87年2月9日、1年間の期限付きで結成されたKuwata Bandは予定どおり日本武道館公演を持って解散する。各所から期待されるサザンの復活!…とはならず次に桑田がトライしたのは、充電のため渡米、というのは建前で、日本コカ・コーラのキャンペーン用楽曲を、ニューヨークでDaryl Hall & John Oatesとレコーディング、MVの撮影まで行うというものであった。
もちろんそれまでも桑田の視野には海外進出という要素は入っていたはずで、まずはこれまでの海外関連のトピックを振り返ってみたい。
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もちろんそれまでも桑田の視野には海外進出という要素は入っていたはずで、まずはこれまでの海外関連のトピックを振り返ってみたい。
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まずは83年に渡米し、ニューヨークで数名のミュージシャンやエンジニアと会っている。特にレコーディング・エンジニアとしておなじみBob Clearmountainに『綺麗』を聴かせた際の反応は堪えたようだ。
桑田「そう。特に2回目に行った時は目的を持って行ったから。向こうのアーティストに会わなきゃウソだってことで。で、ヒュー・マクラッケンとか、シックのナイル・ロジャース、ミキサーのボブ・クリアマウンテンとか。あと佐野元春にも会ったしね。」
(略)
桑田「でね、やっぱりいちばん鮮烈だったのは、ボブ・クリアマウンテンに『綺麗』を聴いてもらったのね。向こうのスタジオで。パワー・ステーションってとこで。」
− ボブって、ブルース・スプリングスティーンとか、ブライアン・アダムズとか、あとホール&オーツとかのエンジニアやってる人だよね。
桑田「そう。そしたらさ、けっこうみじめな音してるわけよ、『綺麗』が。ほら、向こうのスタジオのスピーカーって音がモコモコでさ、ぬけてこないんだ、音が。並たいていのことじゃぬけてこない。江の島の“ジャパン・ジャム”に出たときも同じような経験したんだけど、あのとき俺たち、ハートって向こうのバンドのモニター使ったのね。と、俺の声がモニターからぬけてこないんだ。それと同じでね。で、まあモロモロあってね、どうもいかん、と。いろいろ言われたんだけど、ボブ・クリアマウンテン氏が最終的にね、「やっぱりセンスですな」って言うわけよ。「血ですな」って。それ言われたら、俺、困っちゃうじゃねえかって思ったの。」
− 笑えないね、それは。
桑田「俺はさ、もっとね、こう、ミックスダウンのテクニックとかさ、エコーの使い方とか、そういう技術上の問題を訊くつもりで行ったわけ。江夏が金田にカーブ教えてもらいに行ったようなもんでね。ボールの縫い目のどの辺に指かければいいんですか?みたいな感じで。ところがそうじゃないんだよね。ボール握った瞬間から、もういきなり血とかセンスとか、そういう歴史の深い問題になってしまったという……。」
桑田「そう。そしたらさ、けっこうみじめな音してるわけよ、『綺麗』が。ほら、向こうのスタジオのスピーカーって音がモコモコでさ、ぬけてこないんだ、音が。並たいていのことじゃぬけてこない。江の島の“ジャパン・ジャム”に出たときも同じような経験したんだけど、あのとき俺たち、ハートって向こうのバンドのモニター使ったのね。と、俺の声がモニターからぬけてこないんだ。それと同じでね。で、まあモロモロあってね、どうもいかん、と。いろいろ言われたんだけど、ボブ・クリアマウンテン氏が最終的にね、「やっぱりセンスですな」って言うわけよ。「血ですな」って。それ言われたら、俺、困っちゃうじゃねえかって思ったの。」
− 笑えないね、それは。
桑田「俺はさ、もっとね、こう、ミックスダウンのテクニックとかさ、エコーの使い方とか、そういう技術上の問題を訊くつもりで行ったわけ。江夏が金田にカーブ教えてもらいに行ったようなもんでね。ボールの縫い目のどの辺に指かければいいんですか?みたいな感じで。ところがそうじゃないんだよね。ボール握った瞬間から、もういきなり血とかセンスとか、そういう歴史の深い問題になってしまったという……。」
(略)
桑田「だけどボブ・クリアマウンテンの言葉がね、「あとはセンスだよ、キミ」って言葉がね……もう、すいませんとしか言いようがないもんねえ。で、なんでそんな問題にぶちあたるかっていうと、やっぱり俺たちは向こうの連中みたいな音楽をやりたいからなんだよね、ぜったい。それがスタートだったし、行く末もそれで行きたいって願ってる部分があるから。」
(桑田佳祐「ロックの子」講談社、1985)
84年は4月にアミューズがAmuse America Inc.をニューヨークに設立。事務所の活動範囲拡張に伴い、サザンも早速海外レコーディングを敢行。『人気者で行こう』リリース後の9月、1ヶ月をロサンゼルスで過ごし、シングル「Tarako」のレコーディングとミュージック・ビデオの撮影を行っている。録音はRecord Plantにて、エンジニアはMichael Braunstein。共同アレンジャーは当時のPointer Sisters、Smokey Robinson作品でのシンセ・プログラミングや、同年ではGeorge McCrae「Own the Night」のプロデュース&アレンジを担当しているPaul Foxを迎えている(Foxの当時のスタイルよりはバンド寄りの音作りだ)。しかし、リリース直後から後年に至るまでこのセッションについてはほとんど言及されることもなく、あまり前向きな手応えのあるレコーディングとはならなかったのかもしれない。
翌85年、『kamakura』直後の9月末にもとあるレコーディングに臨んでいるが、残念ながら形にするに至らなかったようだ。
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さて話を戻し87年。この企画は海外進出そのものではなく、あくまで日本コカ・コーラのキャンペーン企画であり、83年から継続している海外進出を視野に含めながらの様々なトライのうちのひとつ、といった位置付けのようだ。
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さて話を戻し87年。この企画は海外進出そのものではなく、あくまで日本コカ・コーラのキャンペーン企画であり、83年から継続している海外進出を視野に含めながらの様々なトライのうちのひとつ、といった位置付けのようだ。
共演相手として桑田・アミューズが白羽の矢を立てたのはDaryl Hall & John Oates。Hall & Oates自体は84年の『Big Bam Boom』、85年のライブ盤『Live at the Apollo』で一旦飽和状態、その後はデュオとしての活動を休止し、それぞれソロ活動に入っていた。
「きっかけはコカ・コーラなんですよね。何人か候補が挙がったり挙げたりしてたんですけど、ブライアン・フェリーとかいろんな名前が挙がってたんですよね。でもやっぱり、ダリル・ホール&ジョン・オーツが一番合ってそうだから……あの人たちだったら、なんか入って行けそうな気がしたんで。」
(「Sound & Recording Magazine 1988年8月号」リットーミュージック、1988)
企画としては桑田側が一曲、Hall & Oates側が一曲をそれぞれ用意しNY —ということで実質Hall & Oates側の現場である— でレコーディング、互いにヴォーカルとして参加、MVも撮影、ということだったようである。どうも、Hall & Oatesはこの桑田/アミューズ /日本コカ・コーラのオファーによってデュオとしての活動再開を決めたようだ。
Daryl Hall「Actually see people from Japan call us... a Japanese musician named Kuwata called us and asked us if we wanted to do a project with him in Japan. So we thought that would be kind of an interesting way to get back together. So that's we did it.」
(「The Tonight Show Starring Johnny Carson」NBC, July 21, 1988)
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桑田は松田弘を引き連れ4月に渡米。3曲ほど持参し、Daryl Hallの家で二人にデモを聴かせる。ここで方向性を決め、レコーディングに進んだようだ。
「でまあ、次の次の日かな、ダリルの家行っても、やっぱりダリルって人は、何かピーンってなってるから、みんなダリルの顔とこっちの顔をのぞき込むみたいな感じでさ。だけど、そこでテープを聞いたらさ、ダリルさん急に顔が変わっちゃったの、あのぜん息持ちが。急に自分の部屋に行って楽器持ってきたりとか、急に動き出しちゃって、『こんな感じ?』とかって弾いてみせたりするんだけど、キーボード下手なんだ、これが。で二曲めはスローな曲で、三曲めには遊びの曲も入ってたの。でも一曲めで完全にみんな満足してたから、三曲め聞く辺りではダリル・ホールもニコニコしちゃって、『この曲はダメでしょ、ガラクタだよ』って言ったら『そうだよねえ』なんて言って(笑)『一曲めいこう』って感じでさ」
「僕が作ってった曲って、カッティングのギターが入ってたんだけど、日本人が解釈するとすごく今風に聞こえるんだけど、彼らは聞いてジェームス・ブラウンだって言うわけよ。でジョン・オーツは次の日一生懸命、ジェームス・ブラウンのレコード持って来てくれたりさ。好きなんだよジョンは。彼らも共通点を狙ってたんだろうけど、俺がそういう指向性なんじゃ無いかと思ったらしくて」
「僕が作ってった曲って、カッティングのギターが入ってたんだけど、日本人が解釈するとすごく今風に聞こえるんだけど、彼らは聞いてジェームス・ブラウンだって言うわけよ。でジョン・オーツは次の日一生懸命、ジェームス・ブラウンのレコード持って来てくれたりさ。好きなんだよジョンは。彼らも共通点を狙ってたんだろうけど、俺がそういう指向性なんじゃ無いかと思ったらしくて」
(「ロッキング・オン・ジャパン・ファイル ロッキング・オン3月号増刊」ロッキング・オン、1988)
この選ばれた一曲目というのが、「She's A Big Teaser」である。作曲は桑田、作詞はKuwata Bandからの流れでTommy Snyderと桑田の共作。
このレコーディング体制は、当時作られたプロモ盤7インチ(ビクター H-34)から以下のとおり。
Producers: 桑田佳祐、Daryl Hall & John Oates
Engineer: Michael Scott
Mixer: David Z
Vocals: 桑田佳祐、Daryl Hall & John Oates
Drum Programmer: Sammy Merendino
Percussions/Drum: 松田弘
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Pat Burchman
Recording Studio: Hit Factory, New York
Percussions/Drum: 松田弘
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Pat Burchman
Recording Studio: Hit Factory, New York
編曲のクレジットは無いが、この音源が初商品化された2018年の桑田のMV集『MVP』には「編曲:桑田佳祐、Sammy Merendino & T-Bone Wolk」とある。ここから察するに、Hall & Oatesとアレンジの方向性を決めたのち、実際の作業はT-Bone WolkとSammy Merendinoに委ねられ、桑田と共にトラックを組み立てて行ったのだろう。T-Bone Wolkは81年にHall & Oatesのライブ、83年『H2O』からレコーディングに参加、アレンジャーとしても『H2O』以降のサウンド作りの要であった。MerendinoはHall & Oates関連作品としては初参加で、この流れでHall & Oates『Ooh Yeah!』に参加することになったと思われる。
同時に録音されたHall & Oates「Real Love」もほぼ同じメンバーで制作されている。以下コカ・コーラ景品用ビデオのクレジットより。
Produce: Daryl Hall & John Oates / 桑田佳祐
Engineer: Michael Scott
Mix: Michael Scott
Vocals: Daryl Hall & John Oates、桑田佳祐
Engineer: Michael Scott
Mix: Michael Scott
Vocals: Daryl Hall & John Oates、桑田佳祐
Drum Programmer: Sammy Merendino
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Paul Pesco, Jim Bralower
Bass: T-Bone Wolk
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Paul Pesco, Jim Bralower
面白いのは、「She's A Big Teaser」のみミックスをPrince関連作品でもおなじみミネアポリスのDavid Zに依頼している点である。Hall & Oates作品では登場しないDavid Zにわざわざ依頼したのは、桑田のパフォーマンスを見てのインスピレーションからであろうか。
「で、歌入れする時に、向こうは単純だからさ、『ウー!』とか『アッ!』とか掛け声入れると喜ぶわけよ。ジェームス・ブラウンだぜ、とかラスカルズとか言われるわけ。だからそんなに違わないんですよね、ウー!やアッ!では。」
(「ロッキング・オン・ジャパン・ファイル ロッキング・オン3月号増刊」ロッキング・オン、1988)
完成した楽曲は、マイナーキーで始まる80年代中盤USロック、ポップスといった仕上がりだ。David Zの骨太なミックスにより重厚な仕上がりとなっているのだが、このバージョンは前述のとおり2018年のMV集まで商品化されなかった。興味深いことに、桑田は日本での正式リリースに際しかなり手を加えている。翌88年、桑田のソロシングル「いつか何処かで」のB面に収録された「She’s A Big Teaser」のクレジットは以下になっている。
Arrangement: 藤井丈司、Sammy Merendino、T-Bone Wolk & 桑田佳祐
Vocal, Chorus: 桑田佳祐
Chorus: Daryl Hall & John Oates
Computer Programming: Sammy Merendino & 藤井丈司
Drums, Percussions: 松田弘
Drums, Percussions: 松田弘
Keyboards: Ricky Peterson
Guitar: Pat Burchman & 河内淳一
音を聴く限り色々追加・差し替えは行われているが、特にT-Bone Wolkのベースは全て藤井丈司のシンベに差し替えられている。そしてPat Burchmanのリードギターは残しながらも、カッティングのパートは全て河内淳一のキレのあるプレイに差し替えたようで、NYミックスより登場箇所も多い。また桑田のヴォーカルも差し替えられており、NYミックスではKuwata Bandから引き続きのハードでパワフルな歌唱だったものが、ソロ以降の丁寧な歌い方・発音で録り直されている。こちらのミックスはプロデュース・録音の記載がないが、92年のベスト盤『フロム イエスタデイ』では『Keisuke Kuwata』収録曲と一緒に「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」「Recording Engineered & Co-produced by 今井邦彦」とある。桑田のソロアルバムセッションと並行し、桑田と藤井を中心としてリミックス作業が行われたと推測される。やはり時間をおくと手を加えたくなるということもあろうが、ここまで手を加えるということは桑田の中で納得いかない部分も多かったということかもしれない。
なお同様に、「Real Love」も「Realove」と改題され、Hall & Oates & T-bone Wolkプロデュース・Chris Porterのミックスで88年4月のアルバム『Ooh Yeah!』・シングル「Everything Your Heart Desires」に収録、正規リリースされている。
Guitar: Pat Burchman & 河内淳一
音を聴く限り色々追加・差し替えは行われているが、特にT-Bone Wolkのベースは全て藤井丈司のシンベに差し替えられている。そしてPat Burchmanのリードギターは残しながらも、カッティングのパートは全て河内淳一のキレのあるプレイに差し替えたようで、NYミックスより登場箇所も多い。また桑田のヴォーカルも差し替えられており、NYミックスではKuwata Bandから引き続きのハードでパワフルな歌唱だったものが、ソロ以降の丁寧な歌い方・発音で録り直されている。こちらのミックスはプロデュース・録音の記載がないが、92年のベスト盤『フロム イエスタデイ』では『Keisuke Kuwata』収録曲と一緒に「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」「Recording Engineered & Co-produced by 今井邦彦」とある。桑田のソロアルバムセッションと並行し、桑田と藤井を中心としてリミックス作業が行われたと推測される。やはり時間をおくと手を加えたくなるということもあろうが、ここまで手を加えるということは桑田の中で納得いかない部分も多かったということかもしれない。
なお同様に、「Real Love」も「Realove」と改題され、Hall & Oates & T-bone Wolkプロデュース・Chris Porterのミックスで88年4月のアルバム『Ooh Yeah!』・シングル「Everything Your Heart Desires」に収録、正規リリースされている。
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さて、実は桑田はこのコカ・コーラの企画に合わせてもう一曲自作曲をHit Factoryにてレコーディングしている。前述のインタビューで、Hall & Oatesに聴かせたデモについて「二曲めはスローな曲で」と話しているが、これがのちの桑田のソロデビューシングル「悲しい気持ち」のB面に収められた「Lady Luck」だろう。作曲は桑田、作詞はTommy Snyder単独名義の英詞作品。こちらは結果的にコーラの企画とは別にレコーディングすることができたからか、ヴォーカルはJohn Oatesのみ参加で、「She's A Big Teaser」「Realove」とはまた別のメンバーによるセッションである。以下、シングル盤掲載のクレジットより。
Arranged by 桑田佳祐、Jimmy Bralower、Jeff Bova
Vocals: 桑田佳祐
Keyboards, Synthesizer: Jeff Bova
Keyboards, Synthesizer: Jeff Bova
Computer Programming: Jimmy Bralower
Acoustic Guitar: 河内淳一
Backing Vocals: John Oates
Acoustic Guitar: 河内淳一
Backing Vocals: John Oates
Backing Vocals: Tommy Snyder
Engineered by: Josh Abbey、今井邦彦
Assist. Engineered by: Craig Vogel
Mixed by: 今井邦彦
Recorded at: The Hit Factory, New York, Victor Aoyama Studio, Tokyo
サウンド作りを担ったのはJeff Bova & Jimmy Bralower。Kurtis Blowのファーストからドラムで参加していたBralowerと、初めてBovaが共演したのがBlow『Tough』(1982)で、それ以降のBlowの作品に連続で参加。86年のCyndi Lauper『True Colors』では10曲中8曲のアレンジ/演奏・プログラミングを担当。1987年当時だとAztec Camera「More Than A Law」などもこのコンビの仕事である。
Engineered by: Josh Abbey、今井邦彦
Assist. Engineered by: Craig Vogel
Mixed by: 今井邦彦
Recorded at: The Hit Factory, New York, Victor Aoyama Studio, Tokyo
サウンド作りを担ったのはJeff Bova & Jimmy Bralower。Kurtis Blowのファーストからドラムで参加していたBralowerと、初めてBovaが共演したのがBlow『Tough』(1982)で、それ以降のBlowの作品に連続で参加。86年のCyndi Lauper『True Colors』では10曲中8曲のアレンジ/演奏・プログラミングを担当。1987年当時だとAztec Camera「More Than A Law」などもこのコンビの仕事である。
BralowerはHall & Oates『Big Bam Boom』からHall & Oates関連作品に連続して参加。Bovaも当セッションの流れでHall & Oates『Ooh Yeah!』に参加することになる。Bovaは同年の坂本龍一『Neo Geo』、Bova & Bralowerとしては角松敏生「Girl In The Box」(1984)「Remember You」(1988)などを手掛けるなど、日本のミュージシャンとも縁のある二人であった。
そんな面々でのレコーディングは、桑田による、おそらくDaryl Hallソロなどに見られたメロウな感覚を反映した楽曲と、Bova・Bralowerの両者によるシンセ・サウンドがうまくマッチした珠玉の出来だ。個人的にはこういったSophisti-pop路線で料理された桑田というのももう少し見てみたかった気がする。後半で登場する「Need Your Touch〜」のヴォーカルはJohn Oatesの歌のピッチを上げたものだろう。
こちらも『フロム イエスタデイ』では「Produced by 桑田佳祐、小林武史、藤井丈司」とある。NYミックスは公開されていないが、日本でミックスするにあたってはセンターで鳴っている河内のアコギやTommy Snyderのコーラスのダビング、桑田の歌を録り直している程度と思われ、「She's A Big Teaser」とは違いNYでの録音時とさほど変わっていなさそうだ。そういった点から、桑田としてはどちらかというとこちらのレコーディングに手応えを感じたのかもしれない。キーボード・プレイヤー、ドラム・プログラマーとの3者体制の製作など、録音スタイルはこの後の桑田に影響を与えていると思われる。
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後年、桑田は当時のことをこう述懐している。
バブルとその前後で、日本全体が浮かれていたことの影響もあったのでしょう。日本人のポップスやロックが、海外でも通用するんじゃないかという期待も抱きました。それで、全編英語で歌う曲をつくったり、外国人のレコーディング・エンジニアを起用したり、向こうのアーティストと一緒に演奏したりということも、積極的にチャレンジしました。
でも僕なんか海外に出てみて、じつはかなり自信を失ってしまったんですけどね。やっぱり向こうの流儀の真似をしているようでは、太刀打ちできないのは当然です。これはものが違うぞ、と壁を感じました。
(「文藝春秋 2018年10月号」文藝春秋、2018)
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桑田・松田は6月5日に帰国。原由子のシングル用レコーディングを経て、7月より、桑田ソロ名義のレコーディングが開始されることとなる。