この「EP」、1950年代にビニール製レコードの一種としてアメリカで開発・発売されて以降、音楽メディアの変化や、勘違いからくる誤用等の影響もありつつ、各国でさまざまな意味に変わりながら現在の用法に落ち着いてるようです。特に日本では、シングルを含めた45回転レコード全般を「EP」と扱うことも多く、本来の英米での使われ方を知ると違和感を持つ方も多いかもしれません。
今回は、1950年代の日本において、発売当初「EP」を中心に45回転レコードはどのように扱われてきたのか、というあたり、興味本位であれこれ見ていくうちにわかってきたことをせっかくなんでこちらに記しておきたいと思います。本当は「EP」の類似品?である33 1/3回転の7インチレコード、「コンパクト盤」は日本でなぜ登場し、定着したのか…ということについて調べていたので当記事は副産物・序章にあたるのですが、長くなるのでコンパクト盤については後編でせまる予定です。
●前提:米国における「Extended Play」レコード
45回転レコードが生まれたのは1949年、そしてEPレコードが生まれたのは1952年。いずれも米国で産声をあげました。米国におけるEP登場時の本来の定義は、松林弘治さんによる当時のBillboard誌を追ったこちらの素晴らしい記事でよく理解できます。
「What the EP (Extended Playing) Originally Stands For」
「EP」の本来の意味は「Extended Playing」で、初出は1952年、米 RCA Victor がリリースした7インチ45回転盤を指し、それは
・7インチ45回転シングル盤と形状や回転数は同じ
・シングル盤よりカッティングレベルを下げることで単位当たりの記録密度をあげ、
・かつシングル盤よりもっと内側まで記録することで、
・片面あたり8分程度記録可能にしたメディア
でした。つまり元々の意味は「7インチシングルの収録時間を拡張した (Extended) 盤」という意味です。
ということで、1949年にまずは7インチ45回転レコード(いわゆる45回転シングルレコード)が世に出て、その3年後、長時間収録を目的として収録時間が「拡張された」7インチ45回転レコード=「EP」レコードが生まれた、という流れです。「EP」は7インチ45回転レコードのバリエーションのひとつとして世に出た、というところです。
この米国での事例を念頭に置きながら、1952年以降、日本での流れを見ていきたいと思います。
なお、この「EPの本来の意味」も諸説あるところで、こちらでは「本来の意味」として、LPの弱点である内周部分の溝の情報量を「拡張する」ものとして45回転レコード「=」EPが生まれた、との説が紹介されています。そのほか、78回転シェラック製レコード、いわゆるSPレコードに対して録音時間を「拡張する」ものが45回転レコード「=」EP、という説も一部書籍では見かけることができます。しかし、これらの説が書かれた50年代当時の文献は、今のところ見つけることができていません。もしご存知の方がいましたらご教示ください。
●輸入盤として日本に入ってきた「EP」
米国で登場した「EP」は、52年当時は国内プレスはされず、輸入盤として日本に入ってきていたようです。52年12月5日の『時事通信 時事解説版』には、ちょうど12月から輸入が始まったEPレコードについて以下のように解説されています。
EPレコード
◇一枚で約三十分も連続してかけられるLPレコード(Long Playing 長時間レコード)は、今や音盤界の寵兒として音楽ファンを喜ばせているが、最近アメリカからニューフェイスのEPレコードが輸入され、我が国にも本格的なLP時代が訪れようとしている。
◇このEP(Extended Playing)レコードの特色は、四十五回転のレコードと同じ大きさの七インチ盤で、回転数は同じだが吹込面積を技術的に拡大し、四十五回転片面五分を八分に延長した新しいLPレコード。さる七月末アメリカ最大のラヂオ受信機製造会社RCAが発売し、今月初め「ジプシー男爵」「軽騎士序曲」など八枚がわが国に輸入された。
◇このEPの登場でLPレコードは三十三・1/3回転(十二インチ盤片面二十五分)、四十五回転(七インチ盤片面五分、従来の標準型レコードは一分間七十八回転)と三種類となつたわけだ。我が国で発売されているのは三十三・1/3回転が一番多いが、アメリカではEPができてから四十五回転に人気が出ているという。三十三・1/3回転のものは演奏時間の長いクラシックもの向きで四十五回転のものには軽音楽が多い。
(「用語」『時事通信 時事解説版 1952年12月5日 第2127号』時事通信社、1952)
(「用語」『時事通信 時事解説版 1952年12月5日 第2127号』時事通信社、1952)
マイクログルーヴのビニール製レコードのことを45回転レコード含めて「LP」と総称してしまっていますが、これは同年発行の『世界新語辞典 1953年版』(東京大学新聞研究会編、東京堂、1952)でもみられますので、この当時ありがちな誤りだったのかもしれません。ただし、時事通信では、EPは「既存の45回転レコードの収録時間を延長・拡大したもの」であることがきちんと説明されています。この辺は米国の定義とズレはありません。
●日本盤「EP」登場のニュース
1954年、国産の45回転レコード発売の報が入ります。初のリリースはコロムビアかビクターか、というところだったようですが、最終的にビクターが一番乗りとなることを『レコード藝術 1954年4月号』が報じています。
日本ビクターでは、LPと並行してかねてから45廻轉盤の發賣計畫を進めていたが、諸般の準備が成り、陽春四月はじめには第一回發賣とまで漕ぎつけたと傳えられる。しかもEPが先ず登場するというのはまことに喜ばしいニュースである。
“EP”とは、すでに讀者諸氏御承知のとおり、RCAビクターが從來のドーナッツを改良して、演奏時間一面五分强から八分までに延長したもので、Extended Playの略である。從つて、これまでSPの十二吋両面に収まっていた曲がEPの片面で通して聴けることになり、二枚物が一枚におさまつてしまう。
(「EP日本盤誕生 —ビクター近く發賣—」『レコード藝術 1954年4月号』音楽之友社、1954)
音楽誌らしく、EPとはなんなのかについては解説しつつも読者諸氏が既に承知のもの、ということです。
●日本初の45回転レコードは日本ビクター製の4曲入り「EP」
1954年に日本ビクターが国内カッティング・国内プレスでリリースした日本初の45回転レコードは前掲のレコード藝術記事のとおり、4曲入りの「45 Extended Play」、EPレコードでした。日本初の45回転レコードは、いわゆるシングルレコードではなくいきなり「EP」だったのです。EPの前史として45回転のシングルレコードのみの時代が存在した欧米と、日本は事情が異なるということになります。
63年に出版されたビクター社史には、「45回転EPレコード」のカッティング、プレスマシン開発エピソードがしっかり記載されていますが、ここでは45回転=EPとして語られています。両面で2曲入りの45回転レコード、というか収録時間・曲数については全く言及がありません。
更にその年の十二月に、まだ当時発売されていなかった最初のEPレコードを急遽発売する企画が立てられた。当時はまだ日本に45回転の録音機はどこにもなかったので、私たちは急いで、EPレコード用の録音機を自作することから仕事を始めた。
(略)
このようにして、最初に作られたダイナショアの歌うところのEP一〇〇一「ブルー・カナリヤ」が航空便でお店へ配達され、二月新譜として原盤輸入プレスだけで発売しようとしていた他社よりわずか数日早く発売され、国産EP第一号の栄誉をかちえることができたのである」
(井上敏也「新製品開発夜話<一技術者の記録から>」日本ビクター株式会社販売推進部編『音に生きる : ビクターの栄光』ダイヤモンド社、1963)
「日本盤 オールディーズ・シングル図鑑1954~1964」(菅田泰治編著 シンコーミュージック、2011)によるとポップスはシルバーレーベル・クラシックはゴールドレーベルがオリジナル盤とのことなので、ブラックのこちらはレイトプレスでしょうか。
上記エピソードでは他社が2月新譜で準備していたと記載がありますが、後述するコロムビアは実際には4月にリリースしているようです。ビクターがいつリリースしたかについては具体的な日付の記述がありません。
そこでビクターの毎月の新譜月報を確認することにします。45回転レコードは、54年4月末発行の月報において、第二回発売告知の記事で初登場しています。この際、後追いで第一回発売についても言及があり、「去る3月21日、本邦最初の45回轉レコードとして全國主要都市で一齊發賣され、たちまちファンの寵兒となつたビクター・ドーナッツ盤の第2回新譜です。」(「Victor "45" RPM ビクター45回轉レコード第2回發賣」『ビクターレコード 邦楽洋楽 6月新譜 1954』日本ビクター株式会社、1954)とあります。リアルタイムの記録として、これが正確な日本初の45回転レコードの発売日のようです。この月報によれば、第一回リリースは以下の6タイトルでした。
・EP-1001『Blue Canary』Dinah Shore
・EP-1002『Perez Prado Goes To America』Perez Prado And His Orch.
・EP-1003『Drum Boogie』Gene Krupa Jazz Trio
・EP-1004『This Is Glenn Miller Vol.1』Glenn Miller And His Orch.
・EP-1005『This Is Glenn Miller Vol.2』Glenn Miller And His Orch.
・EP-3001〜2『An Die Freude Symphony No.9 In D Minor "Choral" Beethoven, op. 125』Arturo Toscanini And The NBC Symphony Orchastra / The Robert Shaw Chorale
ちなみに毎年末に発行されるビクターの年鑑目録(「ビクターレコード番号順總目録 1955」日本ビクター株式会社、1954)では上記はすべて5月発売となっており、以降廃盤になるまで毎年そのままの記載です。このあたり、おおらかな時代ならではの混乱が見られます…。
ということで、3月21日は日本で初めて7インチ45回転レコードが発売された記念日ということで祝うのがよさそうです。ナイアガラファンにはおなじみの日ですね。来年2024年はなんと70周年になります。
当時のビクター月報には毎号音楽評論家の村田武雄さんによるコラムが複数掲載されていますが、同じく4月末発行の月報では、新商品45回転レコードについての話題もみられます。7インチビニール製レコードの素晴らしさ、LPとEPが出たことでいよいよ78回転レコードは時代遅れになった…等記載されています。ここではさすが専門家、EPとはなんなのかについてもきちんと言及しています。
ビクターの四十五回轉は全部EP<Extended Playing>(延長された演奏)の録音法なので片面六分から八分かかる。
(村田武雄「新しいレコード時代 —四十五回轉禮讃記—」『ビクターレコード 邦楽洋楽 6月新譜 1954』日本ビクター株式会社、1954)
(村田武雄「新しいレコード時代 —四十五回轉禮讃記—」『ビクターレコード 邦楽洋楽 6月新譜 1954』日本ビクター株式会社、1954)
しかし、同月報巻末の広告ページでは、見出しに「最高の芸術と最高の技術の勝利!! ビクターEPレコード発売!」とあり、「EP」の上に小さく「45回転」がルビのように重なって記載されています。これだけ見ると、45回転レコード=EP、と捉えることができてしまいます。
『Jazz 1954年3月・4月合併号』(ホット・クラブ・オブ・ジャパン、1954)巻末掲載のビクターの広告では、ジャズ専門誌ということでGlenn MillerのEP2作をメインとし、Dinah Shore、Perez Pradoの4枚が掲載されています。隅には33 1/3回転と45回転両用プレーヤーの記載もあります。ここには「待望の45回転(EP)レコード 日本初登場!」とあり、こちらも月報の広告と同じ印象です。
『レコード藝術 1954年5月号』(音楽之友社、1954)では巻末にArturo Toscanini & The NBC Symphony OrchastraのLP・SPと共に、2枚組EPであるEP-3001〜2が新発売されたとの広告が掲載されています。こちらも「待望の45回転EP盤ビクターで発売!」と同じ調子です。
ビクターがEPではない45回転レコードをリリースしたのは第二回発売におけるJascha Heifetz「Introduction And Rondo Capriccioso」(ES-8001)になるようです(発売日は月報に記載なし、年鑑によると5月リリースとのこと)。先の月報の第二回発売告知ページでは、最後に価格がまとめて書かれており、ここではEPでない45回転レコードは「標準盤」という表現です。
★ビクター45回轉レコード定價表(解說付美麗ジャケット入)
★EP-3000(クラシックEP盤)¥850.-★EP-1000(ポピュラーEP盤)¥700.-★ES-8000(クラシック標準盤)¥550.-
このESシリーズはEPシリーズとは異なり、ジャケット、レーベル等に「45 Extended Play」の文字はありません。「45RPM」とあるだけです。
ということで、ビクターもEPとそうでない45回転レコードを明確に区別して製造・発売しているのがわかります。しかし、後述のとおり、これ以降もビクターはなぜか広告では積極的にこの違いを謳わず、逆に混同させるような広告しか出していないようです。
●日本初の「EPではない」45回転レコードは日本コロムビア製
ビクターの「二月新譜として原盤輸入プレスだけで発売しようとしていた他社」というのが日本コロムビアでした。先のビクター社史のとおり、コロムビア第一弾のカッティングは海外で行われたようで、メタルマスターを輸入し国内プレスした、というところが違いのようです。
日本コロムビアの59年4月15日発行の月報を見ると、第一回発売の日付まで記載はありませんでしたが、4月上旬と記載されています。ビクターに遅れること2週間くらいだったのでしょうか。
待望!ついに國産化成る! ★四十五回轉レコード第一回發賣
三十三 1/3回轉LPレコードの發賣に引き續きレコード界の寵兒として全世界に普及しつつある45回轉レコード(ドーナツツ盤)の國產化に銳意硏究を重ねて居りました弊社では、ついに他社に魁け4月上旬第一回のレコードを發賣する運びとなりました。御期待下さい。
(『Columbia Records / M-G-M Records 5月新譜 May 1954』日本コロムビア株式会社、1954)
なお、コロムビアの年鑑(『コロムビア M-G-Mレコード番号順総目録』日本コロムビア株式会社、1955)では上記はすべて54年3月発売となっており、こちらも以降廃盤になるまで毎年そのままの記載です。おおらかな、時代です…。
第一回発売の内容は以下になります。この月報では、EPとそうでないものの違いは記載されておらず、すべて単に45回転レコードです。
・CC-1「Il Barbiere Di Siviglia - Overture」The Philharmonia Orchestra Conducted By Alcoe Galleria
・CC-2「Cavalleria Rusticana - Intermezzo」The Royal Opera House Orchestra, Covent Garden Conducted By Franco Patane
・EW-1『Puccini - La Boheme - For Orchestra』André Kostelanetz And His Orch.
・EM-1『Benny Goodman New Sextet』Benny Goodman Sextet
・EM-2『Mambo With Cugat』Xavier Cugat & His Orch.
・EW-2『Lecuona』Morton Gould Conducting The Robin Hood Dell Orchestra Of Philadelphia
全て海外からのメタルマスター使用ということで、内容も既存作品の国内盤仕様、EPについてはジャケットもオリジナル盤に準じているようです。
『レコード藝術 1954年6月号』(音楽之友社、1954)には、ビクターのToscanini & The NBC Symphony Orchastraの広告のほかに、コロムビアの広告「COLUMBIA 7吋盤 新發賣 45回転レコード」が掲載されています。ここでは、広告上半分にCC-1、CC-2のタイトルとレコード一枚の本体の写真、そして下半分に「★EW・EM盤はEPレコード(6分間乃至9分間演奏可能)★」とあり、EW-1、2、EM-1、2のタイトル・収録内容が掲載されています。ビクターと異なり、45回転レコードと45回転EPレコードの2種をリリースしていることが明確にされています。そしてこれ以降もコロムビアの広告は、EPと、通常の45回転レコード=シングルレコード、を明確に区別して出しているようです(『スイングジャーナル 1956年12月号』スイングジャーナル社、1956)。このあたり、ビクターとは対照的です。
ということで、日本初の「EPでない」45回転レコードはコロムビアのCC-1ということになります。
CC-1は英国Columbia(EMI)のSCD-2012の日本盤、ということのようです。英国オリジナル盤は(EPではないので)ジャケットなしでカンパニースリーブのみのようですが、日本盤は12インチLPのXL品番シリーズを流用したデザイン(元を辿るとこちらも英Columbiaの33CXシリーズと思われます)の、ライナーつきの豪華な厚紙のジャケットがついています。輸入メタルマスター使用のため、マトリックスナンバーも英EMIファンにはおなじみのフォントで「7XCA」の刻印があります。
ちなみに、当時のコロムビアのEPはジャケットに「Extended Play」の文字がありますが、こちらはビクターと異なりレーベルには特別記載はないようです。
その後ビクター、コロムビアに続いて、日本マーキュリー、テイチク、日本ポリドール、キングなど順次大手各社が45回転EP、シングルをリリースしていきます。
●レコード協会と「EP」
日本レコード協会の機関紙『Record』(現:『The Record』)は、1956年の創刊以降、現在も継続刊行されています。
1956年7月の創刊号では、「レコード界の現状」という記事で、業界の最新トピックがいくつも記載されています(『Record 1956年7月号』日本蓄音機レコード協会、1956)。ここでのレコード生産量・新譜曲数・生産高は、「LP」「SP」「EP」の3カテゴリで分類されています。45回転レコードはすべて「EP」に含まれていることになります。
しかし1年後の57年7月号のレコード各社の技術・研究部長、課長らの座談会「躍進するレコード(その一)技術座談会(上)」では、こんな会話があります。
伊藤(克人・日本コロムビア研究部長)「米国コロムビアがLPを発売したのが一九四八年七月で、翌年四月にRCAビクターが、LP同様の塩化ビニル樹脂を使って七吋45回転盤というものの市販を発表したんですね。」
和田(正三郎・キングレコード技術部長)「それはEPではないんですね。」
伊藤「そうですね、片面五分ぐらいでした。EPというのはそれから約三年後(一九五二年八月十五日)に、片面八分間に拡大されたものとして発表になったんです。」
(『Record 1957年7月号』日本蓄音機レコード協会、1957)
同記事に掲載されている「レコードの呼び方」という表にも、45回転レコードは「四十五回転盤(或はシングル)」「EP(或はダブル)」と区別され、「シングル」という語も登場しました。
上記を境に、『Record』ではシングルとEPは別物として扱われるようになり、58年2月-3月号「昭和32年レコード生產の全貌」からはEPとシングルが別集計されています(『Record 1958年2月-3月号』日本蓄音機レコード協会、1958)。
このように、レコード協会ですらもシングルとEPの違いは当初認識しておらず、軌道修正しています。混乱が当初から生じていたということの一端が、ここでも見受けられます。
●レコード店広告の「EP」
では、50年台後半、音楽雑誌におけるレコード店の広告ではどうでしょうか。
レコード買入!LP&EP最高価にて御買受け致します
(「オザワレコード店 広告」『レコード藝術 1957年5月号』音楽之友社、1957)
というように、やはりLPと並びEPの文字はありますが、45回転レコード、シングルといった表現はありません。ここらもおそらく、45回転=EP、という意味で使われていると思われます。
●回転数と代名詞
ここで45回転レコードから少し離れます。
33 1/3回転ビニール製レコードには、Long Play、「LP」という代名詞があります。そして78回転シェラック製レコードには、Standard Play、「SP」という代名詞もあるかと思います。しかしこの「SP」というのは、どうも和製英語、日本独自の代名詞である可能性が高いようです。2023年3月現在、英語版Wikipediaでは、「Phonograph Record」における「78rpm Disc Developments」の項に「SP」「Standard Play」などは一切記載がありません。
ここでまたまた松林弘治さんの記事を参考にしたいと思います。
「なぜ日本だけで「SP盤」と呼ぶようになったのか」
こちらでは、複数のサイトや、再び40年代末〜50年の米Billboard誌から、英語圏で「SP」という語は使用されておらず、「78rpm」という表現が一般的であることが示されています。さらに松林さんは推測として、日本でSPと呼ぶようになった理由を記載されています。
従来の(蓄音機や電蓄でかける)レコードの代わりとなる、新しいレコードが1951年に登場した
→ それは「LP = Long Playing」レコードと呼ばれているらしい
→ では、今までのレコードはなんと表現したらいいか
→ じゃあ「SP = Standard Playing または Short Playing」にしよう
と、日本独自表現を生むこととなったのかもしれませんね。
実際、2023年3月現在、国会図書館デジタルコレクションで「SPレコード」で検索すると、ヒットするのは1952年7月以降、すでに日本でもLPが発売されて以降の文献しか確認することはできません。
1950年では、以下のような表現です。
今までの標準の78回転盤
(『初歩のラジオ 1950年7月号』誠文堂新光社、1950)
舊レコード(78囘轉盤)
(『スイングジャーナル 1950年10月号』スイングジャーナル社、1950)
また、先の『時事通信 時事解説版 1952年12月5日 第2127号』でも78回転レコードのことを、「従来の標準型レコード」と表現しています。おそらくLPと比較しての「一般レコード」「標準型レコード」などを、LPに類する語に英訳した結果Standard Play、SPと呼ぶのに落ち着いたと推測できそうです。53年になると、『ラジオ技術 1953年1月号』(アイエー出版、1953)では「SPレコード(78廻転の一般レコード・LPに対してこう呼びます)」と解説されています。
となると、1954年当時、既に33 1/3回転レコードはLP、78回転レコードはSP、と呼ぶ日本独自の代名詞文化が根付いていたといえます。この流れの中で、新しく登場した45回転レコードをアルファベットの代名詞で呼ぶとしたら…、そしてそこに、少し意味は違っても近しい英語が既にあったとしたら…。
もともとあくまで45回転レコードの一部でしかない既存英語の「Extended Play」「EP」を、45回転レコード全体という意味に充ててしまうのも、この流れからすると自然なことなのかもしれません。
●ビクターS盤の45回転化
57年にもなると、78回転レコードの段階的廃止を目的とした45回転レコード移行の動きが見られます。ビクターのS盤、Sシリーズ(78回転レコードの洋楽ポピュラーシリーズ)が45回転シングル化されたSSシリーズが始まりました。Elvis Presley「Love Me」(SS-1001)が第一号になりますが、SSシリーズ発売開始の広告を見ると、シングルの広告にもかかわらず「1957年はEP(ドーナツ盤)時代」と大きく書かれています。(『スイングジャーナル 1957年4月号』スイングジャーナル社、1957)
こちらは第一回発売のうちのSS-1002。この頃になるとビクターは単なるドーナツタイプでなく、英国などでも見られるプッシュアウトセンターでリリースしています。
しかし、同年発行のPresley本である「エルヴィス・プレスリイ」(小森和子編 荒地出版社、1957)巻末ディスコグラフィーには、「78回転S盤」「45回転EP盤」「45回転シングル盤」「33 1/3回転LP」と、きちんとEPとシングルが別物として記載されています。小森のおばちゃまこと小森和子さんがしっかり理解していただけかと思いきや、このディスコグラフィー、<ビクター提供>とのクレジットがあります。ということで、ビクターはとにかく一貫して自社の広告だけは、シングルもEPも45回転レコードは全て「EP」と扱っていることになります。前述のとおりコロムビアや他社も広告ではきちんと分けているにもかかわらず、です。ビクターの広告制作担当に、他部署からでも指摘することはできなかったのでしょうか。
●「EP」のゆくえ
『レコード藝術 1957年5月号』(音楽之友社、1957)では、「EPの楽しみ」というこの時期のEP状況を知ることができる特集が組まれています。クラシックメインの雑誌のため基本はクラシック寄りの視点ですが、非常に興味深い特集です。導入部から当時のEPの状況がわかります。
クラシックで忘れがちなもの、そして、レコード会社もあまり力を入れず、レコード雑誌も積極的に取り扱わないもの、それがEPではないだろうか。それが果たして正当な評価なのかどうか。(後略)
座談会では呼称混乱問題から始まります。
記者「最初からちよつと変な話ですがある有名な音楽評論家がある有名なレコード評論家に、EPというのは何ですかときいたそうです。ところがそのレコード評論家の先生がそれにあまり明確な答えを差し上げられなかつたという伝説があるのですけれども(笑)つまりEPといい、45回転といい、或いはドーナッツ盤と言い、非常にわずらわしいので、この辺で一応分かりやすく説明して頂きたいのです。」
藁科雅美「四十五回転とEP、 MPとLPとがそれぞれ親戚になるのですね。」
伊奈一男「混乱するのは、例えばカタログを見ると四十五回転と書いてあるでしよう。そのほかにEPがある。あれがいけないんでしょうね。」
上野一郎「そういう分け方は非常に不正確な分け方で、EPだつて四十五回転でしよう。(後略)」
ここで日本のEPの課題として指摘されているのが価格の件です。
上野「日本の場合は、四十五シングルとEPに値段の差がついていますね。所がアメリカでは初めEPを売り出したときには値段の差をつけなかつたんですよ。今までの四十五シングルの値段でEPが買える。そうすると十二吋LPをEP盤にすると三枚になるわけですから、ずっと安いということになる。その点で非常に利点があつたわけです。ところが日本じや値段に差をつけているから、LP十二吋とそれをEPに直したものと比較すると、EPの方がいくらか割高になる。」
とはいえポピュラーにおいて、45回転レコード自体は78回転レコードの代替品として売れ始めていることも話題に出ています。
藁科「でも売れ行きは伸びているんでしよう。この間のレコード協会の雑誌を見ても、LPの伸び方より四十五とEPがずつと上廻っている。」
伊奈「ただそれはクラシックよりも主としてポピュラーでしよう。ただクラシックも昨年の暮れあたりから、ようやく伸びているようです。ポピュラーの方は、例えば四十五回転シングルというのは、今SPと同じ値段の三百五十円ですから、当然伸びるのが当たり前だと思います。」
先のレコード協会の機関紙『Record 1957年7月号』の座談会でも、米国の話と並べながら、78回転レコードの代替品として45回転シングルレコードが定着しつつある一方、EP複数枚を組み合わせてアルバムとする方式が廃れつつあることが触れられています。
井上(敏也・日本ビクターレコード部録音技術課長)「結局日本なんかではハイ・ファイというものが別の意味で大きく問題にされてチェンジするということは二の次になっていて、依然として丁寧に一枚づつかける。オートチェンジャーで自動式演奏しようという考えは少ないですね、やはり昔なみに手でレコードをかけかえる、となるとやはりLPのように長いものが強いということになるのですね。」
和田「そういうことで発明者のアメリカのRCAビクターでも45回転の組物はやはり売れないんだということですね、そういうものは十二吋のLPに任せておけ、ということですな。」
井上「従来のSPに代るべきものとして45回転盤の意味がある……と私はそう思うんです。」
和田「今日ではね。そういう情勢に変りつつある……。」
井上「変ってますね。」
45回転シングルレコードが78回転の代替としてポピュラー界で浸透していく一方、当初想定されていた2〜3枚組で1LPと同等の「アルバム」として扱う、といった目的でのEPの存在意義は薄れていきます。上記の会話のとおり、アルバムを聴くならやはり手間の少ないLPで…という志向があったと推測できます。60年代を通して英国等ではLPからの廉価抜粋盤としてEPの役割は残ったものの、米国ではLPの価格が手ごろになっていったのか、そういった需要も起こらなかったのかもしれません。日本ではレコードはまだまだ高級品でしたので、廉価抜粋盤としての需要はあったことでしょう。
1958年になると、こちらもクラシックですがEPの価格を下げ、手に入れやすい立ち位置に置き、その居場所を確保しようという動きも見られるようになります。
シリーズ名にもいろいろあるが、“エース”とはちょっと変っている。「切り札」という意味だそうだが、野球のエースにあやかりたいのが本音かもしれない。冗談はさておき、EPの売れゆきがあまりかんばしくないといわれている昨今、あえてEPをエピックが始めたのは1枚500円という手ごろな値段でヒットを狙ったのであろう。1,000円のLPがある以上600円から700円のEPは明らかに割高で、ここに目をつけたエピックの企画は当を得たもの。
(相沢昭八郎「クラシック17cm EPの新規格 エース・シリーズへの期待」『Music Monthly 1958年10月号』月刊ミュジック社、1958)
しかし、日本では1960年に33 1/3回転の7インチレコード、のちのいわゆる「コンパクト盤」が登場します。コンパクト盤の登場後1、2年で、EPは一気にその座を奪われるどころか、完全に消滅することになるのです。
(つづく)