチ・パブリッシング、2013)
確かに直球で60年代のウォール・オブ・サウンドを狙ったのであれば、アナログ録音、トラック数の少なさ、多人数でのリズムの一発録り…といった点だけでもどうしても分が悪い。ただ、先の山下達郎(と吉田保)のように多重録音をベースにしてでもアレンジやエコーでカバーし新たな着地点に導くアプローチがあるのも事実である。そんな観点からも音数の割にパーカッションやエコーなど(そして若干メロディも)、おとなしい点がどうしても気になってしまう。綺麗にまとまり過ぎている感が拭えないというか…本家ウォール・オブ・サウンドまたはそれに準ずるものの持つ賑やかさ、煌びやかさや狂気の再現には至っていない気はする。
といっても前述の山下達郎「鳴かないでHeron」などは思うような奥行きの音像にならないとの理由でこの93年時点ではレコードとしてはお蔵入り、数年間眠り続けることになる。それぞれが試行錯誤する時期ではあったのだ。
さて、この「クリスマス・ラブ」に関わった小林武史が翌年プロデュース・アレンジした曲にMr. Childrenの「innocent world」がある。この曲、ウォール・オブ・サウンドを意識したのではないかという指摘がある。
で、「innocent world」の場合は何なんだろうと思ったとき、これってウォール・オブ・サウンドなんじゃないかという笑 アコギとかものすごい重ね録りしてあるし。
吸い雲(maruomarukido) 3:52pm、2020.5.4.
https://x.com/maruomarukido/status/1257201425660010496
そう言われてみるとそのとおりで、壁は潔く複数本のアコギのみで構築し、シンセのストリングスやおなじみグロッケンなどは入るが基本はコンボスタイルでまとめている。合いの手にカスタネットが鳴りそうなところで鳴らないのが、ギリギリ甘くなり過ぎないように抑制している雰囲気だ。アコギの音壁というとGeorge Harrison「My Sweet Lord」のSpectorが浮かぶが、どちらかというとパブロック的な香りというか、Nick Lowe「Cruel To Be Kind」あたりの影響があるだろうか。日本では中村俊夫のアイディアによりそのサウンドをさらにSpector側に寄せたカバー、三遊亭円丈「恋のホワン・ホワン」もあった。
そうするとこの流れは「クリスマス・ラブ」の小林なりのリベンジと取れなくもない。これを聴いた桑田が何を思ったかは不明だが、直球ではない、こういったフォロワーの方向からのウォール・オブ・サウンド的アプローチに可能性を感じ取った…のかもしれない。
シングルのカップリングに収められたのがA面と対照的な方向性の「ゆけ!!力道山」である。これまでの桑田・サザンでも見られなかった、ミニマルな音数で攻めるスローファンクだ。右のキーボードはおそらく小林、ドラムは角谷のマシン。左右のいなたいギターと、さらにはベースも桑田によるものだそうだ。
「これね、こう言っちゃうとアレだけど、ギターとベース僕弾いてるんですよ。ドラム打ち込みなんですよ。だからそういう何ていうの、コンパクトというか、こう…狭い感じっていうの?そういうのが何か、良い感じで出たなあっていう感じで、もう自分で作った中で詞や曲っていう意味じゃなくて、これアレンジも含めてベスト10に入る。」
「この頃1993年っていろんな映画を見たりね、(略)音楽はやっぱりSlyをよく聴いて、今頃聴いてんのかい…Miles Davis聴いたりね、まあよく勉強した時代だったのかな。」
(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」Tokyo FM, 2021.1.19.)
多重録音とドラムマシン、ミニマルなサウンドというコンセプトはSly & The Family Stone『There’s A Riot Goin’ On』『Fresh』あたりを意識してみたのだろう。山本拓夫と荒木敏男によるブラスはLittle Feat「Spanish Moon」の影響が濃厚だがこれも桑田のアイディアか。シンセで作ったのかセンターで鳴るスクラッチなどもクールな印象を与えるのに一役買っている。桑田本人もこの曲の出来は会心だったようで、A面とは裏腹に30年経った今でも、自作の中でフェイバリットとしてたびたび言及する曲となっている(「桑田佳祐のやさしい夜遊び」Tokyo FM、2021.6.22. / 同 2025.5.10. / 「Eight-Jam」テレビ朝日、2025.4.6.)。Tommy Snyderによる英詞パートも「Baby, what you need is not a rock star. Get a funky, hunky, funky soul man.」とサウンドに合わせ小気味良い。
インナーはもちろん、こういった裏ジャケも5インチCD化の際にオミットされてしまっている。もちろんサブスクでも…
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「enoshima」リリース直後の10月には唐突に桑田のソロ・シングル「真夜中のダンディー」もリリースされている。共同アレンジャーに片山敦夫を迎えているため、「エロティカ・セブン」「素敵なバーディー」の直後もしくは並行して録られたのだろう。この流れでいきなり無骨で硬派な曲が飛び出したのは、桑田にキリンの缶コーヒーCM出演と新曲のオーダーがあったというのがきっかけのひとつのようにも思える。前年のサントリーの矢沢永吉をきっかけに、この年、缶コーヒー界は中年男性ミュージシャンをCMに起用する流れがあったのだ。さらには、同年末のイベントも影響しているように思われるが、このあたりは次回まとめて詳細を見ていこう。




