2023年6月24日土曜日

33 1/3計画 — 日本の45回転レコード創成期とコンパクト盤(下)

■その1 アメリカでは

1950年代末以降、米国のレコード業界において7インチシングル盤にとっては地味に迷走の10年でした。「地味に」というのは、業界からは新たな提案を続けていたものの、市場はその提案を受け入れずゆえにまったく新風は吹かず、それらのこと自体が歴史の中に埋もれたまま何事もなかったかのように時が過ぎていった…という、今となっては業界のいわゆる「黒歴史」となった流れがあったようだ、ということです。

Mike Callahanさん、Dave Edwardsさん、Patrice Eyriesさん、Randy Wattsさん、Tim Neelyさんによる2014年の大作記事に、そのあたりの経緯がまとめられています。
「The Stereo Singles Project: History and Discography of 7" stereo singles and Little LPs」
情報量の多いサイトなので、こちらの記事を参考に私が独断で要約 + 当時のBillboard紙からの引用で若干細かめにまとめますと…

1958年、ステレオ録音の登場により7インチ盤市場にも各社がステレオシングル、ステレオEPを投入します。ポップスファンにとってはちょっと早いタイミングと思われる方もいるかもしれません。それもそのはず、当時はポップスもののレコーディングはまだモノラルが主流、そもそも供給できる音源が少ない状況でした。また、モノラル用カートリッジでステレオ盤はかけられないという互換性の問題から、そもそも需要も無かったようです。そしてさらに、ポップスの宣伝の場でもあるAMラジオ局も当時はモノラル放送ですから、これまたステレオ盤はかけられない…等の理由が先のサイトで推測されています。ということで、ステレオのシングル盤自体がすぐに廃れてしまう…

という状況になりかけた1959年、沈黙していたColumbiaが満を持して33 1/3回転の7インチシングル、「Stereo Seven」のリリースを開始。ここには10年以上前の因縁がありました。

ここで時計の針を戻して1948年の話をしますと…Columbiaは78回転盤に代わる新しいマイクログルーヴのレコードとして、10インチと12インチでLP=Long Play Record、33 1/3回転盤を開発・発売。その半年後、ライバルのRCA Victorが7インチでマイクログルーヴの45回転レコードを開発・発売。熾烈な回転数戦争の火蓋が切って落とされましたが、回転数切替機能を持つプレイヤーも普及、2社以外のレコード会社もいずれかに絞るわけでもなくそれぞれをリリースし、結果的に棲み分けが成立します。45回転盤登場とほぼ同時にColumbiaは慌てて7インチでも33 1/3回転盤をリリースしますが、7インチの領域では45回転盤にかなうことはありませんでした。1950年、Columbiaが渋々45回転市場に参入したのち、33 1/3回転7インチ盤はいつのまにかフェイドアウトの憂き目にあっています。
このあたりは松林弘治さんによるこちらの記事が詳しいです。
「Things I Learned On Phono EQ Curves, Pt.14」

ということで、フェイドアウトから10年も経たないうちに、シングル盤のステレオ化に乗じて、Columbiaは(仕様的に回転数はステレオと関係ないのですが)再度33回転でStereo Sevenを発売開始したのです。

Billboardの59年7月20日号において、Columbiaが33回転のステレオ7インチを発売、という記事が掲載されます。
Columbiaの社長Goddard Libersonは「我々はStereo Sevenのターゲットを、シングル盤の新たなリスナー=最近シングル盤を買っていない大人のリスナー、と考えています」「総売上の80%は33回転レコードです。ステレオ環境が整ってるユーザーはLP購入者ですから、33回転はステレオ・シングルに必然なのです」と語っています。音質や仕様の問題ではなく、普段シングルを買わないLP購入層にアプローチするための戦略として33回転なのだ、という理屈です。
Col. to Intro New Stereo 7-Inch 33 1/3


ステレオ45回転シングルに失敗したと考えた各社は、Columbiaの動きに追随し33回転シングルのリリースを開始します。こちらはABC Paramount参入の記事です。
Am-Par Debs Seven-Inch LP

こちらはCraftのステレオ用レーベル、Stere-o-craftも大人向けを想定して33回転シングルに参入する、との記事です。
Label Climbs 7-Inch Stereo Bandwagon

こちらの記事では、Capitolが年明けに33回転シングル市場に参入するという話がスポークスマンによって否定された、とあります。Capitolは過去の回転数戦争において、最初にRCA Victor側につき、45回転盤をリリースした会社でした。同時にジュークボックス製造会社Seeburgのエンジニア、John Stuparitzが33回転シングルに可能性を感じているとのコメントも寄せられています。「ステレオ、モノラルともシングル盤の未来は33回転にある」との熱いコメントが光ります。
Interest Builds in Stereo 33 Single

米国内に留まらず、海外でも33回転シングルがリリースされるとの記事も登場します。日本において、Columbiaと同じタイプの盤を日本コロムビアが発売するとの記事です。

そして翌60年6月。秋にCapitolも33回転シングルに参入、しかもステレオのみならずモノラルシングルもリリースするとの記事が掲載されます。モノラル・ステレオ両方をリリースすることで、Capitolは最終的にレコードの回転数が1種に戻ることに全力を尽くしている…とBillboard紙は書いています。ここが7インチシングルのステレオ化から、33 1/3への回転数統一に目的がスライドしていくターニングポイントとなったようです。
Capitol to Issue Mono and Stereo Seven-Inch 33's

1週間後には他のメジャー会社も回転数統一に向けて動いている、という記事が出てきます。Capitolが先陣を切る中、Columbiaのみならず、Victorもこの問題についてトップ達がこの数ヶ月研究を続けている、とあります。
Mono 33 Single Can Spur 1-Speed Industry Thinking

そしてColumbiaはすべてのシングルについて、45回転と同時に33回転(モノラル)でもリリースする予定、と報じられます。
Col. to Issue All Singles 33 and 45

そして60年の年末。業界のこの流れには逆らえないと思ったのか、ついには回転数戦争における7インチ界の勝者・45回転レコード生みの親であるRCA Victorまでが33回転7インチ「Compact 33」の発売を大々的に始めます
Victor Sights on Broader Market Via 'Compact 33'
RCA Victorの33回転シングルの登場で、業界が回転数統一に向かう道が示された…と小見出しがあります。シングルは「Compact 33 Single」、4曲入りのEPに相当するものが「Compact 33 Double」としてリリースされること、歯ブラシメーカーDr. Westとタイアップし、歯ブラシにCompact 33のハイライト盤『Tunes for Teens』がついてくる、というプロモーションが展開される…などが書かれています。ハイライト盤のタイトルは、45回転盤の主要顧客層である若者に33回転7インチを売っていこうという明確な意思が見てとれます。

こちらは歯ブラシなしで単体発売されていた、無題のバージョンと思われます(歯ブラシ付バージョンはこちら)。Compact 33は回転数切替不要、センター用アダプターも不要…とアピールポイントが書かれています。
歯ブラシの有無にかかわらず盤は共通のものが使われていたようです。A面モノラル・B面ステレオでなんと計8トラック入り。片面4トラックでもはやDoubleですらありません。

若者向けに33回転のみの安価なプレイヤーが求められている…というBillboard紙の社説も掲載されています。
Sparking 33 Singles

61年末になっても、まだまだ各社の33回転チャレンジは続いていました。4曲にとどまらず6曲入り33回転7インチを、Cadenceは「Cadence Little LP」・Mercuryは「Compact 6」のシリーズ名でリリース開始します。
Manufactures Unveil New 'Small' LP's



さてこれらの33回転7インチ、息巻く業界と裏腹に、実は市場にはまったく受け入れられなかったようです。RCA Victorが参入して半年後、61年6月のBillboard紙、ラジオ局WBUCの制作マネージャーDale Brooksの意見を見てみましょう。
Vox Jox: Vetoes Compact 33
Brooksも最初は良いアイディアと思っていた33回転7インチ、実際45回転盤に比べると
・大きさが同じなので収納には何のメリットもない
・再生忠実度に大きな改善はない
・センターホールが小さいので片手で手軽につかめない
・扱いが面倒くさい
…と、完全に酷評です。センターホールなどはアダプターの手間を考慮したのが裏目に出てしまっています。

唯一33回転7インチに活路を見出し、当初よりジュークボックス界においてバックアップを続けてきたSeeburg社の奔走を取り上げた62年9月のこちらの記事を読むと、「市場に大きな影響を与えたものはなかった」ということで、一般向け33回転7インチ盤はもはや終わったことになっています。
After considering the concept as a retail entity, most diskers called last week were pessimistic. There were recollections of various experiments with new concepts in disks, such as RCA Victor’s compact 33-speed singles, Columbia’s stereo 33, introduced some time before, and others. In none of these cases, did the disks in question make a serious dent in the marketing picture. Fault, in most cases, was laid at the doorstep of Mr. Average Record Dealer, whose problems of inventory were already compounded by the necessity of stocking both stereo and monaural versions of the same LP titles.
("Little LP's Stir Mixed Reactions", Billboard Music Week, September 22, 1962

以降、一般向け33回転7インチについての記事は見かけなくなります。各社とも、1950年のColumbiaのように、生産をフェイドアウトさせていったようです。Stereo Seven発売からわずか3年、33回転7インチはすっかり過去のものになってしまいました。

しかしこれ以降、Seeburgの33回転7インチ専用ジュークボックスのために、各レコード会社は1枚に6曲程度収録された「Little LP」を作り続けていくことになります。アルバム作品のプロモーション用として、多くの曲が入った33回転7インチというのはジュークボックスにとってはメリットのあるものだったということでしょう。Seeburgの奮闘がなければ、33回転7インチは完全に消えてしまっていたかもしれません。

そして最初の話に戻りますが…再度業界は市場が選択し続けた、45回転でのシングル盤のステレオ化を目指します。この間何年かでFM局の増加、ポップスでも12インチLP=アルバムのステレオ化などが進み、購入者のリスニング環境などの障壁は少なくなっていました。渋るAM局にはモノミックスを収録したプロモ盤を出し続けるというところで落とし所をつけ、1968年より、ようやく全体的に45回転シングルがステレオ化され始めました。当初のトライから丸10年の廻り道、でした。



■その2  日本では

長らくお待たせしました、今回の本題です。日本での4曲入り33回転7インチ・いわゆるコンパクト盤について、見ていきましょう。


●日本初の33回転7インチレコード

日本でマイクログルーヴのレコードが発売されたのは33 1/3回転盤が51年、45回転盤が54年。既に米国で回転数戦争は終わっており、日本コロムビアも特に50年代初頭から33回転の7インチを発売することはなかったようです。12インチの33回転LP、7インチの45回転シングル、7インチの45回転EPが共存していました(さらには地味ながら16 2/3回転のマイクログルーヴ盤というのもありましたので、実は旧式78回転盤とあわせると4スピード存在していました)。

平和な時代が続いた1958年、ひっそりと日本ディスクがおそらく日本初の33回転7インチレコード、6曲入りをリリースしています。

7DLP-1(7"LP) ¥800 パリー・ニューヨーク
いつの日か君に逢わん、詩人の魂、パリ・カナイユ
美しきコペンハーゲン、アイ・ビリーヴ、スウエーデン・ラプソデイ
仏のル・アープ港から、ニユーヨーク迄の間の大西洋航路の豪華船“リベルデ”号に乗り込んだ、ジエーリー・メンゴ、フランク・プーセルその他のバンドがフランスとアメリカを想わせる曲を美しくきかせる33回転の7"LP
『デュクレテー・トムソン デイスコフイル・フランセー オアゾーリール Nippon Mercury 日本ディスク株式会社 1958・1 正月新譜拔粹目録』日本ディスク株式会社、1958

同社はこの頃8インチLPのリリース(「月報 日本マーキュリー 1950年代」https://muuseo.com/chirolin_band/items/12などユニークなトライをいくつか行っており、33回転7インチもその一環のようです。日本ディスクがこのようなトライを続けた理由は、社長André Calabuigの方針によるものだったと推測されます。

(引用者注:フランスでのレコード事情について)レコードの値段についてはよく質問されます。一枚一枚の値段は日本より少し高いのですが、生活水準が日本より高い様に思いますので、それ程購入にさしつかえる事はない様です。それに12吋LPにプレスされた曲の一部分を抜粋して、7吋LPにして出していますので、手ごろな値段で求められ、又自分の好きな曲目だけを楽しめます。日本ではまだこの7吋LPが普及されていませんが、日本ディスクではこの企画をしていますので良いプレスで数多くの名曲を、求めやすいお値段で出まわるのも近い事と思います。
アンドレ・キャラビ「外・人界 フランス人は…『レコード藝術 1957年4月号』音楽之友社、1957)

45catなどで本国Ducretet-Thomsonのディスコグラフィーを見ると、50年代後半は45回転シングル、4曲入りもEPのみで、33回転の7インチは出ている形跡がありません。1952年には出ていたようですが…。ほか仏Columbia、仏RCA Victorなどを見ても7インチは45回転盤ばかりのようです。もちろん前回のとおり、当時の日本でもEPはそれなりに出ていましたので、この辺はCalabuigがうまいこと話を盛ったのか、それともポップス畑の事情に疎かったのか、どちらかでしょうか。

日本ディスクの33回転7インチは大きい会社ではなかったこと、また月報でもこの一枚しか確認できない程度の規模のリリースだったようで、このチャレンジは歴史の中に埋もれてしまったようです。

Calabuigはこの数年後、朝日新聞社が仏Sonopresseと提携した朝日ソノプレス(のちの朝日ソノラマ)創立時の社長に就任。リーズナブルなメディアとして日本人にも非常に身近な存在となる、ソノシートの普及に大きく関わります。


●ステレオ・セブンの日本上陸

さてこれ以降は前回も登場した日本レコード協会の機関紙『Record』(現:『The Record』)の海外情報「世界の話題」、国内情報「News」コーナーを主に参照していきたいと思います。

59年9月号「世界の話題」コーナーでは、米ColumbiaのStereo Seven発売についての記事があります。

米国コロムビアの「Streo Seven」
 米国コロムビアは七月中旬マイアミのアメリカーナ・ホテルに於いて開催された一九五九年度販売会議で、三十三回ステレオ七吋レコードを発表した。四五シングルで発売する内の特種の曲目だけを三十三回ステレオで出す。これを「Streo Seven」と命名した。
 これは大人を対象に発売するもので、大部分の大人は四五シングルを使用するのをやめている。これはスピンドルにアダプター取り付けの面倒さがあるからである。
(略)
 この「ステレオ・セヴン」に関する他の諸会社の批評は賛否まち〳〵で纏まらない。反対者達は「何のために出すのだ。また商売に混乱を引き起こすではないか。四五シングルのステレオ盤があるではないか」という。併し、熱心に賛成する諸会社もあり、或る大会社は、「これは素晴らしい考えだ。どうして我が社が思いつかなかったのだろう」と言ってもいる。
 然し、現在のところどの会社も三十三回ステレオ七吋を出そうとするものはなく、コロムビアの売行をよく見極めて決心をつけようとしている。
『Record 1959年9月号』日本蓄音機レコード協会、1959) ※引用者注:Steroの綴りは原文ママ

まだ海の向こうの小さな動きかと思いきや、先のBillboard紙の記事にもあったとおり、1960年1月、日本コロムビアはStereo Sevenを日本においても発売開始します。1960年1月5日発行の月報で1ページが設けられています。

1960年レコード界の寵児!
STEREO SEVEN ¥400 <1月10日発売>
コロムビア33 1/3rpmステレオ・7登場!
LPファンがそのままの回転で手軽に楽しめる17cmのステレオ・シングル盤。
『レコード月報 コロムビア M-G-M エピック ウェストミンスター ヴェガ・ニクサ 1960 2』日本コロムビア株式会社 レコード営業部、1960)

初回発売は以下の5枚、4曲入りEPの代用品ではなく、あくまで45回転シングル盤に代わるものとしての、片面1曲ずつの収録でした。

・LLS-1「The Battle Of New Orleans / All For The Love Of A Girl」Johnny Horton
・LLS-2「Love Is A Many-Splendored Thing / Flirtibird」Duke Ellington & His Orch.
・LLS-3「Volare / I Love Paris」The Kirby Stone Four
・LLS-4「Smile / You Can't Love Em All」Tony Bennett
・LLS-5「Goodnight Irene / On Top Of Old Smoky」Micth Miller & His Orch.

こちらは第一回発売のうちのLLS-2。レーベルやカンパニースリーブのデザインは米国ColumbiaのStereo Sevenを踏襲し、細部のみ変えてあるようです。

ライナーには「ステレオ・レコード界にセンセイショナルな話題を提供したステレオ・セブン」とあります。


●「米国で好調な」33回転7インチ

『Record 60年4月号』の「世界の話題」コーナーで、再度Stereo Sevenが登場します。好調なうえに、45回転シングルは消えゆくのではという業者のコメントまで載っています。

ステレオ・セブンのその後の売行
 昨年七月米国コロムビアが発売した三十三回転ステレオ七吋は、その後徐々にレコード会社ならびにジュークボックス設置店主達の興味の的になりつつある。特に最近のように四五回シングル売行が低下し始めている際においてである。或る業者は、四五回シングルは間もなく消え失せるのではないかと言っている。
『Record 1960年4月号』日本蓄音機レコード協会、1960)

いっぽう日本では、まだまだ45回転EPの可能性を広げる試みが続けられていました。『Record 60年5月号』の国内情報「News」コーナーでは、日本ビクターがさらに曲数を増やしたEPをリリースするとの記事が掲載されています。

ビクターから六曲入りEP JETシリーズ発売
普通EPは両面で四曲録音されているがビクターレコードではEPの収録時間を最大限に活用し六曲収録のキングサイズEPを制作し“スーパー・ドーナッツ・ジェット・シリーズ”として6月新譜から発売する。
価格は一枚六百円という徳用版。
『Record 1960年5月号』日本蓄音機レコード協会、1960)

日本ビクターのJETナンバーはその後2曲入りのシングル盤にも使用されることになりますが、当初は6曲入りEPの番号だったようです。JET-2が45catに掲載されています(余談ですが、このChantelsのアルバム・ジャケット、ジュークボックスの写真の流用もひょっとしてこのキングサイズEPが始まりでしょうか?)。

『Record 60年10月号』の「世界の話題」、モノラルでも33回転シングルが出る・キャピトルも参入するという記事で、またしても海外での33回転シングルの好調さが伝えられます。

モノラル七吋三三回転盤
 昨年夏発売したステレオ・セヴンの成功に引続き、米国コロムビアは今回四五シングルと同時にモノラル三三回盤を発売し始めた。同一ポピュラー曲を二つの速度で発売していく方針である。小売店側も、配給者側も喜んでこれを迎えていると営業部長ガラハー氏が語っている。
(略)
 キャピトルも、この例にならい特定の曲だけ、四五及び三三回七吋で発売することを決定し、他の数社もこれに従うことになるらしい。
『Record 1960年10月号』日本蓄音機レコード協会、1960)


●ステレオ・セブンの方針転換

『Record 60年10月号』では同時に「News」で、日本のコロムビアが4曲入りのステレオ・セブンをリリースすると報じられています。

コロムビア「ステレオ7」五百円盤発売
コロムビアでは新たに一枚四曲入りのステレオ・セブン五〇〇円盤シリーズ(17cmLP)を設け第一回新譜として次の五枚を十一月二十日発売する。
『Record 1960年10月号』日本蓄音機レコード協会、1960)

コロムビアの月報では60年11月1日発行の『レコード月報 '60/12』(日本コロムビア株式会社 レコード営業部、1960)において、「4曲入ったステレオ7 17cmLP」の題で、4曲入りステレオ・セブンが5枚リリースされる旨記載されています。EPに変わるものとしての「17cmLP」、33回転盤です。初回発売は以下の5枚でした。

・LSS-1「La Cumparsita / Jalousie / Besame Mucho / Miami Beach Rhumba」Xavier Cugat & His Orch.
・LSS-2「Quien Sera / La Malagueña / Me Voy Pa'l Pueblo / Carilu」Trio Los Panchos
・LSS-3「Love Is A Many-Splendored Thing / Third Man Theme / Around The World In 80 Days / An Affair To Remember」Frank De Vol & His Orch.
・LSS-4「La Cumparsa / Taboo / Quierme Mucho / Para Vigo Me Voy」Percy Faith & His Orch.
・LSS-5「Night And Day / Check To Cheek / Over The Rainbow / Three Coins In The Fountain」Doris Day

こちらが4曲入り第一弾のLSS-1。シングルのLLSナンバーから心機一転、レーベルやスリーブのデザインも変わっています。このデザインは米Columbiaのモノラル33回転シングルに準じているようです。

LLSナンバーにはあった、録音特性RIAAについての記載がなくなっています。

いっぽう気になるのは片面1曲入り、シングルのステレオ・セブンなのですが、コロムビア年鑑によると60年8月発売のLLS-17、Andre Kastelanetz & His Orch.「Dark Eyes / Two Guitars」を最後にすでにリリースが止まっています。つまり45回転シングルの代替としてのステレオ・セブンをいったん打ち止めにし、改めて4曲入りEPの代替としてステレオ・セブンを再スタートさせたような状況です。

面白いのが、米ColumbiaのStereo Sevenはこの時点ではまだ片面1曲ずつのシングルのみで、片面に複数曲が入るのは6263年のことのようです。イエローのレーベル・デザイン等もColumbiaのモノラル33回転盤の流用で、Stereo Sevenのものではありません。タイミングとしては、Capitolも参入し、ステレオだけでなくモノラルの33回転シングルを開始、33回転統一の動きが見られ始めた頃です。RCA Victorの参入も間近で、CapitolやRCA Victorは33 Doubleを当初よりリリースしているようですので、この辺の情報を先取りしてヒントにしたのか、それとも日本コロムビア独自の判断だったのか…この辺は興味深いところです。

今回この背景については見つけることはできませんでしたが、33回転シングルを打ち止めにしてしまうということは、単純に8ヶ月リリースしてみて、方針転換せざるを得ないような売れ行きだったという可能性もあります。いずれにせよこの判断・発売スタイルが、後々日本のEP、4曲入り7インチ界に大きな影響を与えることになるようです。


●他社の33回転4曲入り7インチ参入

年が明けて『Record 61年1月号』の「News」、33回転7インチにコロムビア以外の会社が参入するニュースが登場します。テイチクが国内製作ものの33回転7インチをリリースするという内容です。

テイチク、33回転17cmステレオ発売
テイチクは2月新譜から33回転17cmステレオを発売する。価格は四〇〇円、第一回発売は次のとおり。▶︎戦友、佐渡おけさ<アイ・ジョージ>▶︎銀座の恋の物語<ブルー・キャナリーズ>君忘れじのブルース<クリスタル・シスターズ>北上夜曲<トリオ・こいざんす>十三夜<ふりそで・シスターズ>▶︎独立騎兵隊マーチ/峠の幌馬車/コーヒー・ルンバ/九月になれば<バッキー白片とアロハハワイアンズ>SS-一〜三。
『Record 1961年1月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

SS-1は片面1曲ずつとシングルっぽいですが、「戦友」は7分45秒の収録なので、これのみ特例と思われます。テイチクの年鑑『テイチク・デッカ・ユニオン・フォニット番号順総目録 : 営業用 1963』テイチク株式会社、1962)を見ても、SS-2以降はすべて4曲入りの「Stereo LP」でした。あくまで4曲入りEPに相当するものを33回転でリリースし始めた、というところです。


●日本のレコード業界の方針

『Record 61年2-3月号』ではコンパクト盤史的に重要な情報が掲載された一冊です。まずいつもの「世界の話題」では、米RCA VictorのCompact 33のニュースが飛び込みます。

RCAのCOMPACT33とレコード速度の一本化
 米国コロムビアが一年半前、十年目に再発売したSTEREO SEVENはその後好調の波に乗り切り、シーバーグもこの小型三三回盤演奏可能のジュークボックスを市販し始め、キャピトル、デッカとこれに続き、現在米国では二十二のレコード会社が発売しつつある。四五回盤の創始社RCAビクターは永らくその売行状況を注視していたが、遂に一九六一年一月一挙二十五枚の七吋三三回盤をCOMPACT33と銘打って発売した。これは世界的に有名な歯ブラシDr. West's Toothburshと提携して行なわれる。(この歯ブラシは、現在は知らないが、その昔は大阪製で神戸の米人商社から米国へ輸入されていた事実を筆者は知っている)
 この新発売盤は二種類あり、COMPACT 33 SINGLEは片面一曲づつで小売値段九八仙、COMPACT 33 DOUBLEは片面二曲づつで一弗四九仙となっている。そして、四五版と同時発売される。
 大会社がすべて三三回七吋を取扱うようになれば、自然考えられてくるのはレコード速度の一本化(現在は四速度)である。この点に関して、各社幹部は最深の注意を払って成り行きを見ているが、ビクターは各放送局につき三三回と四五回といずれが便利であるかを調査しつつあり、同時に小売店側の在庫状態をも検討し最も苦痛なく一本化できる方法を考えている。もっともこの一本化迄には相当の時間を必要とすることであろう。又ビクターは三回転のみの安価蓄音機を発売する予定である。
『Record 1961年2-3月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

時間はかかるだろうとしながらも、米国では回転数統一にむけ各社(22社!)が動いており、33回転7インチ自体も好調であるという印象を与える記事になっています。

さて同誌では、協会誌ということでレコード会社各社の社員、さらに日本オーディオ協会の理事らの座談会が掲載されています。お題は「演奏機に関係するクレームの問題点」。プレーヤーに関する苦情について、あれこれ意見交換が行なわれています。大きくは3点話題があり、針飛びの問題、針自体の問題、そして回転数、です。プレーヤーのスピード選択肢に78回転・16回転はもう不要ではないかという話が続くのですが、その中でこんな発言があります。

浅野勇(オーディオ協会理事)「スピードの問題をつきつめて行きますと45あたりも無意味だと思うんです、7吋だって33でいいと思いますね。」
和田正三郎(キングレコード技術課長)「アメリカでは、そういう趨勢にありますよ。1スピードですみますし。」
(略)
白石勇磨(日本ビクター録音技術課長)「オプショナルセンター(アダプターのいらないもの)の将来はどうでしょうか。45はみんなアレになるとか……。」
池田圭(オーディオ協会理事)「どっちがいいんですか、ドーナツとオプショナルセンターでは。ビクターさん以外はみんなドーナツなんですね。」
和田「別にドーナツにして大きくする理由はもうないんです。」
白石「アダプターを無くしたりする心配もないわけです。」
池田「そうするとみんな小さくするというようなことではどうなのですか。」
和田「それはもうできてるでしょう。33で7吋を出せばそれは解決できますよ。会社はみんな33にして行こうという傾向があるのですから。
岡原勝(オーディオ協会理事・岡原研究所)「あるようですね。
池田「そうすると45本来の意義からはずれることになりますね。」
和田「そうですよ。最初ビクターが45を発明したときの理論的根拠はくずされるわけです。しかしEPだとか、その理論を超えた長い時間のカッティングを既にやっているので、要は耳できいてどの程度の歪までききわけられるかによるので、その辺にふんぎりをつける根拠がありそうです。」
(「座談会 演奏機に関係するクレームの問題点『Record 1961年2-3月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

さらっと話していますがキングレコードの技術課長の発言にあるように、この時すでに日本のレコード会社各社は、米国の趨勢を横目で見ながら33回転に統一する流れに意識的に足を踏み入れていた、ということがわかります。となると、数ヶ月前にテイチクが4曲入りの「Stereo LP」をリリース開始したのは、この流れを踏まえたものでしょう。

『初歩のラジオ 1961年3月号』(誠文堂新光社、1961)でも海外トピックス欄に「33 1/3回転の“新シングル盤”」という記事があり、RCA VictorのCompact 33についての情報があります。45回転盤はかつての78回転盤のように影が薄くなっていくのではと予想される…と締められています。


●日本ビクターの33回転4曲入り7インチ参入

そして『Record 61年5月号』の「News」では、日本のビクターもRCA VictorのCompact 33 Doubleの日本盤を発売開始するとの記事があります。直近でクラシックはすでに33回転7インチをリリース開始していたようです。

ビクター17cmLPに新シリーズ「コンパクト33ダブル」「33E-100番シリーズ」「ミニLP」
ビクターは17cmLP「スーパー・ボックス・シリーズ」に続いて、六月、七月新譜からステレオ・モノラルに「コンパクト33ダブル」「33E-100番シリーズ」「ミニLP」を新設、発売することとなった。
『Record 1961年5月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

ビクターからのモノラルコンパクト33ダブルの第一弾はElvis Presley『Flaming Star』でした。レーベルやスリーブはRCA VictorのCompact 33 Doubleにに近いデザインです。ただし、コロムビアのステレオ・セブンのような商品説明は特にありません。

やはり前年のコロムビアの判断を踏まえているのか、4曲入りEPに相当するコンパクト33ダブルのみで、米国のようにCompact 33 Singleはリリースされず、この後もリリースされることはありませんでした。


●コンパクト盤と入れ替わり、消えゆくEP

『Record 61年7月号』の「News」は、1年前には6曲入りEPということでニュースとなっていた日本ビクターのジェット・シリーズがステレオになると同時に33回転盤に切り替わるとの報です。

ビクター新企画 ステレオ・ジェット・シリーズ
ビクターは従来ワールド・グループにスーパー・ドーナッツ・ジェット・シリーズを設けEP45回転<六曲入り一枚六〇〇円>を発売しているが、7月新譜から17cmLPステレオによる「ステレオ・ジェット・シリーズ」を設け、一枚五〇〇円で発売することとなった。
『Record 1961年7月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

このようにこの時期、EPは33回転のコンパクト盤に切り替えられることで徐々に絶滅していったようです。

『Record 61年11-12月号』の「世界の話題」では、米国での45回転シングルの売上低下の原因を解説した記事があります。ここで33回転7インチについても触れられていますが、効果が出ていない、と、これまでの勢いがありません。

四五シングル売上低下の原因
 シングル売上げ増進の一策として、七吋三三回盤、ワーナーのシングル片面二曲録音のPlus2等が発売されているが、未だそれ程の効果は認められていない。
『Record 1961年7月号』日本蓄音機レコード協会、1961)

これ以降、米国でも33回転7インチはジュークボックス界でのみ生きながらえることになります。その後は『Record』でも、コンパクト盤についての記事は見当たりませんでした。

そもそもの話になりますが、今回調べてみて、コンパクト盤についての記事自体数える程度しか見当たりません。特集記事があっても音質については煮え切らない、というか曖昧な記載しかなかったのは推して知るべし、というところでしょうか。

 ドーナツがはじめて発売されたとき、それが三十三回転よりもスピードの速い四十五回転であることとアームとの対角関係で最も合理的な大きさであることを理由として音質の良さをライバルのLPに対して宣言したことからすると、LPなみに三十三回転のステレオとなったダブル盤が果して音質的にLP以上という往年の誇りを維持しているのか、或いは別の大きな目的のまてにその点では数歩後退したのか、私には責任ある回答はできないが、しかし察するところ後者であったとしてもシート(引用者注:ソノシート)とは同日には論じられないだろう。
藁科雅美「ダブル盤礼賛」『レコード藝術 1964年5月号』音楽之友社、1964

日本ではその後回転数が統一されることもなく、かといってEPが復活するわけでもなく、7インチシングルは45回転・4曲入り7インチ=コンパクト盤は33回転、という暗黙のルールが業界で固定化されます。このルールは特にひっくり返ることもなく、CD時代が到来するまで継続するのでした。


●日本におけるシングルのステレオ化

そういえば米国で発端となったステレオシングルの問題、日本では早く45回転シングルのステレオ化が進みました。国内制作でいうとコロムビアの美空ひばりが63年、ビクターの橋幸夫が64年にシングルのレギュラーリリースをステレオに切り替えていますので、シングル盤のステレオ化は欧米に先駆けてかなり早く進んでいます。供給側の対応はスムーズに終わり、購入者側、ラジオ局もすんなり?かどうか不明ですが、状況を見る限り受け入れていたと思われます。

コンパクト盤もそうなのですが、米国のように購入者に選択肢を与える(33回転シングルが出ていた間、米各社は一貫して45回転シングルは通常どおりリリースし続けていました)わけでもなく、また購入者側もさほど拘りがなければこのような流れになるということでしょうか。


●33回転7インチレコードの呼称

ちなみに今回「コンパクト盤」とタイトルにしておいてなんなのですが、この固有名詞、リアルタイムの文献を見る限り必ずしも一般的ではなく、「コンパクト盤」以外に「ダブル盤」(『レコード藝術 1964年5月号』音楽之友社、1964)「ミニLP」『Music Monthly 1961年6月号』月刊ミュジック社、1961)、「17cmLP」など実に多様です。もともと「EP」ですら違う使われ方になってしまった日本ですが、4曲入り7インチの立場の緩さがうかがえます。

「ダブル盤」というのは「シングル盤」に対して片面2曲という意味と思われ、既に日本でも『Record 1957年7月号』(日本蓄音機レコード協会、1957)で4曲入りEPを指す言葉として既に登場しています。そのため、もともとは特に33回転に特化した名称ではありません。RCA Victorも「Compact 33 Single」「Compact 33 Double」のシリーズ名で区別していました。先の『レコード藝術 1964年5月号』では、「ダブル盤」の語を使っていますが、記事内容から呼称が統一されていない、というか筆者もそもそもその語を使っていなかったのがわかります。

 ダブル盤という、私がうかつにもつい最近、本誌の編集者からはじめてその名を教わったレコードが、そのコンパクトである。Compact…目のつんだ、ぎっしり詰った…つまり三十三回転の十七センチのレコードのことであるが、念のためにレコード会社でもダブル盤という呼称を使っているかどうか訊ねてみると、ある社ではイエスと答え、ある社ではコンパクト・ダブルだと云い、またある社ではダブル盤という名前は音楽之友社の人たちの創造で、うちではコンパクトLPと呼んでいるというはなしだった。要するにダブル盤はまだレコード業界が公式に採用している統一名ではなく、名付け親は『レコード藝術』だというのが図星かもしれないが、字数も少なく、コンパクトの別の意味である簡潔という趣旨にも添った、たいへん巧い用語だと思う。それが普及すると、普通のLPや四十五回転のシングルやEPと区別するためにいちいち十七センチLPなどと書かなくても、ダブルの三文字で用が足りるようになるだろう。
藁科雅美「ダブル盤礼賛」『レコード藝術 1964年5月号』音楽之友社、1964

近年、日本で「コンパクト盤」の言葉が比較的使われているのは、おそらく後世もコレクターの多いBeatlesをリリースしていた東芝が「コンパクト7」「〇〇(レーベル名)コンパクト」のシリーズ名を使っており、CDがメインとなる80年代末までカタログに残り続けていたというのもあるかもしれません。コンパクトの語こそないものの、92年のリイシューでもまだ律儀に45回転ではなく33回転でリリースしています。

もともと米国でCompactの語を使っていたのがRCA VictorとCapitol、Libertyで、日本では配給していたビクターが「コンパクト盤」、東芝が「コンパクト7」「〇〇コンパクト」と使用していましたが、他のレーベルは特にコンパクトとも呼んでいなかったようです。



■その3  フランスでは・メキシコでは・アラスカへゆけば

ここからは参考程度に他国の状況をBillboard紙に頼って探ってみましょう。

欧州ではそもそも33回転7インチなどは試験的リリースすらあったのかどうか…というイメージでしたが、61年3月のBillboard、スペインでのRCAの「Compact」リリースに関する記事がありました。
Spanish Newsnotes: Disk Biz

確かに45catにも掲載されており、4曲入りのCompact 33 DoubleがLPCナンバーで61年に何枚かリリースされていますが、62年以降リリースされた形跡がありません(EPのみのリリースに戻っています)。早々に諦めたと言っていいような状況です。他国でもリリースされた形跡は見当たらず、基本的に欧州のレコード会社は米国の動きを冷静に見ていた(見てるだけ)というところでしょうか。

英国やフランス・イタリアなどにおいては、45回転EPはLP=アルバムからの抜粋盤としての重要な地位を確保し、60年代においてもリリースが継続されました。このあたり、4曲入り7インチの需要自体が無くなった米国とは異なる点です。

オセアニアではどうでしょう。61年6月、ニュージーランドでCompact 33 Double第一弾、Elvis Presleyの「Flaming Star」がヒットしているとの記載があります。
Harry Miller Plans Jazz Pack

「Flaming Star」=『Elvis By Reqest』は日本ビクターのコンパクト33ダブル第一弾と同じです。しかし、日本と異なりニュージーランドでは、これ以外のCompact 33のリリースがほとんどなく、その後もEPばかり、シングルももちろん45回転のままだったようです。

45catの『Elvis By Reqest』を見ると他にカナダ、南アフリカ盤でもCompact 33 Doubleで出ていることがわかります。そこでRCA( Victor)のそれぞれのリリース状況を覗いてみると、カナダ南アフリカも数枚出してその後すぐ45回転EPに戻るという、スペイン、ニュージーランドと同じ流れが繰り広げられていたようです。

ということで欧州、オセアニア、北米、アフリカなどでは33回転7インチは4曲入りを試験的にリリースしてみたものの根付かず、45回転が7インチ盤の回転数の座を譲ることはありませんでした。米国とほぼ同じ流れと言っていいでしょう。

それでは…南米についてはどうでしょうか。

Columbia Sales Climb South of the Border
これによると62年初頭、南米では以下の状況だったようです。
アルゼンチンでは60年の33回転シングル発売当時、45回転盤はまだ市民権を得ていなかったため、33回転シングルが根付いた
ブラジルやウルグアイでも33回転シングルが好調
・メキシコでは33回転シングルは未リリース、チリでは全く広がりを見せていない
・アルゼンチンやブラジルでは45回転ではなく、33回転EP(Billboardもこの頃はこんな呼び方してるんですね)のリリースが予定されている

ここでまたまた45catを見ますと、アルゼンチン(ColumbiaCBSRCA Victor)は60年頃〜70年代半ばまで、ブラジル(CBSRCA Victor)・ウルグアイ(ColumbiaCBSRCA Victor)も80年頃もしくはそれ以降もでしょうか?7インチはシングルも4曲入りも33回転「のみ」でリリースされています。

他方、すでに45回転が根付いていたメキシコ(ColumbiaCBSRCA Victor)、チリ(CBSRCA Victor)では確かに記事のとおり45回転盤のみがリリースされているのがわかります。

60年代以降、南米数カ国の7インチが33回転でリリースされているのは謎でしたが、アルゼンチンで60年にリリースが開始されたということは、米国の33回転統一ムーブメントの影響を受けていると言ってよいタイミングです(それ以前は実は45回転で普通に出てるようですし、RCAでは61年以降「33 Simple」「33 LP」に切り替わっています)。おそらく、定着した国では米国の動きを見て試験的に導入しうまく定着した・もしくは日本のコンパクト盤のように有無を言わさず33回転オンリーに発売を切り替えたのではないでしょうか。そうするとその後アルゼンチンなどで70年代以降、45回転に再び切り替わる契機も非常に気になるところですが、今回はここまでとしたいと思います。



■おわりに :世界は1分間に45回転で

ということで、どこにも明確に記録がない(私が見つけられなかっただけかもしれませんが)日本のコンパクト盤の成立経緯、軽い気持ちで調べていったのですが思いもよらないワールドワイドでグローバルな話にまで行き着いてしまいました。単純に、なぜ日本の4曲入り7インチは45回転EPではなく、12インチLPの音質的に不利な部分になってしまうコンパクト盤で出しているんだろう、という長年うすらぼんやり感じていた疑問をきれいにしようとしただけだったのですが…予想以上に知らない歴史があったようです。45回転7インチレコードファンの私にとっては、まさか60年代初頭にその存在を脅かす動きがあったとは驚きを禁じ得ませんでした。世が世なら、60年代以降、世界は1分間に33回転でのみ廻っていたのかもしれません。

結局、33回転・45回転と2種の回転数が共存するという状況は、70年以上経った今日も続いています。回転数戦争で出た結論は、業界が改めて整理しようとしても崩れるものではなかったということになり、そう考えるとこの共存状況はなかなか面白いものです。

実はこのあとも12インチの45回転盤が日本では意外と早く、67年にメジャー数社から登場(これは単純に音質を重視した試みのようです)していったんフェイドアウトしていたり、レコードの新しいスタイルについては細々したチャレンジがいろいろ行なわれているようです。そのあたりもそのうち調べてみたいところです。

米国ではたった3年弱で潰えた市販用33回転7インチの挑戦、米国でこそ息絶えましたが、その種は遠く離れた南米数カ国と日本でのみ花開き、静かに、生きながらえていたのでした…ということで、今回の記事を締めたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿